今日は中3生の子らが通算3度目の県模試に挑戦しました。
私はレポートやら課題があったのでそれらをこなしてから、
様子を見に塾へ。
数学やら英語は大分安定したきた子も多いですが、
理社はまだ点数が伸びてこないようです。
模試は結果じゃなくて復習して身につけてこそとは言うものの、
そろそろ学習の成果が点数として返ってこないと
モチベーションが下がってしまうので、
どうにかしてあげたいところ。
現在私の方で集団は理科に専念できるように
してもらったのですが、
1週間に1回60分ではどうにもこうにも、
宿題やら課題でカバーしていきたいのですが、
まずは本人のやる気を大きく盛り上げる何かが欲しいところです。
ただ、他人の意識改革なんてものはそう簡単に出来るものではないです、
特に私自身が勉強に対する意識がそう高いものではなく、
中高の学習で本質を理解しようとしていたわけでもなく、
いわゆる詰め込み学習をしていたことは否めません。
学生時代、特に中学や高校において
「この勉強は将来役に立つの?」
は誰もが一度は考えるものではないでしょうか?
私もそれについてはあれこれと考えたし、
先生方からもたくさんの答えを聴かせてもらいました。
それが真に正しいという答えはないと思います、
自分自身を突き動かす動機になり得れば、
捉え方が間違いであっても構わないとも思っています。
ちなみに私自身が中学生の頃持っていた答えは
「将来役に立つのではなく、その将来を過ごす場になる社会に出る(認められる)ために(勉強は)必要」
もし、非の打ち所のない論理で「この勉強は将来役に立つの?」
という問いに対して「役に立たない」という答えを返せたとしても、
私達を取り囲む社会は、それを認めてはくれません。
だから与えられた勉強をただひたすらにこなしていたというのが中学時代、
ただ、その動機付けだけでは中学とは比べ物にならない勉強量を要求される
高校では足りなくなってしまいました。
一時期は「役に立たない」という甘い考えにすがりたくなりましたが
(特に英語とか古典)いろいろ考えた結果出した結論は
「役に立つのかわからないのだから、やるだけやって、
将来役に立たななかったら声高に役に立たないと叫べばよい」
私は、「あまり触れもしていない、知ろうともしていないのに何かを批判したり侮る」ということが大嫌いです。
例えば、高校時代の恩師なのですが、唯一納得できなかったことが
「自分の子どもにはテレビゲームをさせていない」ことを、
誇らしげに語っていたこと。
テレビゲームは最近でも、学力調査などで
「点数の悪い」ことの一因として大きく取り上げられますが、
散々ゲームもやってきた私からしてみれば、
「ゲームする」と「勉強できない」は全く別次元の話だと思います。
そんなわけで、「この勉強は将来役に立つのか?」という問いに対して、
納得のいく答えを得るために、他人から見ても納得できるくらい
「この勉強」をしてきたつもりなわけですが、
私も未だ未熟な大学生、
胸を張って「役に立つ!」or「役に立たない!」
と結論付けるのにはまだ少し時間が必要なようです。
話は変わりますというか戻りますが、
今回の県模試は手ぶらで行きました。
前回は果敢(無謀)にも手作りお菓子を持っていたのですが、
あれは若気の至りってものです、
ていうかもはや古傷なのですが、
生徒「先生、今日は洗剤クッキー持って来てないの?」
古傷にさ・わ・る・なヽ (´ー`)┌
結局、夏休みの意気込みむなしく料理スキルレベル1なままですOTL
来年の春休みは「モンハン2ndG!」・・・
じゃなくて料理できるようになりたいと思います。。。ρ(-ω- )
私はレポートやら課題があったのでそれらをこなしてから、
様子を見に塾へ。
数学やら英語は大分安定したきた子も多いですが、
理社はまだ点数が伸びてこないようです。
模試は結果じゃなくて復習して身につけてこそとは言うものの、
そろそろ学習の成果が点数として返ってこないと
モチベーションが下がってしまうので、
どうにかしてあげたいところ。
現在私の方で集団は理科に専念できるように
してもらったのですが、
1週間に1回60分ではどうにもこうにも、
宿題やら課題でカバーしていきたいのですが、
まずは本人のやる気を大きく盛り上げる何かが欲しいところです。
ただ、他人の意識改革なんてものはそう簡単に出来るものではないです、
特に私自身が勉強に対する意識がそう高いものではなく、
中高の学習で本質を理解しようとしていたわけでもなく、
いわゆる詰め込み学習をしていたことは否めません。
学生時代、特に中学や高校において
「この勉強は将来役に立つの?」
は誰もが一度は考えるものではないでしょうか?
私もそれについてはあれこれと考えたし、
先生方からもたくさんの答えを聴かせてもらいました。
それが真に正しいという答えはないと思います、
自分自身を突き動かす動機になり得れば、
捉え方が間違いであっても構わないとも思っています。
ちなみに私自身が中学生の頃持っていた答えは
「将来役に立つのではなく、その将来を過ごす場になる社会に出る(認められる)ために(勉強は)必要」
もし、非の打ち所のない論理で「この勉強は将来役に立つの?」
という問いに対して「役に立たない」という答えを返せたとしても、
私達を取り囲む社会は、それを認めてはくれません。
だから与えられた勉強をただひたすらにこなしていたというのが中学時代、
ただ、その動機付けだけでは中学とは比べ物にならない勉強量を要求される
高校では足りなくなってしまいました。
一時期は「役に立たない」という甘い考えにすがりたくなりましたが
(特に英語とか古典)いろいろ考えた結果出した結論は
「役に立つのかわからないのだから、やるだけやって、
将来役に立たななかったら声高に役に立たないと叫べばよい」
私は、「あまり触れもしていない、知ろうともしていないのに何かを批判したり侮る」ということが大嫌いです。
例えば、高校時代の恩師なのですが、唯一納得できなかったことが
「自分の子どもにはテレビゲームをさせていない」ことを、
誇らしげに語っていたこと。
テレビゲームは最近でも、学力調査などで
「点数の悪い」ことの一因として大きく取り上げられますが、
散々ゲームもやってきた私からしてみれば、
「ゲームする」と「勉強できない」は全く別次元の話だと思います。
そんなわけで、「この勉強は将来役に立つのか?」という問いに対して、
納得のいく答えを得るために、他人から見ても納得できるくらい
「この勉強」をしてきたつもりなわけですが、
私も未だ未熟な大学生、
胸を張って「役に立つ!」or「役に立たない!」
と結論付けるのにはまだ少し時間が必要なようです。
話は変わりますというか戻りますが、
今回の県模試は手ぶらで行きました。
前回は果敢(無謀)にも手作りお菓子を持っていたのですが、
あれは若気の至りってものです、
ていうかもはや古傷なのですが、
生徒「先生、今日は洗剤クッキー持って来てないの?」
古傷にさ・わ・る・なヽ (´ー`)┌
結局、夏休みの意気込みむなしく料理スキルレベル1なままですOTL
来年の春休みは「モンハン2ndG!」・・・
じゃなくて料理できるようになりたいと思います。。。ρ(-ω- )