茶道の精神を伝えるものとして、先日ご紹介した四規七則以外に、利休百首というものもある。
これは、茶の湯の精神、道具の扱い方、点前の心得などを和歌の形をとって伝えるもの。これもなかなか深いものがあります。そもそも千利休が茶の湯の心得や作法を和歌の形で表したものだが、その体裁は裏千家11代玄々斎が作りあげたとされている。
長いですが、全て一度ご覧下さい。
私としては深く納得できるものもあれば、まだわからないピンとこない首もあり、やはりまだ茶道は奥深いのだな、と思っております。
その道に入らんと思う心こそ わが身ながらの師匠なりけり
習いつつ見てこそ習へ習はずに 善悪言うはおろかなりけり
こころざし深き人にはいくたびも あわれみ深くおくぞ教うる
はじをすて人にもの問い習うべし これぞ上手の基なりける
上手には数寄と器用を功つむを 此三つそろう人ぞよく知る
点前には弱みを捨ててただ強く されど風俗いやしきをされ
点前には強みばかりを思うなよ 強きは弱くかるく重かれ
茶の点前ものしずかにと聞くものを そそうになせし人はあやまり
何にても置きつけ帰る手ばなれは こひしき人に別るるとしれ
濃茶には手前をすてて一筋に ふくの加減と息をちらすな
濃茶には湯加減暑くふくは尚 泡なきようにかたまりもなく
とにかくにふくの加減を覚ゆるは 濃茶たびたびたててよく知れ
よそにては茶をくみてのち茶杓にて 茶碗のふちを心して打て
中次は胴を横手にかけてとれ 茶杓は直におくものぞかし
なつめにはふた半月に手をかけて 茶杓を丸くおくとこそ知れ
蒔茶入、蒔絵柄もの文字あらば 順逆覚えあつかうと知れ
かたつきは中次とまた同じこと そこに指をばかけぬとぞしる
ぶんりんやなす丸つぼ大海は そこに指をばかけてこそもて
大海をあしらう時は大指を 肩にかけるぞ習いなりける
口広き茶入れの茶をばくむと云う せまき口をばすくとぞ云う
筒茶碗、深き底よりふき上がり 重ねて内へ手をやらぬもの
乾きたる茶巾使わば湯をすこし こぼしのこしてあしらうぞよし
炭おくはたとえ習いにそむくとも 湯のよくたぎる炭は炭なり
客になり炭つぐならばそのたびに 薫物などをくべむものなり
炭つがば五徳はさむな十文字 えんを切らすなつり合いを見よ
たきのこる白炭あらば捨ておきて 又たきそえる事はなきなり
炭置くも習いばかりにかかわりて 湯のたぎらざる炭は消え炭
崩れたるその白炭をとりあげて 又たきそえることはなきなり
風炉の隅見ることはなし見ぬとても見ぬこそなをも見る心なれ
客になり底取るならばいつとても いろりの角をくすしつくすな
客になり風呂のその内見る時は 灰崩れなん気づかいをせよ
墨跡をかける時にはたくぼくを 末座の方へ大方はひけ
絵の物を掛る時にはたくぼくを 印しある方へ引き置くもよし
冬の釜いろりふちより六七分 高くすえるぞ習いなりける
品じなの釜によりての名は多し 釜の総名かんすとぞいふ
絵かけ物左右向き向ふむき 使うも床の勝手にぞよる
うばぐちはいろりふちより六七分 低くそえるぞ習いなりける
置き合わせ心をつけて見るぞかし 袋のぬい目たたみ目におけ
はこびだて水指置くはよこ畳 二つ割りにてまん中に置け
茶入又、茶せんのかねをよくも知れ あとに残せる道具目当てに
何にても道具扱う度ごとに 取る手は軽く置く手重かれ
水指に手桶出さば手は横に 前のふたとりさきにかさねよ
よそなどに花おくらば其の花は 開きすぎしはやらぬものなり
つるべこそ手はたてにおけふたとらば 釜にちかづく方と知るべし
