注文の多い料理店 (雑記帳by山猫)

やる気が出た時に更新します。

秋・・・お勧めの映画

2007年09月17日 | 映画の話
ショーシャンクの空に

ワーナー・ホーム・ビデオ

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この映画をはじめて見た時は5月の頃だった。

主人公は不倫をした妻とその相手の男を殺したという冤罪で服役している。

いつ終わるのかわからないような果てしない時間の中で色々な体験をしていく。

長い年月の中、希望だけは失わなかった。

そして生涯の友と出会うことになる。

自分が疲れたとき、癒されたくなった時にこのドラマを思い出す。

見終わったあとに心地よい余韻が残る。

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「オーメン」のダミアン

2007年06月27日 | 映画の話
オーメン〈特別編〉

20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン

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最近「オーメン」を見た。 オカルト映画のアレです、有名なホラー映画。

それも、30年も前のを現代版にリメイクされのを見ました。

はっきり言ってリメイク版のよりも、30年前のオリジナルの方が怖い。

ダミアン役の男の子は前作の方が、人間離れして一層不気味だった。

一見普通の子なんだけど、悪魔の子の雰囲気が漂っていたものだ。

ところが、新作のダミアンには失望した。 なんだアレは?

目の下にクマを作っただけの気持ちの悪い陰気なただのガキじゃないの・・・

30年前のダミアンは、以前テレビで見たけど、すっかり大人になってしまって

あの時の不気味さは消えてなくなり、証券会社のサラリーマンになっていた。

これがあのダミアンなのかと思ったものです。

新作のダミアンはどう考えても悪魔の子のオーラを感じないのね。

予告編でバチカンが出てくるから、期待してたんだけどハズレでした。

さて、「オーメン」の見せ場といったら、人が死ぬところなんだけど、

オリジナルのものよりは凝った作りになっていた。

オリジナルの勝っているところは、なんと言っても音楽でしょう。

さすがはアカデミー賞の音楽賞だったと思う。

グレゴリー・ペックはすごい役者だったんだなあと改めて思う。

新作のダミアンの父親は比較にならないほど存在感が薄い。

新作で一番の役者といったら、ミセス・ベイロックのミア・ファローだね。

「オーメン」はシリーズものになっているけど、

ダミアンが成長するほどつまらなくなっていくのは何でだろう?

このシリーズはリメイクして欲しくないなあ・・・多分前作を超えられないと思う。
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「それが答えだ!」

2006年09月22日 | 映画の話

97年頃のフジテレビのドラマだったかな?

三上博史が傲慢で・・・でも人間くさい天才指揮者の役をやったドラマです。

このドラマを見て山梨県の自然の美しさに感動。
実際に行ってみたりもしました。

視聴率はそんなに悪くなかったと思うけど、DVDになってないのです。
若いだけの大して演技力もないアイドルを使ったつまらないドラマは
すぐにDVDになるのに、この番組はなんでDVD化されなかったんだろう?

楽団を追われた天才指揮者と田舎の中学生たちの話は回をおうごとに面白かったし、
心に残るものがあった。

最近の番組って本当につまらないものばかりだと思う。

まず、「結婚」若い女がいかに良い男を捕まえるか・・・そんなものばかりじゃない?
それが最近の若い女の子の価値観にそっくりはまってしまっている。
本当に良い番組が無くなりましたね。

あと、NHKで放送した「蝉しぐれ」 これは映画よりもドラマの方がずっと良かった。

古いところで、佐久間良子主演の「未亡人」これ知ってる人あまりいないでしょうね。
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巨人の星

2006年08月29日 | 映画の話
映画っていうわけじゃなく、今夜はアニメの話です。 

昭和30年代生まれの私は、このアニメをリアルタイムで見ていたものだった。

当時流行っていたのは、「タイガーマスク」や「サインはV」などのスポーツ根性モノが主流だった。

もう一度あのころの感覚を取り戻したいような気がして、
ビデオ録画して休日になると一気に見るというのがけっこう楽しかったりする。

え~・・・では・・・今日のテーマの「巨人の星」、この「スポ根」アニメのバイブルともいえる作品を
いまどきのPCゲームに興じている子供がどんな風に見て、どんな感想を持つのか知りたくなった。

汗にまみれて努力することが素晴らしい・・・

戦いが終わって互いの健闘を称えあうライバルという名の友情を、
ボタン一発でいとも簡単に敵を屠ってしまうゲームに興じるガキどもは、
飛雄馬と伴が抱き合って涙を流しているのを見て”ダッセェ~!”
などと思いながら見ているのではないだろうか?

