プラマイゼロ±

 某美少女戦士の内部戦士を中心に、原作、アニメ、実写、ミュージカル等問わず好き勝手にやってる創作、日記ブログです。

ALL NIGHT LONG

2013-02-14 23:58:48 | SS






 まず、着信履歴にぎょっとした。


 それは学校の帰りのこと。
 授業の後の部活が思いのほか長引いたレイは、くたくたの体で門をくぐり、既に暗くなっている空を眺め慌てて携帯電話を開いた。祖父に遅くなってしまったことを連絡しようとした。そして着信履歴の数に、思わず目を見開いた。

 不在着信13件。

 部活前に確認した際は着信履歴などなかったはず。この短時間で2ケタも不在着信があることに、レイは一瞬機械の故障を疑った。だがもしかしておじいちゃんの身に何かあってどこかから電話がかかっているのかもしれない、と思い直し慌てて発信元を確認する。そして、結果を見て再びレイはぎょっとした。

 美奈子から11件。その間に細切れのようにうさぎと亜美から一件ずつ。部活の時間は三時間にも満たなかったはずだが、その間にここまで電話がかかって来るなどただ事ではない。レイは少しだけ迷い、とりあえず一番に美奈子に電話をかけた。

 ワンコールもせずに相手が出たので、三度レイはぎょっとした。

『・・・ちょっとレイちゃんっ!どこでなにしてんのよ!?』
「え・・・あ、今まで部活で・・・なにかあったの?」
『ああもうなんでこんな肝心な時にっ・・・何のための霊感なの!?』
「だからなんなのよ!?」
『まこちゃんが大変な時にー!!』

 耳元できんきんと叫ぶ声に、もうぎょっとする精神的余裕もなく、すう、と空になる思考回路。かろうじて耳に残っている言葉を脳で噛み砕く余裕もなく、レイはくたびれた体でまことのアパートまで全力で駆けた。





「っはー・・・・・・っはー・・・げほ、げほっ」
「おい、大丈夫か・・・?」

 部活帰りに真冬の屋外を、体力配分も考えずにまことのアパートまで走ってきたレイは、呼吸もままならなかった。
 美奈子の電話では要領がわからず、何事かと思って猛ダッシュできたというのに、見た感じいつもと変わらないまことが当然のようにドアを開けて、しかも逆にレイの方を心配しておろおろしているというのだからやっていられない。安心と疲れで崩れそうな体を靴箱に預け、レイはむせこんだ。

「とにかく深呼吸しよう、な?水飲むか?」
「ちょっとレイちゃん遅いじゃないのっ、そしてまこちゃんなにしてんのよっ」

 玄関でレイの顔を覗き込むまことの背後で、ばたばたと美奈子が廊下をかけてくる。その姿はなぜかエプロン姿であった。そしてその後ろをうさぎと亜美がひょっこり顔を出した。

「レイちゃん、遅かったねー」
「レイちゃん、お疲れさま」

 まことの家に集合というのも聞いていない。レイは酸素不足の口をぱくぱくと動かしながら仲間を一通り睨む。何があったのか一から説明してほしかったが、口の中はからから、体は熱いのに肺の中の空気は冷え切っていて、うまく声も出ない。

「もう、まこちゃん、寝てろって言ったでしょ!なにやってるのよ」
「いやでもチャイムが・・・うちに来るってことはあたしのお客さんだし・・・けほっ」
「いいから寝てるの!亜美ちゃんもうさぎも止めなさいよ」

 いやでも、大丈夫だって、なんて互いが互いに言い訳をしているこの状況はレイにはやはり読めない。気配には聡くともこういう状況に放り込まれることにはとんと疎いレイは、なんとか呼吸を落ち着かせると、一番そばにいるまことに訳を聞こうとして手を伸ばした。

「・・・お茶、淹れるから」

 そこで、レイを見かねたのかタイミングよくレイに背を向けるまこと。手が触れられそうで触れられない距離を広げ背中で上がってこいと語るまことの背中を、レイは殊更に睨んだ。





「・・・病気?」
「そういうわけじゃないけどさ、みんながすごく心配してくれて」

 思えばみんな制服姿だが、まことだけは部屋着だ。まことの家だからと最初は気にも留めなかったが、どうやら放課後みんなでまことを送ってきた結果こうなっているらしい。

「だって学校ではちょっと咳してたし、結構体熱い感じしたから心配だったんだもん」
「そうね、私も心配で・・・」
「そうそう!」

 まこと本人はそれとなく否定しているが、他の三人から話を聞くに、傍から見ればまことの体調は思わしくなかったらしい。レイがいつもとほとんど変わらない様子でお茶を入れてくれたまことを見るに、そんな様子は感じなかったのだが。
 それで今の今までお手伝いと称してうさぎがまことの台所を荒らそうとしてたところを亜美がやんわりと止めたり、美奈子が看病と言っては木野家そのものを破壊しようとするのを亜美が必死で止めたりして現在に至る、というわけだ。ようやくソファに腰掛けお茶を飲んで一息ついたレイは、そんな説明を一通り聞いて顔をしかめた。

「・・・だいじょうぶなの?」
「だいじょうぶだって。ちょっと喉がいがらっぽいだけで、みんな大げさなんだよ・・・学校でだってちょっとむせただけなのにさ」
「・・・でも」
「ごめんな、大丈夫か?知らせなくていいって言ったんだけど」
「・・・別に、大ごとでなかったからよかったけど」

 ベッドに腰掛け少し遠くからレイに微笑むまことは、確かに少し疲れてはいるが普段と変わらない笑顔を向けた。それこそうさぎや美奈子に室内で暴れられたら自分も疲れるので、あんな電話がなければあまり気にもならないくらいの様子だ。目で見る分には本当にまことは変わらない。

