安心だ 安全だ

このごろ老人や子供の誘拐・殺傷・強盗など痛ましい世の中。警察も不祥事。どうしたらいいんでしょう?

教育という名のリンチでは?

2005-04-30 20:22:09 | Weblog
福知山線の事故以来、交通機関のミスを報じるニュースをよく耳にします。車掌がいないのに気付いて、7分遅れで発車したとか、閉鎖したはずの滑走路に飛行機をおろした管制官がいた、しかも全員が閉鎖したのを忘れていた、とか、バスの横転とか。

徹底的に、抜本的に、根本的に・・・日本語はたくさん使えますが、ともかく見直して間違いのないように、と「反省」するわけですね。

オーバーランとか、旅客の苦情とか、クレームを受けると「日勤教育」があるのだそうですね。その基準が明らかでなく、何をするかは教官次第だったといいますから、この辺り不明瞭です。それこそ憶えめでたいものには甘く、そうでないものには厳しく、は序の口でしょう。ひょっとしたら金品のやり取りもあったかもしれない、というのは勘ぐり過ぎでしょうが。そうなってくると、再教育で改善するのでなく、罰が恐いからいうことを聞く、という関係になってしまいます。

これって軍隊のやり方ですね。ことの善悪を理解させるよりは、生活の管理を強めていうことを聞かせる、「いうことを聞かないと食べさせないよ」と同じです。こんなことが行われていなかったことを願います。

スピードオーバー、ミスの締め付けと先に書いたことが不幸にしてあたってしまいました。今日書いたことがあたっていないことを祈ります。

置き石

2005-04-27 07:39:38 | Weblog
蒸気機関車が走っていた頃、「置き石をしてはいけない」とよく注意されたものです。あんな大きなものが石ころ一つでひっくりかえるんだろうか?と子供心に思っていました。子供が手にできる石の大きさなどたかが知れています。石蹴りや河原で投げる石くらいしか実感としてありませんから、無理もないですが。

事故が起きたところはこれまでにも置き石や自転車が線路に投げ込んであることがあったそうです。そんなことをなぜするのか、そちらの方にも問題はあるのですが、今回の事故でJRははじめから石が粉砕された痕があることをしきりに強調していました。その可能性はもちろん否定できませんが、線路の施設が古いままで列車ばかりが高速化されていった、というのが現実ではないかと思います。

新幹線は開業以来死者を出していない(走行中の自殺者を除いて)という輝かしい歴史を持っていますが、道路の構造を直さずに交通事故死者が増えていったのと似ているように思います。新幹線の設計時期には多分高速列車の運行にたえうる線路をまず設計したのでしょう。

一方、福知山線は電化こそ早くに行われましたが、それに対する高速化を見据えた路線変更などがきちんと行われたのか、疑問です。四国の土讃線では振り子特急が走っています。カーブの多いところを高速で走るよう工夫された車両です。土讃線は、特に四国山脈を越えるあたり、カーブも多いのですがともかく線路敷の幅が狭く、路線変更しようとしたら新たにトンネルを掘らねばなりません。実際に一部そうしたところもありますが、そのおかげで高知はずいぶん近くなりました。

さて、福知山線には1度しか乗ったことがありませんのでなんともいえないのですが、その構造と、何よりも古いのは首脳陣の考え方、脱線=置き石という発想ではないかと思うのです。トータルとしての交通機関が、スピードを偏重したいびつなものになっているのではないかと思います。新幹線で使っているコムトラックを在来にいかす、それも結構です。お金のかかることですから、できるものから・・・なのですが、速けりゃ良かろう、儲かりゃ良かろう、というのが一番危険なのではないかと思います。

企業の論理も、これ多いですよね。

40mが8mかい!

