昨日の坂ツアーのブログに下さったコメントから、面白いことが分かりました。
皆さま、「やげん」って何の事だかお分かりでしたか?
坂の名前を書いている中で「薬研坂」(やげんざか)と云うのがありまして、
『もしかしたら、その坂のちかくに「唐辛子」の老舗があったりして?』と言うコメントを頂きました。
私、「薬研」って何の事だか知らなかったのです。薬の字があるので、何か薬に関係するのかな?位にしか思っておりませんでした。
コメントを頂いて、調べてみましたら、「薬研」ってあの江戸時代に薬をつぶしている道具のことだったのですね。
そして、さらに面白いことが分かりました。
【唐辛子は中央アメリカ・南アメリカ・西インド諸島が原産地で大昔から栽培されていた。
コロンブスがアメリカ大陸発見の時、中南米チリで「インディオ」が痙攣や下痢の薬として使っていた「唐辛子」を発見(1493年頃)それをスペインに持ち帰えった。
その後、スペインから日本へ「漢方薬」として入った。
1625年(寛永2年)薬を工夫し、食に利用できないか考案したのが「からしや徳右衛門」と言われています。
これが後の「やげん堀唐辛子本舗」で「日本三大七味」の一つです。
*「薬研堀」の言われ
正保2年に大きな堀を持つ徳川幕府の米蔵「矢ノ倉」が出来た。元禄11年に火災で焼失、以後蔵は築地へ移転。
その後、堀の一部が残り、底がV字形で浅く「薬研」の形に似ていたので「薬研堀」の
地名になった。安政6年の地図には「薬研堀」が在り、嘉永3年には「薬研堀」と名が記されています。
この「薬研堀」には「元柳橋」が架かり、花柳界に通う芸者衆も多かった。また医者も多く暮らした。】
きっと薬研坂も、この薬研のような形の坂だったか、近くにそれこそ、「唐辛子屋さん」があったからかもしれませんね。
いや~、1つ利口になりました!
こうしてみると、坂ツアーも捨てたものじゃないですね。
エルムさんの博識に乾杯!
皆さま、「やげん」って何の事だかお分かりでしたか?
坂の名前を書いている中で「薬研坂」(やげんざか)と云うのがありまして、
『もしかしたら、その坂のちかくに「唐辛子」の老舗があったりして?』と言うコメントを頂きました。
私、「薬研」って何の事だか知らなかったのです。薬の字があるので、何か薬に関係するのかな?位にしか思っておりませんでした。
コメントを頂いて、調べてみましたら、「薬研」ってあの江戸時代に薬をつぶしている道具のことだったのですね。
そして、さらに面白いことが分かりました。
【唐辛子は中央アメリカ・南アメリカ・西インド諸島が原産地で大昔から栽培されていた。
コロンブスがアメリカ大陸発見の時、中南米チリで「インディオ」が痙攣や下痢の薬として使っていた「唐辛子」を発見(1493年頃)それをスペインに持ち帰えった。
その後、スペインから日本へ「漢方薬」として入った。
1625年(寛永2年)薬を工夫し、食に利用できないか考案したのが「からしや徳右衛門」と言われています。
これが後の「やげん堀唐辛子本舗」で「日本三大七味」の一つです。
*「薬研堀」の言われ
正保2年に大きな堀を持つ徳川幕府の米蔵「矢ノ倉」が出来た。元禄11年に火災で焼失、以後蔵は築地へ移転。
その後、堀の一部が残り、底がV字形で浅く「薬研」の形に似ていたので「薬研堀」の
地名になった。安政6年の地図には「薬研堀」が在り、嘉永3年には「薬研堀」と名が記されています。
この「薬研堀」には「元柳橋」が架かり、花柳界に通う芸者衆も多かった。また医者も多く暮らした。】
きっと薬研坂も、この薬研のような形の坂だったか、近くにそれこそ、「唐辛子屋さん」があったからかもしれませんね。
いや~、1つ利口になりました!
こうしてみると、坂ツアーも捨てたものじゃないですね。
エルムさんの博識に乾杯!
ひょうたんを持って行って満たしてもらい、お代を払うなんて、江戸っぽくて良いですねぇ~。
江戸と言えば、今、「江戸しぐさ」と云うのが流行りですよね。
例えば、狭い路地で傘をさしていて人とすれ違う時、ちょっと傘を斜めにするとお互いが譲り合えるじゃないですか、それが江戸時代の人々の思いやりなんだそうです。
これって良いですよね。風情があって。
古き良き時代の良いものを受け継いでいきたいものです、本当に。
恐れ入ります。ありがとうございました。
実は、年に一度、デパートで「江戸老舗祭り」と云うのがありまして「やげん」の唐辛子を
購入しているのです。
木製のひょうたんの唐辛子入れを持参し、
それに一味唐辛子を満たして頂いて、御代を
払うという売買です。
唐辛子を搗く機械も運び込まれていて
トントンという音が、江戸のその当時を
偲ばせます・・・
古きよき時代をずっと残して頂きたい
ものですね。