「部活の後来てくれたのか?」
「ええ、部活が終わって学校から出たら、美奈からいっぱい電話がかかってたから・・・うさぎや亜美ちゃんも」
「ってことは・・・ああ、やっぱりもう遅いじゃないか・・・暗いし。みんな、家族も心配すると思うし、明日も学校だから宿題とかあるだろ。もう帰りなよ」
「えっ・・・でもまこちゃん」
「あたしは大丈夫だって。ほら、なんともないだろ?それに、今日はもうすぐに寝るからさ」
「でも・・・」

 さあ帰った帰った、笑顔でしかし追い立てるようなしぐさで皆に帰宅を促すまことに、まことを送ってきた三人はあいまいに視線を合わせた。皆戸惑ったようにお互いに目線を向ける。
 まことの言い分は正しい。それにいつもと変わらない笑顔で、しかもすぐに寝ると言っているまことの手前、ここに居続けるのもはばかられる気がした。心配と気遣いのはざまで表情が曇る三人を無視するように、レイは立ち上がった。

「・・・そうね。来たばっかりだけど、私は帰るわ」
「えっ・・・レイちゃん?」
「私がここに来た時点でもうだいぶ暗かったし」
「ああ、それがいいよ」
「じゃあ、お先に。みんなも、帰るなら早い方がいいわよ」

 一見冷たいと思えるほどレイの態度はそっけない。だがまことはそれに気を悪くする様子もなく、かといって立ち上がるわけでもなく目を細めて上着を羽織るレイを見つめる。その仕草に残りの三人も顔を見合わせると、それぞれまことにあたたかくして寝るように、ちゃんと食べてよ、なにかあったら連絡を、という言葉をかけレイに続いた。





 いつもなら、誰かが帰るときは少なくともすぐに玄関まで送ってくるまことが、四人が部屋を離れてもベッドに腰掛けたままであるのはやはり具合が悪いのかもしれなかった。四人はまことの家を出、しばらく玄関の前でそのまま黙って残っていた。そして数分後に内側からカギが回った音を確認して、ようやく黙ってそれぞれ歩き出した。

「・・・だいじょうぶかしらねぇ。結構気丈に振る舞ってはいたけど」

 美奈子はそうつぶやく。亜美もうさぎもその言葉にうなずく。いつもの笑顔で、お茶も入れてくれた。確かに大げさで心配し過ぎなのかもしれない。だけど、逆にああいう風に追い立てられる仕草をされてしまったら。
 帰りが遅くなるのを心配しているのも、嘘ではないだろう。早く寝るから、という言葉も嘘ではないだろう。いても迷惑なだけかもしれない。だが、それぞれがどこかに引っかかるものを感じながら帰路に着く。

 言葉だけはいつものように優しかったが、確かに早く帰ってくれというような気配のようなものは誰もが感じていた。見た目は少しだけ風邪を引いた感じであったけれども、それでも。

「・・・だいじょうぶだって測らせてくれなかったけど、結構熱があったんじゃないかしら」
「お腹空いてないからってあたしが作ったおかゆも食べてくれなかったし」
「毛布も押し入れから出してあげるよ!って言ったのに断られちゃったし・・・」

 最初の亜美の言葉はともかく、後半の金髪二人の言葉は、まことの具合が悪くなくても断られてる可能性大でしょうねとレイは思ったが突っ込まなかった。学校から見てきたみんなが思うそれぞれのことは、正直ほとんどお茶を飲みに来ただけで帰る羽目になったレイにはさっぱりだった。
 まことが言ったみたいに、家族が心配するから早く神社に帰らなくては、と冬の風に絡む髪を指で流しながらレイは道を急ぐ。それでなくてももう遅いのだ。

「じゃ」

 そんなレイの姿を亜美は目を細めて見つめる。だけど言うことはない。言うべきでもないと亜美は思って黙っている。再び流れる気まずい沈黙は、レイが振り振り返りもせず去ったその場に重く残った。
 まあでもレイちゃんも大変だったし、仕方ないよなんてうさぎの言葉でようやく美奈子と亜美もようやく笑う。やがて、いつもの空気を取り戻そうと三人はやや饒舌になりながら、それぞれの家路についた。







 一同と別れてから一時間も経たない頃、レイはまことの家のチャイムを押した。
 やはり冬の夜は容赦なく暗く寒い。部活の後でそれでなくてもくたくたで、元来早寝早起きの習慣が染みついているレイにはこの時間にこんな場所にわざわざ外に出向くのは体が違和感を覚えている。なにもかもままならないし、さらにまことは出ない。
 めげずにもう一度チャイムを押す。中は真っ暗だったが、いないはずはないので気長に待っていると、中でようやく人が動く気配がした。さらに待っていると、インターフォンではなくドア越しに『誰ですか』と他人行儀な声が帰ってきた。
 寝てるところを起こしたのか、それともいよいよ具合が悪いのか、普段のまことからは想像もできないほど声に抑揚がない。

「・・・私」
『・・・なにしに来た?』
「開けて。忘れ物」
『・・・・・・なんだよ。取って来るよ・・・どこになに忘れたんだ』
「いいから開けなさい」
『だから取って来るって・・・』
「開けなさい!」
『・・・・・・』

 しばらくの沈黙の後、まことは非常にゆっくりドアを開けた。ちゃり、とドアチェーンが擦れる音がした。開いた隙間は数センチ、チェーンは外れていない。少しの隙間からかすれた声がした。

「・・・なにを忘れたんだ」
「実家の方に。着替えとか食料とか・・・取ってきた。だから開けて」
「・・・・・・今日は送れそうにないから、できるだけ早く、人通りがあるうちに帰ってくれ」

 少ない問答。そこで閉められそうになるドア。とっさにレイは足を挟んで阻止する。だがチェーンをはめられている以上為すすべはない。なんとか話をつけようとするが、ほとんど姿の見えないまことの声は冷ややかだった。

