安心だ 安全だ

このごろ老人や子供の誘拐・殺傷・強盗など痛ましい世の中。警察も不祥事。どうしたらいいんでしょう?

もんじゅと住基ネットの2つの裁判

2005-05-31 08:27:06 | Weblog
高速増殖炉「もんじゅ」の安全性確認は問題がなかった、と言う判決と住民基本台帳のネットが違憲だ、と言う判決が同じ紙面(朝日新聞)にでていたのは何とも興味をそそられました。

液体ナトリウムによる冷却そのものも結構危険だと思いますが、(実際に事故が起きて、どの様な状態だったかは明らかですが)その必然性はどうもよくわからないところです。お詳しい方が読まれたらコメントいただければうれしいです。
でも、ナトリウムは空気に触れたり、水をかけると激しい化学反応を起こすのですから、やはり危険と言えます。「考え方として、危険ではない」ということなのでしょうかね?でも、その考え方のもとで事故は起きました。考え方自身が問題があることにほかならないのでは?とおもいます。

もう一つの住基ネットですが、これは個人情報保護法とのかねあいで、今後もあまりいい裁判結果はでないような気がします。戸籍を管理しているもの(市町村)が、本人に無断で国に情報を漏洩することになるのですから、無理があろうというものです。しかも、戸籍をとるのに1分1秒を争うような場面はどうも考えにくい。国民層背番号制の導入だという方がよほど説得力があります。しかもネットを使うメリットとその構築費用のバランスもよく分からないし、普及率も0.5%に達しない。これでは進めるほうに無理があるとしか思えません。

この2つの判決が対照的なのは「安全基準に抵触するというのは拡大解釈」という考え方と、「将来悪用される可能性が否定できない」という、「事柄が有罪的か、無罪的か」という考え方で真っ向から対立していることです。機械もので言うならば「フェイルセーフ」失敗が起きても安全側にうごく、というやつですね。これはいいことだと思います。悪用を想定するというと罰則に走りがちななかで、法律に枠をかぶせるのですから、画期的といえるでしょう。

対して、最高裁の判決は後進的と言いますか、伝統的と言いますか、現状追認ですね。「封じ込めたものは必ずでてくる」が、エントロピーの大原則だと思うのですが。

通り魔

2005-05-30 07:08:58 | Weblog
大阪で男性がやられました。何でも鎌のようなものということですが、これは避けようがありませんね。せいぜい手の届かない距離を保つだけで、犯人は「やる気」だし、被害者の方は何がなんだか・・状態な訳ですから。

昔、草刈り鎌を振り回して、茅をばさばさとなぎ倒すのに一種の快感を覚えたものですが、これを人間でやられちゃたまりません。何とも物騒な話です。早く犯人が検挙されることを望みますが、あっという間のことで記憶も目撃情報も少ないのがこの種の犯罪の特徴です。

監視カメラしかないのでしょうか?

靖国問題と国会議員の発言

2005-05-28 10:02:37 | Weblog
どうも国会議員やら閣僚というのは「人が見たらなんと思うか」を考えないんでしょうかね。

特に靖国の問題は、「それを信仰しているのは私の問題で、日本国民の思いではない」という強弁が通用すると考えているのでしょう。
外国の首脳が「実は・・」と本音を漏らして、とんでもないことをいい、問題になったとします。日本人は「あれはアメリカ人の一人が言ったのだ」と考えるでしょうか。「アメリカ人はみんなああ思ってるんだ」と思うでしょう。「自分が国を代表している」という意識にかけるんじゃないでしょうか。

選挙で選ばれると言うことは、その人が「国を代表する」ことですね。会社でも外交にでたものの顔が会社の顔になるのです。そこでの言動はすべて「会社の言動」です。どんな下っ端や、アルバイトやパートでも同じです。

それがわからないのかな~ わからないから日中の子供のけんかみたいになるのでしょうね。

動き出した牛肉問題

2005-05-28 09:50:56 | Weblog
骨なし牛肉とはよく言ったものだと思います。アメリカの言い分にお墨付きがついたようなものですが、「骨のない牛肉」ならばミンチ肉は全く問題がないわけで、「あなた任せのミンチ肉」が大手を振って流入するでしょう。
先にも書きましたが、「シロモノ」がどれだけはいるかで決まるミンチ肉の価格です。枝肉ならばどの部位か判断も付くでしょう。しかしながらそれこそ「ミソもクソも一緒になったもの」をどうやって安全性や由来を検査するのか。それでなくても個体管理はできてないし、肉で獣齢を判断できるという無茶なお国ですから、全く「無理が通って道理が引っ込む」状況です。

それこそ「骨抜き」の牛肉輸入再開になりそうな雰囲気・・・ 牛肉を食べなくても死にゃしねーよ。というのは徳川の鎖国が教えてくれるし、どうでも食べたけりゃアメリカ産にこだわることはねえんだよ。

ところが!日米安保条約を盾に出されると、これはちと問題がややこしいです。

長良川河口堰

2005-05-23 07:39:41 | Weblog
今日の朝日新聞社説で長良川河口堰がおろされて10年ということがかかれていました。

やはりというか、生物の相が大きく変わってしまい、水産物が激減と言うことです。有明海と同じですね。生物が住めなくなると人間も住めなくなります。人間に都合の良いことを(もちろん、便利で、安全で)追求するのはいいのですが、そのことが及ぼす影響を全地球的に考えないととんでもないことになっていきます。