 (何故なら今の私がそう思っているからです)

  ◇花形 満のなぞ・・・?◇

30年ぶりくらいで見ると、子供のころ見えなかったアラが形をなして見えて来る。

このアニメには???と思うポイントがけっこうあると思いませんか?
 
そのもっともたるモノは花形満のスポーツカーなのだが、これはよく指摘されているのでご存知の方は多いはずだ。 

ドラマは飛雄馬が小学生の頃からスタートしている。 

花形は自分が主催するチームに飛雄馬を入団させるべくスポーツカーを乗り回して飛雄馬を追いかけまわすが、
この時の花形はいったい何歳だったのだろう? 

のちに彼らは甲子園で勝負しているから飛雄馬との年齢差は少なく見積もっても2~3歳のはずだ。 

そうなると、小学生の飛雄馬の追っかけをしている花形はまだ中学も卒業していないはず、
車の免許はおろか原付だって乗れない年齢のなずなのだ。

花形がスポーツカーを乗り回しているところがすべて花形家の私有地であるのなら公道ではないので
無免許で乗っても法には触れないだろうけど、そこまで考えて作っているように見えない。

  ◇放送禁止差別用語◇

この放送ですごく気になっているところがある。(もちろん再放送なんだけどね)

ドラマ中のセリフにところどころ”ピー”が入っているのだが、気づいた人はいるだろうか?

飛雄馬の高校入試の面接での会話は”ピー”だらけだった。

 ”君のお父さんの仕事は何かね?” (面接の先生)

 ”ぼくの父は日本一の****です”(飛雄馬)  

 一徹は建設現場作業員として働いていた。

 ****の部分は「日雇い○夫」という言葉が入っていたはずだ。

当時の星一徹は自身の能力を表に出すことなく、息子を一流の選手に養成する為にだけ心血を注いでいたように見える。

「巨人のコーチに・・・」という誘いすら息子の英才教育のために断ってしまうのだ。

覚悟の上の貧乏なのだから、他人にとやかく言われる筋合いじゃないと思っていただろう。

さらに、「か○わ」などというような、障害者差別ともいえる言葉が頻繁に出てくるではないか。

だが、それらはすべて”ピー”になっている。

30年前に当たり前のように使っていた言葉が、今では差別用語として使えなくなってしまっている。

社会から差別をなくすという点では有効なのだろうが、不自然に思えてならなかった。

それで、本当の差別がなくなると思えないからだね。

ずいぶん前だったが、細川護煕氏が首相に就任した時、マスコミは彼を「殿様」と報道していたし、
細川夫人に”ご主人を殿様だと思いますか?"などとインタビューしていたバカな記者もいた。

もし、細川氏が歴史に名を残す大名家の血筋でなく、その対極にある差別を余儀なくされた人々の子孫であったとしたら、
それについて触れることはなかったろう。
 
夫人に”ご主人は**だと思いますか?”などと口が裂けても言えはしないだろう。

陽が当たる所には当然、影ができるものだが、これだって見方を変えれば立派な逆差別だと思う。

プラスなイメージは良くて、マイナスなイメージにはフタをして隠そうとする、プラス側の差別も考える必要はないのだろうか?

華やかさに覆い隠されたイヤらしい差別がこんなところに見え隠れする。

話しがそれてしまったが、私はこのアニメの中では左門豊作が一番好きです。
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チェンジリング

