安心だ 安全だ

このごろ老人や子供の誘拐・殺傷・強盗など痛ましい世の中。警察も不祥事。どうしたらいいんでしょう?

学校の危険

2005-07-01 20:32:13 | Weblog
高知の高校で傷害事件が起きました。学校というのはある意味、危機管理の希薄な宿命があるのかもしれないですね。細分化されたユニット構造。また統一管理のできにくい構造。いわば、隣の教室で何が起こっているのかは全く情報として入ってこないのです。

入って来ないのが当たり前で、入ってきたら勉強・授業の妨害になります。カリキュラムというのはそう言う風に動いているのです。もう1年以上がたちましたが、長崎での小学生殺傷事件も、隣で何が起こっているか分からない。そんな見回りをする要員がひねり出せない。そんな職をおくことは経済的に負担であるし、また本来学校の目的に反するという見方だってできるのですね。

今の状況は20年ほど前の米国の投影である気がします。高校で銃の乱射事件がありました。また麻薬の汚染も進んでいたと報道されています。当時の世論がどうだったか、正確に覚えていませんが、ベトナム戦争が終結を見て兵士が帰還していった頃ではなかったでしょうか。軍隊で麻薬に汚染された人が社会に出ていったのと同時期ではなかったでしょうか。

アメリカがベトナムのような小国に敗れ、「なんてことだ」と言う落胆と「大義のない戦闘」という批判ではなかったかと思います。

論点が少しずれました。学校の構造と危機管理です。学校での犯罪は数自体は非常に少ないのです。それだけに、起きてしまえば大問題ですが、学校で危機管理を教えることができないでしょうか。ガラスが壊れたらガラス屋にすぐ頼むのでなく、自分で直すことを子供に教えるのです。ひびが入ったら昔は欠け落ちていなければ丸く紙を切って貼り付けたものです。そんな工夫を子供たちに教えることは決して無駄ではないと思います。家庭科実習ではありませんか。

ガラスは割れるもので、素手でさわったら手を切ることもある、と言うことを教えるべきではないか。さらに、ガラスはガラス切りで切れるもので、材料さえあれば修繕ができるものだと言うことも教えればいい。環境問題、工作、などが一気に教えられませんか?「資材は十分にある」という生活に慣らされた子供たちに節約を教えるよりはよほど簡単にできるように思います。