ハンドルネームにムーミンパパを使っているくらいだから、逃げも隠れもしないムーミン好きである。まあ、その辺のところはこれまで何回もカミングアウトしているからくどくど書くまでもないけれど、そんな私が久しぶりにムーミン関係の本を買ってみた。冨原眞弓著「ムーミン谷のひみつ(ちくま文庫)」である。簡単に言うと研究者によるムーミン・シリーズの解説本なのであるが、ムーミン家族を総括的に論じた後、ムーミントロール、ちびのミイ、ニョロニョロなど、各登場人物(?)ごとに、行動分析や物語の中で果たしている役割などを解説してくれている。
ちなみに、本題とはちょっとずれるが、スウェーデン語の原書ではスナフキンSnufkinはスヌスムムリクSnusmumurik、ニョロニョロはハッティフナットHattifnatという名前だなどという話は飲み屋でちょっと語るうんちくとしてはいいかもしれない。ついでに言えば、原作者のトーベ・ヤンソンはフィンランド人であるがフィン語ではなくスウェーデン語を話す言語的少数派であったことがムーミン物語にも直接の影響を与えているということである。
ともあれ、ムーミン物語の原作が持つ独特の感覚を実に分かりやすく解説されているので、ムーミンフリークにはたまらない一冊ではある。特にあの震災の直後ということもあり、冒頭のムーミン家族の項での解説はかなり心に響くものであった。
「ムーミン谷の彗星」のムーミントロールの冒険や知識には、谷に壊滅的な猛威をふるう彗星のゆくえを左右する力はない。タイミングよく魔法を伝授してくれる助け手が現れるわけでもない。ムーミン谷が奇跡的に救われるのは、たんに彗星の軌道がはずれたせいだ。
たいせつなものは偶然にゆだねられている。これもムーミン谷の重要なメッセージなのかもしれない。
東日本大震災でも、ほんの少しの偶然やタイミングが生死を分けたなんて事例はきっと枚挙にいとまがないだろう。「たいせつなものは偶然にゆだねられている。」それはせつないばかりに悲しく厳しい真実なのだと思う。だからこそ、あまりにも無邪気すぎるムーミントロールのこんな台詞が、現実の困難へと立ち向かう言葉として力を与えてくれるような気がしてくるのである。
彗星、彗星って騒ぐなよ。そんなのぼくたちが家に帰りさえすれば、パパとママがなんとかしてくれるさ・・・・。
曖昧さとアナーキー、温かな家族愛、孤独と自由。複雑なプロットが読む物を惹きつけるムーミンシリーズをもう一度読み直してみたいと思う一冊である。
ちなみに、本題とはちょっとずれるが、スウェーデン語の原書ではスナフキンSnufkinはスヌスムムリクSnusmumurik、ニョロニョロはハッティフナットHattifnatという名前だなどという話は飲み屋でちょっと語るうんちくとしてはいいかもしれない。ついでに言えば、原作者のトーベ・ヤンソンはフィンランド人であるがフィン語ではなくスウェーデン語を話す言語的少数派であったことがムーミン物語にも直接の影響を与えているということである。
ともあれ、ムーミン物語の原作が持つ独特の感覚を実に分かりやすく解説されているので、ムーミンフリークにはたまらない一冊ではある。特にあの震災の直後ということもあり、冒頭のムーミン家族の項での解説はかなり心に響くものであった。
「ムーミン谷の彗星」のムーミントロールの冒険や知識には、谷に壊滅的な猛威をふるう彗星のゆくえを左右する力はない。タイミングよく魔法を伝授してくれる助け手が現れるわけでもない。ムーミン谷が奇跡的に救われるのは、たんに彗星の軌道がはずれたせいだ。
たいせつなものは偶然にゆだねられている。これもムーミン谷の重要なメッセージなのかもしれない。
東日本大震災でも、ほんの少しの偶然やタイミングが生死を分けたなんて事例はきっと枚挙にいとまがないだろう。「たいせつなものは偶然にゆだねられている。」それはせつないばかりに悲しく厳しい真実なのだと思う。だからこそ、あまりにも無邪気すぎるムーミントロールのこんな台詞が、現実の困難へと立ち向かう言葉として力を与えてくれるような気がしてくるのである。
彗星、彗星って騒ぐなよ。そんなのぼくたちが家に帰りさえすれば、パパとママがなんとかしてくれるさ・・・・。
曖昧さとアナーキー、温かな家族愛、孤独と自由。複雑なプロットが読む物を惹きつけるムーミンシリーズをもう一度読み直してみたいと思う一冊である。
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