「・・・悪徳セールスマンか、あんたは」
「病人がつまらない意地張ってるんじゃないわよ!開けなさい!」
「・・・意地じゃない。ほんとに・・・帰ってくれ」
「帰らないわよ!どうしても入れないって言うなら蹴破るわよ」

 とっさに口から出た言葉に、まことは沈黙を返す。言ってから、とんでもないことを言ったと思い直したが、実際にまことが入れてくれなければそうするしかない。帰る気は、全くなかったから。

「・・・・・・足、どけて」
「・・・だから、意地を」
「・・・どけてくれないと、チェーンが外せない」

 まことの言葉はどこまでも淡々としている。というより、ひどく疲労しているように聞こえた。半ば本気で蹴破る気だったレイの気持ちが伝わったのか単に根負けしたのか。
 恐る恐る足を引き抜いたレイの前でドアが閉まる。すぐにチェーンが外されるかと思いきや、ドアから遠ざかるまことの気配。遠くなる足音。完全に取り残されるレイ。

「・・・え」

 日中のまことの態度から素直に入れてくれそうにないだろうと予測はしていたが、こんな形で取り残されることになるとはさすがに思わなかったレイは、思わず絶句した。これはもう遠慮と言った生やさしい拒絶ではない。
 日中、かなり無理して笑っていたが、具合が悪いのは見てわかっていた。これから体温が上がっていくであろうことも、何となく熱の気配で分かった。亜美のように知識があるわけでもなく、美奈子やうさぎほど積極的に世話が焼けるとは思えないが、それでも、そばにいたら有事の際に救急車を呼ぶことくらいはできるはずだと思っていた。

 それくらいは、とレイは唇を噛む。それしかできなくても、一人でいて具合を悪くしていたら、救急車を呼ぶことも出来ない事態になったら、それこそ―それなのに。

 ほんとうに蹴破ってやろうか、それとも座り込んで開けてくれるのを待つか―そんな不穏な考えが疲れたレイの脳内によぎる。まことの態度に憤りも感じるしそこまで拒絶される理由もわからないが、ここでああそうですかと帰ってしまっては何の解決にもならない。
 蹴破るのは最終手段としても、このままでいいはずはない。とにかくもう一度チャイムを鳴らしてみようとレイは指を伸ばした。

「・・・え」

 そこでぱちり、と鍵が回る音。ちゃり、とチェーンが揺れる音。さっきと同じ声が口から漏れた。
 開かれるドア。ぼさぼさの髪と汗に濡れた寝巻き、ぐらぐらと熱に疲れた顔をマスクで隠したまことが静かにレイに姿を見せた。そして、レイに一定の距離を置いて、雨合羽とゴム手袋とマスクを放り投げた。

「・・・それ着て、手袋つけてから入ってきて」

 マスク越しの呼吸は荒く、ひどく寄せた眉の下の眼球は熱にとろとろしている。昼間と違い余裕がなくくたくたでぼろぼろのまことは、それだけ言い残すとレイに背を向けよろよろとひとりで寝室に向かった。レイは一瞬訳が分からなかったが、とにかくドアを開けてくれたことに安堵して、慌てて合羽を着こむ。無機質なはずのゴムは、なんだか妙に熱かった。
 ともかく、ここまでの長いやり取りの果て、レイはようやくいつもの玄関を踏んだ。







「・・・はぁ」

 まことのアパートのすぐ近くで、亜美は一人ため息をついた。
 肩に乗せた荷物が重く感じて、冬の寒さが急に体に沁みる。人の通行の邪魔にならないよう道の端に寄って、もう一度真っ白なため息をついて携帯電話を耳に当てた。かちかちとかじかむ手で相手を選び、コールする。一回、二回、三回。

『・・・やっほー亜美ちゃん!どうしたのっ?』
「・・・・・・美奈。あなたの言うとおりだったわ」
『え、なにが?』

 陽気でとぼけた声を飛ばす美奈子とは打って変わって、亜美のテンションは低い。こうなることは分かっていたくせに、とぼけて理由を聞き出そうとするその態度が少しだけ亜美には腹立たしかった。

「・・・レイちゃんのことよ」
『ああ、やっぱり?ちゃんとまこちゃんとこ行ってたでしょ』
「でも・・・日中は一番に帰っちゃったし・・・やっぱりどうしても心配だから、私も今まこちゃんのところに行こうと思ってたんだけど・・・」
『え、亜美ちゃんは今まこちゃんの家にいるわけじゃないの?』
「・・・・・・入れなかったわ」

 一足違いだった。
 どうしてもまことが心配で、一旦自宅に帰ったあと亜美は再びまことの家に行くことにした。先にお邪魔した時には、少なくとも冷蔵庫の中も乏しかったし、あの状況で自分で何か料理することも厳しそうに思えたからだ。
 そして何より、一人でいるまことに何かあったらと思うと気が気ではなかったから。だからいろいろ食料や水、自分が泊まるための一式を鞄に詰め込んで、亜美は制服のまままことの家にとんぼ返りをした。

 そしてアパートの下で、亜美より一足先にまことの家に着いたレイと、そのレイと入れる入れないとやり取りするまことを見て、結局声をかけることも出来ずに引き下がったというわけで。

「・・・日中はレイちゃんが少し冷たすぎるんじゃないかって思ってたら、今のまこちゃんも結構・・・正直、よくわからないわ」
『それはあの二人にしかわからないでしょう。二人のことなんだもの』
「・・・でも」
『まあでも亜美ちゃんだってどっかでレイちゃんは絶対来るって思ってたんじゃないの?だからそうやって引き下がってあたしに電話かけてんでしょ』
「・・・わからないわ、正直」