小板にて濃茶をたてば茶巾をば小板のはしに置くものぞかし
掛物の釘打つならば大輪より 九分下げて打て釘も九分なり
かんしょうは大と小とに中々に 大と五つのかすをうつなり
茶入れより茶をすくうには心得て 初中後すくへそれが秘事なり
湯をくまば柄杓に心つきのわの そこねぬように覚悟してくめ
柄杓湯をくむ時の習には 三つの心得あるものぞかし
湯をくみて茶碗に入る其時は 柄杓のねじはひじよりぞする
柄杓にて白湯を水とをくむ時は くむと思わじもつと思わじ
茶を振るは手さき振ると思うなよ 肘より触れよそれが秘事なり
床に又和歌の類をばかけるなら 外に歌書をばかざらぬとしれ
外題ある物をよそにて見るときは まず外題をば見せてひらけよ
羽帯は風炉には右羽炉のときは 左羽をば使うぞしる
名物の茶わん出たる茶の湯には 少し心得かわるそ知れ
暁はすきやのうちもあんどんに 夜会などにはたんけいをおけ
ともしびに油をつがば多くつげ 客にあかざる心得と知れ
ともしびに陰と陽との2つあり あかつきには影、夜は陽なり
古への夜会などには床の内 かけもの花はなしとこそきけ
炉の内は炭斗ふくべ柄の火箸 陶器香合ねり香としれ
古へは名物などの香合へ 直ちにたきもの入れぬとぞきく
風炉の時、炭はなかごにかね火箸 ぬり香合に白檀をたけ
ふたおきに三つ足あらば一つ足 前につかうを心得とおけ
二帖台、三帖台の水指は 九つ目におくが法なり
茶巾をばながみ布巾一尺に 横は五寸のかね尺としれ
ふくさをばたちは九寸あまり横巾は 八寸九寸かね尺にせよ
うす板は床かまちより十七目 又は十八、十九目におけ
うす板は床の大小また花や 花生によりかわるしなじな
花入のおれくぎ打つは地敷居より 三尺三寸五分よもあり
花入の大小あらば見合わせよ かねをはづして打つがかねなり
竹釘は皮目を上に打つぞかし 皮目を下になすこともあり
三つ釘は中の釘より両わきを 二つにわりなるまん中に打て
三幅の軸を掛けるは中をかけ 軸先をかけ次に軸もと
掛物をかけておくにはかべつきを 三四分すかしおく事ときく
花見より帰って人に茶の湯せば 花鳥の絵をも花もおくまじ
時ならず客の来たらば手前おば 心は草にわざを慎め
釣船はくさりのながさ床により 出船入船うき船としれ
つぼなどを床にかざらん心あらば 花より上にかざりおくべし
風炉濃茶必ず釜に水さすと 一筋に思う人はあやまり
右の手を扱う時はわが心 左の方にありと知るべし
一と点前たてるうちには善悪と有無の心のわかちをも知る
なまるとは手つぎ早く又おそく 所々のそろわぬを云う
手前には重きを軽く軽きをば 重くあつかう味わいを知れ
盆石をかざりし時の掛物に 山水などはさしあいと知れ
板床に葉茶つぼ茶入品々を かざらでかざる法もありける
床の上にかご茶入れをおく時は うす板などはしかぬものなり
掛物や花を拝見するときは 三尺ほどは床をよけて見よ
けいことは一より習い十を知り十より帰るもとのその一
茶の湯をば心に染て目にかけづ 耳をひそめて聞くこともなし
茶をたてば茶せんに心よくつけて 茶碗の底に強くあたるな
目にも見よ耳にもふれよ香を嗅て ことを問いつつよく合点せよ
習いをばちりあくたぞと思へかし 書物は反古腰ばかりにせよ
水と湯と茶巾茶筅に箸楊枝 柄杓と心あたらしきよし
茶はさびて心は厚くもてなせよ 道具は何時も有合とせよ
茶の湯とは只湯をわかし茶をたてて のむばかりなる事と知るべし
もとよりもなき古への法なれど 今ぞきわむる本来の法