2005-04-26 22:28:42 | Weblog
昨日に続いて鉄道事故です 伊丹駅のオーバーランが8mと発表されていたのは誤りで実は40mだったということです。誤りを伝えるということは判断も誤らせますね。どこからこんな情報が出てきたのか分かりませんが。

また、カーブ通過時の速度も規定よりも大分速かったとのことです。この情報は今日になって分かった分ですが。133kmまでは飛び出さないようにできている、というのも要注意ですね。今後変わるかもしれません。207系の最高速度が120kmということですから、あり得ないはずなのですが、現実に脱線したのですから誤りだった、というのが今後出てくるかもしれません。

さて、尼崎駅は今日はやはり1本電車が少ないですから、少し閑散としていました。JRと阪急の宝塚は乗り継ぎの人で大変な混雑だったそうです。福知山線はやはり重要です。JRでは京都からの山陰線、加古川線、播但線の利用を呼びかけているそうですが、大阪から近いのはやはり福知山線ですね。

それにしても運転士の車掌時代の注意歴に疑問を感じました。JR運転士の適性試験を見てみたい気がします。

JR事故が尼崎で

2005-04-25 23:34:48 | Weblog
大変な列車事故が尼崎で起きました。原因はこれから究明との報道ですが、いくつかの要因が重なって大惨事になったように思います。

まず、哀れなまでにくしゃくしゃになった電車の車体。省エネルギー、軽量化のなれの果てが乗客を守らない車体になっていたのではないか、ということ。

次に伊丹駅でオーバランしたため、所定の位置まで戻して1分あまりの遅れが出たが、これを取りかえそうとしたのではないか、という憶測ですが、「いつもより速い」と多くの客が感じていたようです。時間を守ることは重要なことですが、かなりの重圧を与える職場の構造になっていたのではないか。オーバランももちろんほめられたことではありませんが、例えば何点減点、というようなことはないのでしょうか。

運転士の経験が11か月だったとか。短いとはいえないかもしれませんが、ダイヤの増発、増発をくりかえして結果的に運転士の粗製濫造がおこなわれていないか?

54人もの人がなくなったと伝えています。ご冥福をお祈りします。

ウィルスバスターの暴走

2005-04-24 21:40:31 | Weblog
この事件は久々のヒットだと思います。人間が介在するからこそ起きた事故ですね。そして、何社かでは新品のバンドリングという形でただのようにつけてあり、拡販につなげています。セキュリティを人任せにすることの恐さを如実に語ってくれました。

パソコンは、私達の生活を便利にしてくれますが、より良い生活かどうかには疑問符がつきます。使うのも人次第ということを思い知らせてくれました。ワクチンの自動アップデートはたしかに便利です。しかし善意、悪意を別にすれば、結構恐いことですね。

ちなみに私が使っているのはマッキントッシュです。ノートンには古くからお世話になっていますのでwinマシンもそれを乗せていますが、それで正解だったようです。しかし油断は禁物ですね。マイナーなOSでも何があるか分かりません。

安心はただではありません。盲従するとえらい目に遭います。有名なものが優れているわけではありません。

幼稚園児をハンマーで殴る?

2005-04-23 23:29:50 | Weblog
17才の少年が幼稚園児の頭をハンマーで殴ったという事件、「大量殺戮するつもりだった」アドベンチャーゲームが昔ありましたが、アイテムを得ながら怪物を倒して・・・というゲームを連想してしまいました。出刃包丁も持っていたということです。

どうも動機といい手法といい、幼稚さを感じてしまうのですが、自分の前に立ちはだかっている問題(例えば高校入試?)みたいなものはアイテムをためればたちまちのうちに消え去る、破壊できる、というような発想のように思えます。

それにしても気の毒なのは幼稚園児。4才という年で頭蓋骨折とか、後の障害が出ないか心配です。人の人生を奪うということがどんなことなのかわからないのでしょうね。リセットで全て元通り、ということを本気で信じている可能性も感じられ、人生というものに自分がどう関わっているのか自覚できないのかなという気がしました。

そういえばこのごろ自宅で人生を終える人は非常に少ないんでしょうね。目の前で命が失われるのを経験することがないと、命は病院で生まれ、病院で終わるようなことをまじめに信じる人が出てくるかもしれません。お~こわ!

