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音曲日誌「一日一曲」#445 バディ・ホリー「That’ll Be the Day」(Brunswick)

2024-06-24 07:43:00 | Weblog
v2024年6月24日(月)

#445 バディ・ホリー「That’ll Be the Day」(Brunswick)





バディ・ホリー、1957年7月リリースのシングル・ヒット曲。ジェリー・アリスン、バディ・ホリー、ノーマン・ペティの作品。ノーマン・ペティによるプロデュース。

米国のシンガーソングライター、バディ・ホリーは1936年9月テキサス州ラボック生まれ。本名はチャールズ・ハーディン・ホリー(綴りはHolley)。バディは幼少期からのニックネームだった。

4人兄弟の末っ子で、全員音楽好きであった。ホリーは10代初めにアコースティック・ギターを弾き始める。

彼はカントリー・ミュージックに熱中して、友人のボブ・モンゴメリーと一緒に演奏を始める。53年頃、ふたりで地元ラジオ局KDAVの番組に出演したり、ライブをしたりする。

カントリーだけでなくR&Bも好んで聴くようになったホリーは次第にロックンロールへと自らの音楽性を変化させていく。55年、地元でエルヴィス・プレスリーのライブを観た影響も大きかった。

同年10月、ホリーはビル・ヘイリーの前座をつとめ、これが高く評価されて、デッカレーベルとの契約をはたす。

契約時に名前のスペルをHolleyでなく、Hollyと誤記されたことにより、それが以後の芸名となる。

デビュー・シングルは1956年4月にリリースされた「Love Me」だった。これはホリーと友人のスー・パリッシュの作品で、ややカントリー色の強いナンバー。続いて12月には「Modern Don Juan」をリリース。

しかし、いずれも宣伝不足もあってかまったくヒットせず、デッカは以降のシングルリリースを渋るようになる。

そこでホリーはデッカからではなくデッカ傘下のR&B中心のレーベル、ブランズウィックから、また契約上の縛りもあるのでアーティスト名もザ・クリケッツとして、次のシングルを出すことにする。それが本日取り上げた「That’ll Be the Day」である。

この曲は最初は前年の56年7月、バディ・ホリー・アンド・ザ・スリー・チューンズ名義でレコーディングされた。メンバーはホリー、ギターのサニー・カーティス、ペースのドン・ゲス、ドラムスのジェリー・アリスン。しかし、デッカの判断によりレコード化はされなかった。

57年2月にクリケッツとして再度レコーディングされた時のメンバーは、ホリー、ベースのジョー・B・モールディン、ドラムスのアリスン、そしてニキ・サリバンをはじめとするバックコーラス4名であった。

同年7月にシングルリリース。これが見事にヒットして全米1位、全英1位となった(最終的には100万枚のセールスとなる)。

この様子をみて手のひらを返したのがデッカレーベルで、9月には以前レコード化をためらっていたスリー・チューンズ版の「That’ll Be the Day」を急遽シングルリリースしたのである。

ただ、こちらの方は思惑が外れてヒットせず、二匹目の泥鰌とはならなかった。これには笑ってしまうね。

まあこのことにより、ホリーはデッカからのシングルリリースが再開したことが、一番の収穫だったといえそうだ。同9月にはのちに代表曲と呼ばれることになる「Peggy Sue」もリリースされて、いよいよホリーのヒットメーカーとしての快進撃が始まるのである。

ともあれ、この「That’ll Be the Day」は、バディ・ホリーという新人シンガーのフレッシュなイメージを決定づけるナンバーとなった。

前2曲の古臭い、どこか既存のアーティスト(例えばプレスリー)の面影を漂わせる曲調とは異なり、ホリーならではのオリジナリティを、聴く者に強烈に感じさせたのである。

軽快なビート、コーラスに乗って歌われる本曲は、プレスリーのようなソロ・ボーカル中心の従来のロックンロールから、複数人のコーラス中心のロックへの移行を予感させるものだった。

このヒットは米国のみならず英国のバンドにも多大の影響を与えた。その代表例はザ・ビートルズである。彼らがメジャーデビューする前のクォーリーメン時代、58年に本曲をデモ・レコーディングしているのだ。彼らはメインのメロディも、複数メンバーで歌っているのが特徴だ。

後の時代にも何度となくカバーされるが、一番ヒットしたのは、76年8月にピーター・アッシャーのプロデュースによりリリースされたリンダ・ロンシュタットのシングルだろう。これは全米11位のスマッシュ・ヒットとなっている。

黒縁眼鏡をかけた特徴あるルックス、独特の唱法で甘く歌うニュースター、バディ・ホリーがその存在を全世界に知らしめた一曲。

もしこの起死回生のヒットが生まれなければ、当然その後のホリーのシングルリリースも途絶えたことであろう。

そう考えてみると、この曲の有無によっては、英米のロックの歴史も、だいぶん違ったものにもなっていたかも知れないね。






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