昨年から読んでいて、なかなか進まない、準哲学書。
國分功一郎という東大の哲学者が書いている「暇と退屈の倫理学」を
読み進めてきた。ようやく後半の部分に入ってきた。
この中で「暇」についてハイデッガーの書いている難解なことを
國分氏が分かりやすく翻訳している
「人間の大脳は高度に発達してきた。その優れた能力は遊動生活に
おいて思う存分に発揮されていた。しかし、定住によって新しいもの
との出会いが制限され、探索能力を絶えず活用する必要がなくなって
くると、その能力が余ってしまう。この能力の余りこそは、
文明の高度の発展をもたらした。が、それと同時に退屈の可能性を
与えた。
退屈するというのは人間の能力が高度に発達してきたことの
しるしである。これは人間の能力そのものであるのであるのだら、
決して振り払うことはできない。・・・
能力の余りがあるのだから、どうしようもない。
どうしても『なんとなく退屈だ』という声を耳にしてしまう」
なるほどね。
毎日パターン化した生活はこんな暇で退屈な気持ちにさせてしまう。
人間って本当はいつも新しい体験をして、それに見合った能力が
あるんですね。そういうことがないと暇と退屈の感覚が生まれて
くるのでしょうね。
そういえば時間に正確だったのは哲学者カントですね。
早朝に起き、午前中は仕事。帰宅し、決められた時間になると
散歩に出かけた。あまりにも時間に正確なので、街の人は
カントの姿を見て時計の針を直したいう逸話があります。
彼は暇で退屈だったのかな、でもそうではないですね。
創造的な哲学的な思索をして、暇とか退屈という
感覚はなかったのでしょう。
それなりに哲学を通じて、自己実現できていたのでしょうね。
暇と退屈だと思うことならないように、自分の生活を充実させていく、
今年はそんなことを心掛けて生活していきたいと思っています。
とりあえず、新聞をじっくり読んで、世の中に関心を持って、
気になることを書き記しそんなことを今日はしてみました。