規矩作法守りつくして破るとも はなるるとても本を忘るな
これは、茶の湯の精神、道具の扱い方、点前の心得などを和歌の形をとって伝えるもの。これもなかなか深いものがあります。そもそも千利休が茶の湯の心得や作法を和歌の形で表したものだが、その体裁は裏千家11代玄々斎が作りあげたとされている。
長いですが、全て一度ご覧下さい。
私としては深く納得できるものもあれば、まだわからないピンとこない首もあり、やはりまだ茶道は奥深いのだな、と思っております。
その道に入らんと思う心こそ わが身ながらの師匠なりけり
習いつつ見てこそ習へ習はずに 善悪言うはおろかなりけり
こころざし深き人にはいくたびも あわれみ深くおくぞ教うる
はじをすて人にもの問い習うべし これぞ上手の基なりける
上手には数寄と器用を功つむを 此三つそろう人ぞよく知る
点前には弱みを捨ててただ強く されど風俗いやしきをされ
点前には強みばかりを思うなよ 強きは弱くかるく重かれ
茶の点前ものしずかにと聞くものを そそうになせし人はあやまり
何にても置きつけ帰る手ばなれは こひしき人に別るるとしれ
濃茶には手前をすてて一筋に ふくの加減と息をちらすな
濃茶には湯加減暑くふくは尚 泡なきようにかたまりもなく
とにかくにふくの加減を覚ゆるは 濃茶たびたびたててよく知れ
よそにては茶をくみてのち茶杓にて 茶碗のふちを心して打て
中次は胴を横手にかけてとれ 茶杓は直におくものぞかし
なつめにはふた半月に手をかけて 茶杓を丸くおくとこそ知れ
蒔茶入、蒔絵柄もの文字あらば 順逆覚えあつかうと知れ
かたつきは中次とまた同じこと そこに指をばかけぬとぞしる
ぶんりんやなす丸つぼ大海は そこに指をばかけてこそもて
大海をあしらう時は大指を 肩にかけるぞ習いなりける
口広き茶入れの茶をばくむと云う せまき口をばすくとぞ云う
筒茶碗、深き底よりふき上がり 重ねて内へ手をやらぬもの
乾きたる茶巾使わば湯をすこし こぼしのこしてあしらうぞよし
炭おくはたとえ習いにそむくとも 湯のよくたぎる炭は炭なり
客になり炭つぐならばそのたびに 薫物などをくべむものなり
炭つがば五徳はさむな十文字 えんを切らすなつり合いを見よ
たきのこる白炭あらば捨ておきて 又たきそえる事はなきなり
炭置くも習いばかりにかかわりて 湯のたぎらざる炭は消え炭
崩れたるその白炭をとりあげて 又たきそえることはなきなり
風炉の隅見ることはなし見ぬとても見ぬこそなをも見る心なれ
客になり底取るならばいつとても いろりの角をくすしつくすな
客になり風呂のその内見る時は 灰崩れなん気づかいをせよ
墨跡をかける時にはたくぼくを 末座の方へ大方はひけ
絵の物を掛る時にはたくぼくを 印しある方へ引き置くもよし
冬の釜いろりふちより六七分 高くすえるぞ習いなりける
品じなの釜によりての名は多し 釜の総名かんすとぞいふ
絵かけ物左右向き向ふむき 使うも床の勝手にぞよる
うばぐちはいろりふちより六七分 低くそえるぞ習いなりける
置き合わせ心をつけて見るぞかし 袋のぬい目たたみ目におけ
はこびだて水指置くはよこ畳 二つ割りにてまん中に置け
茶入又、茶せんのかねをよくも知れ あとに残せる道具目当てに
何にても道具扱う度ごとに 取る手は軽く置く手重かれ
水指に手桶出さば手は横に 前のふたとりさきにかさねよ
よそなどに花おくらば其の花は 開きすぎしはやらぬものなり
つるべこそ手はたてにおけふたとらば 釜にちかづく方と知るべし