 日中、先に帰ったレイを見ながら、美奈子は嘘でなくほんとうに笑顔だった。うさぎも最初はぎこちなかったが笑っていた。自分だけが周りに合わせた偽の笑顔を作って帰って、今日は母もいないしやっぱりまことの家に戻ると美奈子に言って、いざ来てみれば結局自分だけが弾かれた。
 レイより先にまことの家に着いていれば、自分もまことにああいう風に拒絶されたのだろうか。そしてそれで強気なことが言い返せただろうか。第一、レイが先に来ているからと言って、自分が引っ込む理由はない。別に看病する人が二人に増えたところで問題はないはずなのに。

 それなのに、今こうやってまことのアパートの前から動けない。

『あの二人にはあの二人の付き合い方ってもんがあるのよ。でも亜美ちゃんは友達としてまこちゃんがすごく心配だったから行こうとしたんでしょう?それはそれですごくいいことだと思うわよ』
「・・・でも」
『でも結局、レイちゃんになら任せて大丈夫だって思ってるから入らないんでしょ。言っちゃ悪いけど、今のまこちゃんとうさぎで二人きりだったら余計心配になるから放っておけないだろうし』
「・・・あなたと二人でもね」
『うわっ、ひどい亜美ちゃん!』

 美奈子は本気で驚いたように亜美に言い返したが、電話での美奈子の気遣いは亜美に伝わっていた。こういう態度が取れるのがうらやましい。こういう態度を取ってくれてうれしい。おそらくうさぎも、あの場でレイを信用していたのだろう。

 みんな、それぞれ、心配して信用し合っている。すれ違うこともあるけど、結局レイがまことのところに来て一番安心しているのは亜美だった。それなのに、美奈子から言ってもらわないとそんなことも自分でわからなかった。
 この人にはかなわない。そんなことをぼんやりと考える亜美の耳に、少しだけ美奈子の真面目な声が届いた。

『・・・で、亜美ちゃん。あなたはどうするの?』
「え?」
『お泊りグッズ抱えて、まさか誰もいない家に戻るとか考えてないわよね』
「・・・・・・・・・・・・」
『ママが亜美ちゃんの分のご飯も用意してくれてるから、早くいらっしゃい。それとも今から迎えに行きましょうか?』

 さっきは、まこちゃんの家にいるんじゃないのなんてとぼけて聞いてきたくせに。
 本当にこの人にはかなわない。そう思った。携帯を握りしめる。少しだけ鼻の奥が熱くなった。

「・・・・・・遠慮するわ」
『え、来ないの?』
「・・・自分で行く。いくら私でも、あなたを夜ひとりで歩かせることが平気で出来ると思わないで」

 それだけ言って、返事を聞かずに亜美は電話を切った。これ以上やり取りを続けていると少しだけ泣いてしまいそうだったから。
 冬の風で頭を冷やしながら、ようやくまことのアパートから目を逸らし亜美は歩きはじめた。







 ようやくまことの家に入ったレイは、日中とは違う違和感を感じていた。室内が真っ暗なのは寝ていたからだろうが、まことがぼろぼろで植物たちに元気がないのもそうだが、室内の熱がいつもと違う。暑いわけでもなく、むしろ何の空調もない室内は冬そのものの冷たさだが、渦巻く熱が確かにある。雨でもないのに雨合羽を着せられてゴム手袋をはめさせられて、給食当番みたいな格好でいるそれだけでも十分な違和感なのに。しかしレイはなにも聞かずベッドサイドにぺたんと座る。
 ほんとうに具合が悪いのか、まことは、布団を頭までかぶって芋虫のようになっているだけで口も利かない。

「・・・まこと。窒息するわよ」
「・・・・・・・・・・・」
「ご飯食べたの?熱は測った?」
「・・・・・・・・・・・」
「それに、見た感じ汗かなり汗かいてたから、着替えたほうがいいわよ」
「・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・」

 しかしレイの問いかけに、まことは微動だにしない。
 ついさっきまで起きていたのに寝ていることはないだろう。気長に付き合おうと最初は思ったが、さっき一度ドアを閉められて腹が立っていたこともあって、レイは実にあっさりキレた。

「返事しないなら意識不明とみなして救急車呼ぶわよ」
「・・・・・・・・・・・・」
「ほんとに呼ぶわよ」
「・・・・・・‥ああもう」

 そこで観念したのか、煩わしそうな顔でまことは布団から顔だけ出した。熱のせいか布団にこもっていたせいか顔は真っ赤で、心なしか呼吸も荒い。誰がどう見ても立派な病人のくせに、どうしてそんな態度を取られるのかやっぱりレイには分からない。

「熱測らなくても・・・いつも・・・こんな感じで・・・汗とかかいてしばらくしたら熱下がってるから・・・もう、放っといて・・・げほっ」
「だからってそのままでいたら脱水症状で余計具合悪くなるわよ。水くらい置いておきなさい」
「・・・いらな・・・げほっ」
「咳も出てるじゃない・・・いらなくても飲みなさい」

 まことはこんこんと痰の絡んだ咳をする。誰が見てもひとりでは置いておけない状態だった。いつもこんな感じで、と言うが、今までこういう状況でいつも一人だったのかと思うと、わけもなくレイは悔しくなる。ゴム手袋ごと手のひらを握りしめた。
 だがそれでまことを責めてどうにかなるものでもない。マスク越しに大きく息を吐くと、レイはできるだけ落ち着いた声を出した。

「・・・正直なところ、着替えたほうがいいし、水も飲んだ方がいいし、なにか食べたほうがいいわ。そのあとで本当に寝たいならそれで構わないから」
「・・・・・・・・・・・・・」
「あなたがいいなら、着替えも取って来る。飲み物も持ってきたし、食べられそうなもの作る。一人にしたくないけど、なにか欲しいならすぐ買ってくる」
「・・・・・・・・・・・・・」
「ほんとうに動くのがだるいなら、私が着替えさせる。食欲がないにしても、なにかひとくちでも入れさせる。あなたがよくなるならなんでもする」
「・・・・・・・・・・・・・」
「・・・まこと」
「・・・・・・・・・じぶん、で、きがえる・・・」

