まこねこまどかブログ

マンガ家まこねこの気ままな日記

人と人とのつながり

2013年04月27日 | 明治人物伝


先ほどは、山本覚馬と勝海舟の話を書きましたが、面白いことに二人とも明治になってクリスチャンになります。
覚馬は、後に新島襄と知り合い、信仰に導かれ住んでいた元薩摩邸を同志社に差出します。
覚馬の写真は、一般には晩年の目が見えなくなってからのものしかありません。
また妹の八重は、大河ドラマでもご存じのように新島襄と結婚しますが、最先端を行くかなり激しい性格だったようです。
勝海舟は、このブログでも書きましたが、亡くなる1週間前に信仰告白しています。
勝さんは、多くのカトリックの人々やプロテスタントの宣教師を助けたこともありましたが、彼が渡航費用を援助したことにより木村熊二や大儀見(おおぎみ)元一郎は、クリスチャンになって帰ってきました。
彼らは、森有礼に付いてアメリカに行きますが、学ぶ学校が見つからずに困っていました。
その時、ニューヨークで出会ったホープ大学の学長をしている牧師が引き取って、面倒を見てくれたのです。
木村熊二は、ラトガース神学校を出て、伝道者となり帰国して、明治女学校の創設者になりました。
大儀見元一郎は、いくつもの神学校を出て牧師として帰国しました、麹町日本基督一致(高輪)教会を牧会しながら、教育家としても活躍したのです。
勝家の敷地内では、毎晩祈祷会が持たれ、当時有名だった牧師たちが出入りしていました。
三男の梅太郎が、長崎やアメリカで勉強して宣教師として日本に帰って来たいと言うので、牧師たちに相談して、木村熊二の教会兼家に通わせました。
残念ながら、梅太郎は牧師にはなりませんでしたが、お孫さんは、有名な女医さんになりました。
人と人とのつながりは面白いですね。
写真は、今も残っている勝家の門です。


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