私たちは食物連鎖の頂点にいますが、その鎖を自ら切っていって、これくらい、これくらい、と考えている間に自分の食べるものがなくなってしまうのではないかと思います。

諫早は海の被害が大きなところです。台風、水害、確かにそんなものはない方がいいですが、台風の空気かき混ぜ効果みたいなものも地球規模で見ると必要なものなのではないかと思うのです。人間が死ぬのは悲しいことですが、自然の摂理というのはそれも含んでこと。人為的な脱線事故と同じレベルで語れるものではないでしょう。

有明海の干拓事業

2005-05-22 22:50:05 | Weblog
少し日がたちましたが、福岡高裁の判決には疑問を禁じ得ません。この案件は有明海の水産生産能力が著しく落ちているのは干拓事業が原因と思われるから工事の差し止めを、と言う訴訟に佐賀地裁が原告を勝たせました。
国はこれを不服として控訴し、今回の判決で逆転した結果になりました。原告の言う被害に、直接の関連は認められない、と言うのです。

原告である一般漁民と、事業者の国とでは経済基盤は比べものになりません。大勢の学者を動員できるわけでもなければ自分で調査をするだけの資金もありません。ほとんど勝負にならないわけですが、それでもなけなしの金をはたいて理念をよりどころに訴訟に踏み切ったのでしょう。しかしこれはあまりにも不公平と言うべきでしょう。
裁判官を任命するのも国、調査するのも国、教育委員の選出も国です。資金力は莫大です。
今回の訴訟の焦点は「大きな事業なので差し止めるならばより高いハードルの証拠がいる。」というようなことをいっていたことだと思います。
むしろ公平感がでるのは国が「影響していないことを証明する」としてはじめて公平感がでてくるのではないでしょうか。

どうも国の調査はいい加減、と言う気がしませんか?

安全よりも運行

2005-05-18 23:48:05 | Weblog
飛行機も列車とえらく変わらないようです。機内食を片づける暇のないまま着陸してしまった飛行機がありました。ニュースでは客室乗務員10人を再教育すると言っていました。

たぶん・・ですが、予定到着時刻ぎりぎりだった。食器を片づけてから着陸態勢にはいるのが筋だが、それのおかげで管制待ちの順番が遅くなる。運行記録があるから遅れた理由は明白だ。「再教育」を受けねばならない。遅れた分はボーナスから減額される・・・が働いて強行?着陸した。

この想像が当たらないことを切に願います。

「もうけ」ながら安全との両立は困難なのでしょうか?

一分1秒たりとも狂わせない運行。それはそれで結構なんですが・・・どこまで意味のある言葉なんだろう?

警察官を襲う事件

2005-05-16 07:43:18 | Weblog
拳銃を奪ったり屋根に乗せたまま暴走したり、と警察官が被害に遭う事件が目立ちます。なめられてるのか、映画気取りなのか・・・

幸いけが人もなく実弾も戻ったようですが、不気味な事件です。警官も人間ですから、複数にやられたらどうしようもないこともあるでしょうし、拳銃もひもでベルトにつながっていますが、カッターを使えば切れてしまいます。2.3人で押さえつけられたりしたらどうしようもないでしょう。問題は、それを実行するやつがでてきたということです。

そういえば兵庫県の関連する事件が目立ちますね。福知山線の事故、行方不明の2人の女性が骨で姫路港から見つかった、保護監察中の男に監禁されたのが兵庫県の女性、と。

一昔前、大阪府警と兵庫県教育委員会が叩かれた記事が多かったのですが・・・ あやまっている公務員はこのどちらかだと。

近江牛だって・・・

2005-05-16 07:33:51 | Weblog
また偽装です。肉になったら牛の区別なんかつかないですよね。

アメリカの牛はなお複雑な経路、表示通りのものかどうかわかりゃしません。なしくずしです。
BSEの全頭検査が出来るだけの態勢も必然性もない。「重要な輸出国」日本はゴミ箱くらいにしか思ってないんじゃないでしょうか。
かつての香川県の豊島みたいなもんです。余ってるやつはあそこで処分できるよ、と。

障害者自立支援法

2005-05-08 22:36:34 | Weblog
障害者自立支援法というのが国会に上程されている。障害者が自立するのを助ける法律なんだな、と言うイメージを与えるこの法律、とんでもない内容である。

応能負担と言うことで今は無料で受けられているサービスがすべて有料となるのである。「だからできることを増やそう」と、障害者の尻をたたき、結果として自分でできることを増やしていくという算段らしい。

これはいかにも健常者が頭で考えただけのものだ。例えばALSという全身の筋肉が衰えていくという障害がある。呼吸器をつけなければ生きていくことができなくなる。呼吸器は今、無料で提供されている。この法律によれば、結果として本人が筋肉を使うことを怠けているのだから、その怠け心をなくさせるために有料にしよう、と言うのと同じなのである。

先天的に障害を持って生まれてくる子供もいる。それを社会全体の負担で育てていこう、と言うのがこれまでのやり方だった。社会保障費をどこにどう使ったかはともかく、これからは財源がなければサービスができない、という論理を旗印に、ともかく金を出せ、と言うわけだ。

障害を持つ人は自身の移動さえままならない場合がある。これを手伝ってもらうのにも金を払え、呼吸するにも金を払え、と言っているのと同じである。基本的人権(生存権)の否定ではないか。しかも生計を一にするものにまとめて「これだけ払え」というのである。裕福な家庭でなければ障害者を生活させられなくなる。

障害者は就労率も、また給与も著しく低い。何らかの支援を必要とする。しかし健常でも何の支援もなしに生きている人があるだろうか。人が生きていくのに一番必要なものは「希望」ではないか。それを奪うような法律なのである。「世界への貢献」を背景に安保理常任理事国を目指す国は、自国の弱者を切り捨てるのか?それが何の「安全」「保障」なのだろう?