 ようやく観念したようにまことは、重そうに体を起こした。部屋全体の熱がゆらりと動いでレイに流れる感覚がする。ベッドから体を引きずり出して大きく息をつくまことは本当に動くのもつらそうだった。

「・・・だいじょうぶ?やっぱり私が取って来るから」
「・・・いい。ほんとうに、だいじょうぶ」
「・・・でも、あぶな・・・・・・っつ!」

 そこでまことはよろめいた。レイは反射的にまことの体を支えた。そして耳の、ピアスの部分に来る弾けるような衝撃に瞳孔がぎゅっと絞られる感覚がした。一瞬見えた火花は目の錯覚か本物か、そんなこともわからない。
 そこでまことがレイを振り払うようにして、逆に尻もちをついた。じんじんと痛む耳に、レイは暗がりの中まことを見て、ようやくゴム手袋と雨合羽、そしてまことが誰もそばに置こうとしなかった理由に気づいた。

「・・・まこと。あなた・・・」

 帯電体質は知っていた。冬場は静電気がひどいのも知っていた。具合が悪くなると顕著になることも知っていた。だが、ここまでひどいのははじめて見た。頭で理解して、ずっと部屋にいて感じた違和感の正体に気付いた。
 室内は、普通の空気より強い電気が渦巻いている。炎の戦士であるレイはそれを熱として感じ取っていただけだ。

 それで、全部つながる。日中触れさせてくれなかったのも、部屋が真っ暗なのも、空調がないのも、熱を計りたがらないのも、さっき来たときインターフォンを使わなかったのも、レイを入れるために一度ドアを閉めたのも。

 全部、金属や電化製品を通さないためだ。今だって、雨合羽を着込んでいるはずのレイのピアスに放電した。なんとか対策を講じても、それでも。

「・・・来てくれてありがとう。でも、やっぱり、ほんとうに帰った方がいい」

 ぐらぐらと震える目でレイを見つめるまことからは、体調不良とは別の心の揺れを感じる。頑なな拒絶に憤りを感じていたはずなのに、今度は今まことにこんな顔をさせている自分に憤りを覚えた。

 かぁっと頭に上がる熱。

 そうなると、レイの行動は早かった。
 ゴム手袋を外し合羽を脱ぎ捨て、さっきのまことがやったようにまことの方に放った。驚きに目を細めるまことを気にせず、ピアスを外し腕時計を外し、制服も脱いだ。スカートも脱いだ。ブラジャーも放った。

「・・・な、なにしてる!?」
「あなたが合羽着なさい。あと、箪笥開けるわよ」

 下着一枚でまことのそばを横切って、返事を聞かずに箪笥を開ける。タオルと、寝巻きの代わりになりそうなトレーナーとパンツをまことの方に放る。それでまたまことの隣を横切ると、自分の鞄を掴む。

「・・・着替えさせてもらうのが嫌なら、自分で着替えなさい。私も着替えて、何か作る」

 制服やブラジャーには、少ないが金属が付いているので、着ているのは危険だとレイは思った。
 大体雨合羽なんか着ているから、どれだけ電気が渦巻いているか感覚で分からないのだ。それに、あの、まことがドアを開けてから、中に入れてくれるまでのタイムラグから察するに、合羽と手袋を探しに行ってたのも分かった。

 でも、一人暮らしなら、合羽なんて一枚あれば十分だから、見つからなくて。それまで彼女は合羽をを着ていたのに。

 今度は目元に熱が来る。まことがこんこんとむせる音を背中で聞きながら、レイは唇を噛みしめ一度部屋を出た。





 金属の埋まっていない寝巻きに着替えたレイは、暗い台所で難儀していた。

 室内はブレーカーそのものが落とされていて、主だった電化製品にはカバーのようなものがかかっている。冷蔵庫の中はほとんどなく、冷凍庫も空だった。氷すらない。目を凝らし感覚を頼りに見ると、足元に小さなクーラーボックスと発泡スチロール箱が置いてあり、中身はこちらに移動したのだろう。

 彼女が風邪をこじらせると、ここまで気を遣わなければならないのだ。

 合羽を脱いでから、少し動くだけで肌にぴりぴりと霊気に似た電気の感覚を感じる。思えばレイが来る前から室内は真っ暗だったし、彼女自身が合羽を着ていたところで電化製品には悪影響だったのだろう。今だって、まこととこれだけ離れていても感じる。微かに平衡感覚が狂ったような心地がして気分が悪い。
 閉め切って静電気の檻のようになった空間。合羽を着ても完全ではない防電。着ていてもまこと自身の方が静電気の被害は受けるだろうに、だけどそれをレイに譲って、電気の元である自分からなんとか距離を置いて、まことはなによりもレイを守ろうとしていた。

「・・・・・・・・・・・・・・・」

 灯りをつけることも出来ないもどかしさに、レイは奥歯を軋ませた。ほんとうに、来ない方がよかったのかもしれない、と思った。結局病人のまことに気を遣わせて、苦しい思いをさせて、こんな時ですら守ってもらって。

 だがそれでは本当に来た意味がない。このまま帰るなんて、できなかった。

 まことの部屋は月明かりや街灯の明かりが透けていたが、台所はほとんどそれが入らない。電化製品のランプすらない室内は都会に馴染みのない暗闇で、霊気に似たぴりぴりとした感覚と閉め切って澱んだ空気は、それこそなにか化けて出そうだった。だが、レイは記憶と感覚を頼りにコンロを捻る。灯る炎。少し、だがとても大きい灯り。電気がなくても炎があれば。

 仄かな明かりの中で鞄を開く。戸棚を開け鍋を探す。鍋からくる静電気に一瞬火花が散り一度手を引いたが、袖を手のひらにかぶせて取っ手を掴む。蛇口も同様静電気に気を付けながら水を出す。
 これでお湯は沸かせる。電子機器の類は使えないが、インスタントのおかゆくらいは作れそうだ。





