安心だ 安全だ

このごろ老人や子供の誘拐・殺傷・強盗など痛ましい世の中。警察も不祥事。どうしたらいいんでしょう?

ロンドンの同時多発テロ

2005-07-08 07:55:26 | Weblog
映画のような世界が出てきたな、と言う印象です。卑劣としか言いようがありませんが、サミットに相当手を取られていたところに本拠を攻撃されたというストーリーまがいの事件でした。

ロンドンは犯罪の多さから監視カメラがそれこそ万の単位で取り付けられているそうです。しかし、これもいずれ明らかになるでしょうが、犯罪記録を取る、と言う立場でつけられ、何か事件があれば巻き戻してみる、と言う発想でしょう。リアルタイムの監視が今後クローズアップされるでしょう。記録するぞ、と言う威嚇から見ているぞ、と言う威嚇に転換していかないと、ラグタイムを利用した犯罪は後を絶たないと思います。
そんな場合も個人情報保護法が問題になることは非常に可能性が高いと思われます。画像情報についてはこと防犯の目的に限り、クローズな環境を設定するなどして別に扱うべきでしょう。

家を一歩出たら、見られることについてのプライバシーはないものと考えるべきですね。

ともあれ、犠牲になられた方々のご冥福と、負傷された方々の一日も早い回復をお祈りします。

糞を飼料に混入

2005-07-05 07:40:45 | Weblog
糞を飼料に混ぜて与えるというのは昔農芸化学会で聞いたことがありますが、効果が今ひとつ分かりませんでした。現実に行われているとは、さすがというかいかにもアメリカだなと思いましたね。
骨粉を牛に与えたらBSEの危険性があるが、鶏や豚ではでていないから与えても良い、と言う発想のようです。根本的に草食動物である豚に動物性飼料を食べさせるというその神経が理解できないです。仮に肥育が短時間ですむと言っても、自然の摂理に合わないことをするのですから、人間の都合に合わせた傲慢的な行為だと思うのです。誤食も現実にはあるでしょうが、自分にとって役に立たないものを排泄するわけで、それをまた食べる、食べさせるというのは納得がいきません。

ところが現実には鶏糞を混合した飼料が生産されていると言います。鶏は雑食ですから動物性の飼料も問題はないでしょう。カエルやミミズを喜んで食べていますから。でも、鶏が骨粉を食べ、その糞が飼料に移行して、牛が食べたらどうなのでしょう?食物連鎖を人間の都合でつなぎかえたら妙なことにならないでしょうか。

アフリカの飢餓を救え、とミュージシャンが奉仕活動を行っています。やせた土地に牛糞、鶏糞を与えて(もちろん土壌との相性もあるのですが)せめて食糧を自給できるようにするしくみを考えられないかな?と思います。国外から、となると防疫上の問題はありますが・・・

アメリカ国内でも

2005-07-04 16:41:24 | Weblog
今日の朝日新聞によると、元アメリカ農務省の職員がBSEの感染牛についての疑問を呈しています。
歩行困難などの症状がでた牛についてのみチェックをしていて、今回2頭目の感染牛が見つかったのですね。日本では現在20頭がひっかかっていますが、うち9頭は症状がなかったそうです。アメリカの消費者団体は「最高レベルの安全確認を求める」とか。これはもう全数検査しかありませんね。
膝元で火がつきました。国内の消費者に日本にごり押ししている理屈が通るものでしょうか?
これで大丈夫だ、と言うならどこかの閣僚みたいにステーキを食べて見せますかね?

やり始めたら指数関数的にでるだろう、と先に書きましたが、それが実証されるかも、と思っています。こと安全については帰納的証明は困難だと言うことですね。「アメリカでは汚染された牛はでていないからアメリカの肉は大丈夫」ではなく、「検査をパスした牛の肉だ」でなければ意味がないのです。

昔から品質管理やプロジェクト管理に熱心で、アポロ計画も成功させた国も、農業については結構鷹揚だったのですね。鷹揚と言うよりは無神経というのが当たっているかも?そんな国の言い分を「小原庄助さん」ばりにもっともだ~もっともだ~ ですませようとしている国は、本気で国民を守る気があるのでしょうか?しっかりと税金だけはとっていくけど。

学校の危険

2005-07-01 20:32:13 | Weblog
高知の高校で傷害事件が起きました。学校というのはある意味、危機管理の希薄な宿命があるのかもしれないですね。細分化されたユニット構造。また統一管理のできにくい構造。いわば、隣の教室で何が起こっているのかは全く情報として入ってこないのです。

入って来ないのが当たり前で、入ってきたら勉強・授業の妨害になります。カリキュラムというのはそう言う風に動いているのです。もう1年以上がたちましたが、長崎での小学生殺傷事件も、隣で何が起こっているか分からない。そんな見回りをする要員がひねり出せない。そんな職をおくことは経済的に負担であるし、また本来学校の目的に反するという見方だってできるのですね。

今の状況は20年ほど前の米国の投影である気がします。高校で銃の乱射事件がありました。また麻薬の汚染も進んでいたと報道されています。当時の世論がどうだったか、正確に覚えていませんが、ベトナム戦争が終結を見て兵士が帰還していった頃ではなかったでしょうか。軍隊で麻薬に汚染された人が社会に出ていったのと同時期ではなかったでしょうか。

アメリカがベトナムのような小国に敗れ、「なんてことだ」と言う落胆と「大義のない戦闘」という批判ではなかったかと思います。

論点が少しずれました。学校の構造と危機管理です。学校での犯罪は数自体は非常に少ないのです。それだけに、起きてしまえば大問題ですが、学校で危機管理を教えることができないでしょうか。ガラスが壊れたらガラス屋にすぐ頼むのでなく、自分で直すことを子供に教えるのです。ひびが入ったら昔は欠け落ちていなければ丸く紙を切って貼り付けたものです。そんな工夫を子供たちに教えることは決して無駄ではないと思います。家庭科実習ではありませんか。

ガラスは割れるもので、素手でさわったら手を切ることもある、と言うことを教えるべきではないか。さらに、ガラスはガラス切りで切れるもので、材料さえあれば修繕ができるものだと言うことも教えればいい。環境問題、工作、などが一気に教えられませんか?「資材は十分にある」という生活に慣らされた子供たちに節約を教えるよりはよほど簡単にできるように思います。