ボイペト発シェムリアップ行き 幻の45人乗り大型幽霊バス6.25ドルの車内
ドライバー1名と、ビデオスイッチ切り替え要員1名
お客は自分も入れて3名。半径3メートル以内に人はいない、悠々自適な車内。
もちろん赤字でしょう。
閑散とした車内の窓から見る、地平線までほぼ何も無い雄大な景色。
2ヶ月前の、カンボジア入国の際、6年ぷりのカンボジアなので、誤って30ドルのビザで入ってしまい、1ヶ月プラス1ヶ月の延長で計2ヶ月でビザ切れなので、今回初めて、シェムリアップのゴッドファーザー、日本では20世紀の3大精豪と言われた、カンボジアでは私の叔父にあたる、玉本敏雄(84歳でまだ健在、但し去年から、タイに続いてカンボジアでも入国拒否のため、かつらぎの山にある自宅に引きこもっている)流で、ビザ取りに、シェムリアップの自宅からボイペトに行ってきました。
いきはよいよい、かえりはこわい、ボイペト行きなので、こころして行ったのですが。
10年ほど前にボイペトからシェムリアップまで、一度来た時は、ぎゅうぎゅう詰め乗合タクシーで、でこぼこ道を行く途中、故障して、動かなくなり、修理に1時間、その後、ボイペトの修理屋まで戻って小一時間再度修理してから、シソホンまで、たどり着き、別の乗合トラックに乗り換えて、荷台に座って、なを続く、でこぼこ道を、やっとの思いで、夜中にシェムリアップに来た覚えがあるので、今回は、ぼったくりタクシーには絶対乗らないぞと心に決めました。
さて、一度タイ側のアランヤプラテイトに出国し、すぐに引き返して、カンボジアビザセンターに向かうはずが、タイの出国ゲート沿いに左側を歩いていたため、右側にある、ビザセンターを見逃し、何かカンボジア入国なんとかと言うテント張りの施設に、制服姿の係員が3名立って、何人もパスポートを開いて何かしてもらっているのでつられてパスポートを出したら、結局、申請書のチェックをしているだけで、パスポートにつける申請書を見ただけで、100バーツ(2.5ドル)取られました。10年前はなかった新たな小遣い稼ぎのようです。それから右側にデパーチャーの文字が見えたので、行ってみると、ビザ申請窓口がないので、係員に問い合わせると、遥か後ろを指差して、あっちだというので、また何100メートルも戻るはめに。ビザセンターに戻ってきて、さあ申請書に記入しようとすると、こんどは、ボールペンが、全部もぎ取られていて、見当たらないないので、係員に尋ねると、ボールペンはないとのこと。しょうがないので、表にでて、並んでいる売店を軒並み捜して、やっと1本1000リエル(30円)の青いボールペンを買って、再度、パスポートセンターに突入。よく見わたすとなぜか係員は全員、制服の胸のポケットに金色のボールペンをさしているでないの。看板に書いてある30ドルと35ドルの数字を確認して、窓口で、35ドルのビザを頼んで、100ドルをだしたら,、今度は,ドルはないから、おつりを払えないから、バーツで払えとのこと。バーツは持ってないので、ボイペトで両替したばかりの厚さ5センチはあるリエルの束をだしてコレデドウダと言うと、一瞬おののいて、リエルだけは受け取りたくないもようで、しぶしぶ100$札を受け取り、65ドルのおつりをよこした。ドルあるでないの。ないわけないでしょ。
カンボジア入国の鬼門をやっとすぎて、いよいよメーンイベントの、バス探し。ゲートを出て右側の商店街から始めて300メートル。バスの看板を出すショップを軒並みあたるがどれもシェムリアップに止るバスはないから、タクシーだよ、タクシー。タクシーしかないよ。引き返して、反対側をまた意地になってバスをさがすが、どこもシェムリアップにはバスやミニバスでは行かないようで、最初に聞いたメコンバスに戻って、タクシーを頼もうと、入ったところが、メコンバスの左隣の店で、目立たないので、メコンバスの敷地かと思ったのだが、別の店で、なんと、そこに、シェムリアップ行きのバスがあるという。14:00発なのであと5分で到着するというので、半信半疑で、切符を買ったところ、そこにはシェムリアップ350バーツと書いてあった。計算すると、6ドル25セント。
最初にメコンバスショップで聞いた時は、バスもミニバスもシェムリアップに止るのはないから、タクシーだよタクシーと、確かに聞いた。そして、前に止っている、ミニバスは何かと聞いたら、プノンペン行きで19ドルだとのこと。プノンペンに行くのなら、途中で、トイレ休憩もあるし、食事休憩もあるから、シェムリアップにも止るはずだと言うと、トイレは中にあるというし(ミニバスの中にトイレがあるわけないだろ。)とにかく、プノンペン行きは絶対シェムリアップには止らないからあきらめろというし。このメコンバスってたしか、日本人が経営していたところだと記憶しているが。
シェムリアップにはタクシーでしか行けない、バスは止らないと、かん口令が敷かれているとしか思えない。