 おかゆを温めた後、レイは鞄からジュースとミネラルウォーターのペットボトルを引っ張り出し、暗がりの中洗面器に水を張り、タオルを引っ張り出して慌ただしくまことのところに戻る。直接触れることも出来ない以上できることより限られているが、それでもできることはしたかった。

 月明かりに少しだけ明るい室内。針が狂ってしまったのかそれともまことが先に電池を抜いてあるのか、時計の秒針すら聞こえない。炭酸水に体を沈めたようなぴりぴりした感覚がレイにまとわりつく。
 まことはどうやらきちんと着替えたらしく、脱いだ服を抜け殻のように置いて布団にもぐっていた。服を脱ぎ捨てそのまま放置しているのは、やはり具合が悪いのだろう。

 ほんとうはシーツも変えたいけど、もうまことを動かすのもためらわれる。レイはいろいろ考えながら声をかけた。

「まこと、だいじょうぶ?おかゆあるけど、食べられそう?」
「・・・・・・あんまり」
「熱と咳だけ?どこか痛いとか、気分悪いとか、そういうのはない?」
「関節が・・・だるい・・・ごほっ、げほ」
「それは熱のせいね。吐き気とかがないならまだよかったわ」

 布団の中に完全に潜りながらも、もうまこともさすがに覚悟を決めたのか、レイの問いに素直に応じる。帯電は周りに影響を与えてはいるものの、静電気を起こす以外特にまことの体に悪影響を及ぼしているわけではなさそうで、そのことにまずレイは安堵する。

「・・・悪いけど、ストローとか、ロウソクとか、あったら場所を教えて」
「・・・ストローは、台所のキャビネットの引き出しの左側に・・・ロウソクは・・・・・・電話の下の引き出しの中」
「分かった。ジュース飲むとき、あった方がいいでしょ。それに少しは明かりもあった方がいいだろうし、ロウソクも使わせてもらうわ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「そんなに布団かぶってちゃ息苦しいでしょ。私は平気だから、顔出して。濡れタオル、頭に置いても平気そう?」
「・・・・・・いい」
「わかった。じゃあ普通のタオルと濡れタオル置いてるから、もし汗ふきたくなったときとか使えそうな方使って」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「ほかになにか、してほしいことある?私にできることなら」
「・・・・・・レイ」
「なに?」

 マスクと布団越しにもごもごと聞こえるまことの声。それでもようやく今日、名前を呼んでくれた、と思った。レイは静かに返事をする。

「・・・いたく、ない?」
「・・・ちょっとね」
「きぶん・・・わるくないか」
「我慢できるから」

 さっきレイがまことに問いかけたものと逆の質問。ここはなんでもないといった方がいいのかもしれないが、そんな嘘はとても安っぽく感じたのでレイは素直に返した。
 さっきまで合羽を着ていなかったまことと、今着ていないレイ。既に放電している行き場のない電気が部屋に澱んでいる。まこととのこの距離だと、台所よりも電気の感覚は強くなる。
 びりびりと皮膚を刺激する感覚。平衡感覚を失ってしまいそうな強い磁気。それでなくても敏感なレイは、座っているだけでも正直くらくらする。少しなら平気だが、ずっとこういう場にいるのは。

 これではまことに何かあった時に救急車を呼ぶどころか、一晩ここにいれば先に自分がやられてしまうかもしれない。まことがよくなるのが先か、自分が倒れるのが先か、せめて明るくなるまでになんとかなればいいけれど。レイはぼんやり思う。

 触れることもできない。家事もろくにできない。ここにいてできることなんてない。それどころかここで先に倒れたら、間違いなくまことの負担だ。それでも。

 それでも。

「・・・今日・・・学校いるとき、もう、具合悪かったんだ。体熱いのに寒くて、息が苦しくて、胸が痛くて」
「・・・ええ」
「みんなにわからないようにしたつもりだったけど、ばれちゃって・・・みんなきてくれて、うれしかった、のに・・・ほんとうにうれしかったんだ・・・でも」
「ええ」
「はやく帰ってほしいってずっと思ってた・・・気にかけてくれて、うれしいはずなのに・・・がまんしてた・・・がまんしてた分、それで今、よけいひどくなって・・・こんなひどいのはじめてで」

 まことががまんしてた、というのは放電のことだろう。放課後すぐに3人はまことを送ったと言っていた。授業が終わるのは大体どこの学校も同じだとしても、レイが部活をやっていたのは放課後三時間ほど。
 その間まことは、みんなと一緒にいて、一緒にいるのを喜んで、具合の悪い体で何とか帯電を抑えようと必死になっていた。まことだけ電話をくれなかったのだって、帰り間際誰も玄関まで送っていかなかったのだって、みんなが出て行ったのを確認してようやく鍵を閉めたのだって、それは。

 その反動がこれだとしたら、もう。

「・・・レイが、走って来てくれて・・・うれしかったのに・・・一緒にいたら危ないって、でももう我慢できないって思ってたのに・・・また来てくれてうれしいはずなのに・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「さっきだって痛い思いさせたのに・・・気分悪くさせるのいやなのに・・・もう」

 まことの言葉は細切れだ。それでなくとも布団越しで聞き取りにくいのに、ひどくこもった声になっていた。もしかしたら泣いているのかもしれない。これまでこんな状況でもずっと一人でいて、やっと一人じゃなくなってもそれで結局彼女を苦しめることになるのかもしれなかった。

 レイは立ち上がる。耳の中で何か弾ける感覚がする。室内の熱が動く感覚。よろける。持ち直してまことがかぶっている蒲団を掴む。ぱちぱちと抵抗がくる。ほんの少し顔を出させるだけで、炭酸が弾けるような音がばちばちと耳に届く。
 まことは泣いていた。でも、そこで、ようやく目が合った。