あまりにも短絡的な・・・

2005-04-22 07:37:05 | Weblog
77mの高さから植木鉢の台を放り投げて危うく人にあたるところだったと言う殺人未遂事件がありました。「未必の故意」とも言えるでしょうね。
その原因が自分がつまづいて腹が立ったからだと言います。いつからこんなに大人も子供も短絡的になってしまったのでしょう?台を放り投げたからと言って何も解決しないのに。最近の犯罪の動機は本当にこんなパターンが多いです。「誰か殺したかった」「むしゃくしゃした」

考えてみると日本の外交もおなじレベルかもしれません。「お前が謝れ」「そっちこそ謝れ」「いま謝れ」「お前は前のけんかを謝ってない」みたいなものですから。「冷静に判断を」も結構だが、ちょっと現状はもっとひどいことになっていますものね。

犯罪人の意識

2005-04-19 23:00:01 | Weblog
奈良の女児殺しの犯人が「ここまで存在感を示せたらもう思い残すことはない、さっさと死刑にしてくれ」などと語っていると言う報道には、なんとも言葉がありません。人の命を奪うと言うことがどう言うことか分かっていないのでしょうか。

そう言えば池田小学校の犯人も似たようなことを言っていました。弱いものいじめの究極をやってしまったものはこんなものなんでしょうか。30年やそこら生きてきて、「もう思い残すことはない」などと、よく言えるものだと思います。ご両親の手記もありましたが、本当に「八つ裂きにしてもあきたりない」だろうとおもいます。死の恐怖を難度も味合わせてやりたいとも思うでしょう。

反省の色のない、こんな犯人はさっさと死刑を執行すれば良いのかもしれませんが、それだけで済む問題でもないでしょう。人を大切にすることが大原則なので。

遊具の事故から考えたこと

2005-04-19 07:09:41 | Weblog
車いすの男性が遊具から滑り落ちて死亡という報道がありました。安全ベルトが届かなかったということですから、相当太った人だったのでしょうね。

係の責任者が「今まで無事だったから大丈夫だろう」という判断でのせたようですが、マニュアルというのはサービスという観点とよく対立することがあります。この男性がどんな人だったのか報道されていませんが、足にのみ障害を持つ人ならば手の力は非常に強いものがあります。そういう人なら大丈夫だったかもしれません。全身性の障害で車いすならば体全体のコントロールが難しいし、意思の伝達にも事欠くときがあります。こういう人を乗せるのも不自然です。
知的障害との重複である場合は、マニュアルに適しない場合、周りの介助者と説得に回らねばならない場合もあります。そんなときにはつい「情」というのがでてきますね。結果次第で評価は変わってしまいます。

草枕の書き出し、「意地を通せば窮屈」というのがマニュアルです。個人情報保護法が施行されましたが、これも窮屈ですね。地元の行きつけの銀行でしかおろせなくて不便に思ったこともありましたが、今ではそれの方がよかったかも、という思いもします。「何であんたがおろしにきてんの?」という係員のチェックがありましたものね。ベテランがいてきっちりチェックしている時代。今は客の自己責任で素人でも業務ができる。どちらが「あるべき姿」なんでしょうか?

中国との対立

2005-04-18 08:06:24 | Weblog
週ごとに日本と中国の関係は悪化しているように思われます。

一度ここらで、いま日本と同じような立場にいるドイツと比較して、日本がやってきたこと、やらなかったことを整理してみたらどうでしょう。と言って、私の手もとには何もないのですが。そして、なにやら人民と政府の関係と言うのもマインドコントロールのようなものがあるようにも思われます。一方で暴動をあおり、「日本の歴史教育がなってないからこうなるのだ、中国政府は今や関与できない」と言うような見方もできるのでは?非常に分かりにくい構造になってきた印象がああります。

また小泉さんも町村さんまかせ見たいに感じますね。迎賓館も大切でしょうが、なんかなあ、と。