2006年08月27日 | 映画の話
もう15年以上も前に見た映画。

エクソシストから始まって、オカルト映画の流行が終わりに近づいた頃の作品
だったと思う。

雪道での事故で妻子を一度に亡くした音楽大学の教授が傷心の末に
田舎に古い大きな屋敷を買ったところから始まる。

その屋敷はかなりの年代モノだった。 だけど、ピアノを練習するには良い環境に
あったし、なにより傷心を癒すには良い場所でもあった。

おかしな出来事は翌朝から始まる、毎朝6時前になると、地下のボイラー室から
屋敷全体に大きな音が鳴り響く。 

それは6時丁度になると止んでしまうのだった。

捨てたはずの娘の遺品がいつのまにか返ってきたり、壊れていたはずのピアノが
直っていたり不思議なことが次々に起きる。

外出しようとした時、屋根裏のガラスが割れた。 その時、屋根裏に封印された
隠し部屋を見つける。

子供用の古い車椅子がある、子供が住んでいたらしい。

彼は霊媒を呼び、家にいる霊に語りかけてみたが、わかったのは・・・

 「僕の名前はジョセフ」 「僕のメダル」 「古い井戸」だけだった。

すぐに不動産屋に調査を依頼した。 が・・以前の屋敷の所有者の中にはジョセフ
という名前の子供を持つ者はいなかった。

半分あきらめかけていた頃、不動産屋が見つけてきたのはジョセフ・カーマイケルという老齢の政治家の父親がかつてこの屋敷を所有していたということだった。

カーマイケル議員は子供の頃に住んだことがあったが、すぐに外国に留学した
ので家のことはよく覚えていないという。

なにしろ60年以上も昔の話なのだから・・

このあたりで調査は暗礁に乗り上げる。 

しだいに”ジョセフ”は荒れ狂っていくのだが、彼はどうすることもできなかった・・・・

この話は”単なるオカルト映画”で終わる映画ではなかったと思う。

それぞれの人間の情念が重なり合って複雑だった。

もしかしたら本当に怖いのは死んだ魂なんかより、生きている人間の情念なの
かもしれない。

そういうわけで、この映画はホラー映画の中では一番インパクトが強かった。
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1000日のアン

2005年10月02日 | 映画の話

ヘンリー8世は生涯で8回妻を取り替えたという。

主人公のアンはそのうちの何番目だったかはおぼえていない。
彼女は先妻を追い出す形で王妃の座を手に入れるのだ。
彼女が望んだというよりも、国王であるヘンリー8世がそう望んだのだろう。

いつの時代、どこの国でも、権力者の気まぐれから不幸の波紋が広がっていく。
彼は世継ぎを欲したが、生まれたのは女の子。
結局、アンとの間には男子は誕生しなかった。

彼らの仲は次第に険悪なものになっていき、国王は新しい愛人に溺れる。
愛人を次なる王妃に迎えるためにとった手段は卑劣だ。

不義密通の罪をでっち上げて幽閉してしまうというものだった。
裁判は彼女にとって不利に進んでいく。
もともと彼女を王妃にしたくない重臣が多かったのだろう。
極刑が下される、斬首である。

剣による斬首は当時、名誉ある貴族の特権だったそうだけど、
結局は死ぬんだから、どっちでも同じようなものじゃないのかな。

処刑の朝、最期のミサを終えて処刑場に向かう時、彼女は言う

「私の娘、エリザベスがこの国の王となるのです」

処刑台に上がる時、アンは片隅に置かれている美しい赤い箱に目をとめる。
自分のために用意された赤く装飾された美しい棺。

処刑の終了を告げる大砲の音に振り向く少女は、
スコットランド女王メアリーを実母と同じように葬り去った
のちのエリザベス1世だった。

歴史は同じように繰り返される、権力を手に入れたものは
それを保ちつづけるために、あらゆる手段を嵩じるんだなあ・・・

たしか・・・ヘンリー8世はどの王妃にも男子は生まれなかったと思う。
8人?以上もいたという王妃の中で、首を刎ねられたのは2~3人いたらしい。

日本の戦国時代でもそうだけど、権力を手に入れ損ねたら命はないのよ。
それに比べて今の時代の(日本の)権力闘争は生活はかかっていても
別に死ぬわけじゃないから、裏切り放題じゃありませんか?

都合が悪くなると「記憶にございません」
捕まったら「秘書がやりました」

まあ、自殺はしても、殺されはしないわね。

私は歴史上の人物の中では、アンの方がマリー・アントワネットよりも
悲劇性を感じてしまいます。

アントワネットは自業自得、死ぬ前にさんざん贅沢してますよね。
アンの場合はあまりにも運がなさすぎる(特に男運が)

この時代は男運は命にかかわることだったのか・・・と変に納得してますが・・・
こういう人生っていったいなんなんだろう?

もし、自分がこの時代に生きていたら、修道生活が賢明か?

いやあ~今の時代の平民に生まれて本当に良かったです。

私は歴史ドラマが好きですわ。 

それではこの辺で、おやすみなさいませ。
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