「暗いのも、痛いのも、気分悪いのも、全部我慢できる」
「・・・レ、イ」
「でもあなたを一人にするくらいなら・・・それだけは・・・我慢できない」
「・・・あたし、もう」
「あなたも、つらいならつらいって、言えばよかったのよ。ほかのみんなだってあなたが夜そんな風になってるって知ったら、誰も我慢できないから」
「・・・がまん・・・したくないんだ」

 ぽろり、とこぼれる涙。繋がっているのか繋がっていないのかもわからない会話。レイは足元がおぼつかなくてくらりとする。まことが我慢していたのは、帯電か、それとも一人でいることか。どちらかを取ればどちらかを我慢しなければいけないと思っていたから。
 どっちも我慢しなくていいはずなのに、意地を張って、こんな風にずっとつらい思いをして。

「ずっといるから・・・隣にいるから・・・絶対帰らないから」
「・・・・・・・・・・・・・」
「あなたにも・・・痛い思いをさせるかもしれないけど」

 脳がぐらぐらする。皮膚の上でぱちぱちとなにかが弾けている感覚がする。なんとか腰を折って、レイはまことの額にキスをした。
 一瞬触れただけなのに、唇から火花が出てレイは弾けるようにまことから離れる。まことはとっさに額を押さえた。赤くはれるおでこをさする顔は泣いていたけれど、それでも少しくしゃりと崩れた。

「・・・・・・いやじゃ、ないでしょ」

 いつもと違う、でも今日ようやく見ることができたまことの本物の笑顔だった。

「・・・なあ、レイ」
「なに?」
「・・・電気、なおったら・・・さ、キス、してくれる?口のほうに」
「・・・なおったら、ね」

 レイもしびれる唇を押さえながら笑う。
 なにもできない暗い夜も、痛いのも怖いのも気分が悪いのも、一人じゃないからもう怖くない。







「おはよう、亜美ちゃん!美奈!」

 次の朝、亜美は学校に行く前、美奈子と共にまことの家に寄っていた。寝ているかと思ってチャイムは鳴らさなかったのだが、遠慮がちに外から呼んだらいつも通りまことが笑顔で出てきた。しかもエプロンをしていて、いかにも今さっきまで家事をしていましたといった様子で。
 その様子に逆に亜美と美奈子は面食らう。

「おはよーまこちゃん・・・元気そうね」
「お、おはようまこちゃん。大丈夫?昨夜は」
「ああ、うん。ちょっと熱出たけど、一晩しっかり寝たらもうすっかりだよ!いっぱい汗かいたから今ちょっとシーツとか洗濯してて」
「そうなの。具合がよくなったのならよかったけど・・・学校は?」
「ああ、それなんだけどね、昨日の今日だし、また咳とか出て周りに迷惑かけたりしたくないから、大事を取って今日は休むことにするよ。家事もたまってるし・・・亜美ちゃん、悪いけどノート頼んでいいかな?」
「え、ええ、それはもちろん。まこちゃん、ゆっくり休んで」
「しかし元気そうねぇまこちゃん。びっくりしちゃったわ」
「まあね。いつまでも寝てらんないし」

 休むと言っているわりに家事をする気力はあるのだろう。昨日と違い無理して笑っている風でもなく、亜美は一応は安心した。レイは出てこないが、もしかしたら一足先に学校に行ったのかもしれない。わざわざ聞くこともない気がした。

「まこちゃん、じゃあノートもあるし、帰りも寄っていいかしら?」
「え、ああ、もちろん。待ってるよ。じゃあクッキーでも焼いておくかな」
「クッキーやったーって言いたいとこだけどさぁ・・・まこちゃん、大人しくしてなさいって」
「いや家にいる分にはもう平気だしね。学校は周りに迷惑かけたらいやだから休むけど・・・」
「・・・そうね。家事は仕方ないにしても、家からは出ないでね。まこちゃん、心配だから・・・あの」
「ん?なんだい亜美ちゃん」
「よかったら、帰りに差し入れするから・・・何か欲しいものがあったら買ってくるわ。なにかある?」
「んー・・・」

 まことは玄関前、少し考えるしぐさをする。口元に手をやって、少しだけ。そして、亜美の高さに目線を合わせた。

「じゃあ、お金は出すから、雨合羽とゴム手袋・・・そうだな。一つずつ買ってきてもらおうかな」
「え?食材とかじゃなくていいの?雨合羽って・・・」
「うん。最終的には四つそろえるつもりだけど、あと一回くらいは・・・まだあと一つでいいかなって。お願いできるかな」
「?」
「あ、先にお金渡すね。ちょっと待って」

 そこでぱたぱたと音を立てて一度室内に戻るまことの意志は、亜美にはわからない。ただ、その後ろ姿はとてもとても嬉しそうに見えた。昨日結局まことのそばにいることはできなかったけど、その様子を見るに、レイに任せてよかったのだとも思う。
 やはり二人には二人の付き合いがある。信頼できる。あの夜は二人のことで、二人で大丈夫だった。これから何があっても、きっと大丈夫だ。

「・・・ごめんお待たせ。じゃあ、このがまぐち渡しておくから、お願いしていいかな」

 そこで戻ってくるまこと。がまぐちを亜美に両手を添えて渡す。受け取る亜美。がまぐちの上に絆創膏。亜美が首を傾げるより先に、手を握ったまま亜美の耳元に口を寄せて、亜美にしか聞こえないようにまことは囁く。

「・・・襟元。跡、見えてるから、貼っといたほうがいいかも」
「・・・・・・っ!」
「じゃあ、放課後、待ってるよ」

 そこで固まる亜美から離れ、まことはアパートの階下に向かい手を振る。それを見て美奈子も振り向いて、階下にうさぎが来ていることを確認する。そしてまたまことを見る。うさぎに手を振るその姿は本当にうれしそうだ。
 やっぱり、ずっと一人にしておけない。いつも一緒にいることはできないし、いるべきでないときもあるけど、一緒にいることでこんな笑顔が見られるなら、と美奈子は思った。

 みんなこうやって心配してるんだから、とその横顔を見つめ心の中で呟く。うさぎが上がって来るのを見て、美奈子はまことから目線を外し未だ固まったままの亜美を引っ張った。

「じゃあまこちゃん、あたしたちそろそろ行くけど・・・また放課後、絶対来るからおとなしくしてるのよ」
「うん、待ってるよ。行ってらっしゃい」
「おはようまこちゃん大丈夫!?心配してたんだから・・・って、美奈Pに亜美ちゃんも来てたんだ?」
「今来たとこよ。でもまこちゃん大丈夫だし、うさぎ、もう学校行きましょー。亜美ちゃんも」
「亜美ちゃんって・・・亜美ちゃん、顔真っ赤だけど、熱あるの・・・?」
「あら亜美ちゃんどうしたのかしら。チゲ熱?」
「知恵熱だろなんだそのおいしそうな熱。でもいいね、チゲ。晩ごはんそれにしようかな」
「ええなにそれ食べたい!」
「じゃあご馳走するから、みんな帰りに自分の入れたい具買ってうちにおいで」
「やったー!って、亜美ちゃんいつまで固まってるのよどうしたの?」
「あ、三人ともそろそろ行きなって。遅刻するぞー」
「え、あー!」

 そこでどたばたと足音を立て、亜美をずりずりと引っ張るように美奈子とうさぎが駆ける。亜美ちゃんの靴底学校まで持つかな、なんてのんきなことを考えながらまことはその姿を見送る。三人が見えなくなるまで見送って、大きく空に向かって伸びをした。

 シーツとパジャマは洗ったから、少し遅めの朝食の準備をしよう。レイが置いておいてくれたおかゆがいい。そのあと植物たちに水をやって、陽の光をいっぱい浴びさせよう。昨夜の静電気でほこりが浮いているだろうから、拭き掃除もしたい。落ち着いたらシャワーも浴びて―とこれからの予定を頭で組み立て室内に戻る。

「・・・そうだ。先に、学校に休むって言わなくちゃ」

 歩きつつ関節を伸ばしながら、まことはまず電話に向かう。かける先は学校。自分の学校ではなく、TA女学院の方。
 何番だっけ、と思い直して自分の部屋に戻って、ハンガーにかけたレイの制服の中から生徒手帳を失敬する。当のレイは、ベッドでぐっすりと眠っていた。

「昨日、疲れてたもんなぁ・・・」

 昨夜ずっと、レイは熱が下がるまで隣にいてくれた。ロウソクの火を見つめながら、なにかできることはないかとずっとまことのそばにいた。そしてまことが一人で起きられるようになって電気も落ち着いた明け方、いつもはレイが起きだすはずの時間、ソファに崩れるように眠ってしまった。
 前日は部活で疲れていたのも知っていた。まことの家に来た時間から考えるに、昼から何も食べていないだろうことも。誰よりも敏感なくせに、強い磁気のある部屋で一晩起きていたのも相当な疲労だったろう。
 朝になり、まことが自分のベッドのシーツを取り換え、レイの服を着替えさせ、ベッドに運んでも、窓を開け空気を入れ替えてても横で散らかった服を片づけても、あの三人が家の前で騒いでても身じろぎもしない。

 これじゃどっちが病人だか。

 まことは少しだけ咳をして、それから一人照れたように微笑む。学校をさぼらせることになってしまったが、それでもずっと隣にいると言ってくれたのだから、言ったことには責任を取ってもらう気だった。あと起きたらすぐに何か食べられるように、何か作っておこう、それもまことは一日の計画に入れる。
 それと、もう一つ。

「・・・起きたら、いっぱいキスしてもらうから」

 答えないレイの額に、キスをする。もう火花は散らない、痛くない。それが嬉しくて、そのときがとても待ち遠しい。
 かつてない満たされた気持ちだった。鼻歌を歌いたい気持ちで、まことは足音に気を付け電話機に向かった。











                        *****************************


 まこちゃんの帯電体質設定大好きなので、ごりごり書いてたら自分でも信じられないほど長くなりました(笑)しかも書いてるうちに、話の流れ的に本来書きたかったシーンをばっさりカットする羽目になったという・・・
 みなあみがお泊りで何をしていたかは、想像にお任せいたします。

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2 コメント

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うひょー (マー坊)
2013-02-16 00:00:26
 どうもふるっち☆さま。いつもありがとうございます。

帯電体質設定いいですよね!同志様!(キラッ)うちのサイトの場合まこちゃんの方も相当そっけない気もしますが(笑)

 亜美まこはちょっと狙いましたwまこちゃんにいじられてる水野好きなもので・・・あと水野は中の人の影響で笑い担当という誤った認識もちょっとあります(笑)


 あと、はい。新作前ラストオンリー記念ということで思いきって初参加します見つけていただいてありがとうございます(震)
 まだなにを書くかも未定ですが、いらっしゃるのでしたら是非ともお声かけてやってください!不審な関西人がいたら私です(笑)

 では、コメントありがとうございました~!
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Unknown (ふるっち☆)
2013-02-15 10:19:06
まこちゃんの帯電体質ネタ好きですU+2669
そしてレイのそっけない態度の裏側にチラつく愛、、、みたいな?(笑)

今回は亜美→まこな要素もあるのかなと思いましたが、最後はやっぱり美奈とww

ずるずると固まったままひきづられていく亜美ちゃんを想像して笑えました(笑)
靴底の心配まで(ノ∀`)ww

今回も素敵な作品ありがとうございました☆
マー坊さんもオンリーも参加されるのですよね?<参加リストより。
私は一般参加予定ですが、お会いできることを楽しみにしておりますU+2669(=゜▽゜)ノ
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