小板にて濃茶をたてば茶巾をば小板のはしに置くものぞかし
掛物の釘打つならば大輪より 九分下げて打て釘も九分なり
かんしょうは大と小とに中々に 大と五つのかすをうつなり
茶入れより茶をすくうには心得て 初中後すくへそれが秘事なり
湯をくまば柄杓に心つきのわの そこねぬように覚悟してくめ
柄杓湯をくむ時の習には 三つの心得あるものぞかし
湯をくみて茶碗に入る其時は 柄杓のねじはひじよりぞする
柄杓にて白湯を水とをくむ時は くむと思わじもつと思わじ
茶を振るは手さき振ると思うなよ 肘より触れよそれが秘事なり
床に又和歌の類をばかけるなら 外に歌書をばかざらぬとしれ
外題ある物をよそにて見るときは まず外題をば見せてひらけよ
羽帯は風炉には右羽炉のときは 左羽をば使うぞしる
名物の茶わん出たる茶の湯には 少し心得かわるそ知れ
暁はすきやのうちもあんどんに 夜会などにはたんけいをおけ
ともしびに油をつがば多くつげ 客にあかざる心得と知れ
ともしびに陰と陽との2つあり あかつきには影、夜は陽なり
古への夜会などには床の内 かけもの花はなしとこそきけ
炉の内は炭斗ふくべ柄の火箸 陶器香合ねり香としれ
古へは名物などの香合へ 直ちにたきもの入れぬとぞきく
風炉の時、炭はなかごにかね火箸 ぬり香合に白檀をたけ
ふたおきに三つ足あらば一つ足 前につかうを心得とおけ
二帖台、三帖台の水指は 九つ目におくが法なり
茶巾をばながみ布巾一尺に 横は五寸のかね尺としれ
ふくさをばたちは九寸あまり横巾は 八寸九寸かね尺にせよ
うす板は床かまちより十七目 又は十八、十九目におけ
うす板は床の大小また花や 花生によりかわるしなじな
花入のおれくぎ打つは地敷居より 三尺三寸五分よもあり
花入の大小あらば見合わせよ かねをはづして打つがかねなり
竹釘は皮目を上に打つぞかし 皮目を下になすこともあり
三つ釘は中の釘より両わきを 二つにわりなるまん中に打て
三幅の軸を掛けるは中をかけ 軸先をかけ次に軸もと
掛物をかけておくにはかべつきを 三四分すかしおく事ときく
花見より帰って人に茶の湯せば 花鳥の絵をも花もおくまじ
時ならず客の来たらば手前おば 心は草にわざを慎め
釣船はくさりのながさ床により 出船入船うき船としれ
つぼなどを床にかざらん心あらば 花より上にかざりおくべし
風炉濃茶必ず釜に水さすと 一筋に思う人はあやまり
右の手を扱う時はわが心 左の方にありと知るべし
一と点前たてるうちには善悪と有無の心のわかちをも知る
なまるとは手つぎ早く又おそく 所々のそろわぬを云う
手前には重きを軽く軽きをば 重くあつかう味わいを知れ
盆石をかざりし時の掛物に 山水などはさしあいと知れ
板床に葉茶つぼ茶入品々を かざらでかざる法もありける
床の上にかご茶入れをおく時は うす板などはしかぬものなり
掛物や花を拝見するときは 三尺ほどは床をよけて見よ
けいことは一より習い十を知り十より帰るもとのその一
茶の湯をば心に染て目にかけづ 耳をひそめて聞くこともなし
茶をたてば茶せんに心よくつけて 茶碗の底に強くあたるな
目にも見よ耳にもふれよ香を嗅て ことを問いつつよく合点せよ
習いをばちりあくたぞと思へかし 書物は反古腰ばかりにせよ
水と湯と茶巾茶筅に箸楊枝 柄杓と心あたらしきよし
茶はさびて心は厚くもてなせよ 道具は何時も有合とせよ
茶の湯とは只湯をわかし茶をたてて のむばかりなる事と知るべし
もとよりもなき古への法なれど 今ぞきわむる本来の法
規矩作法守りつくして破るとも はなるるとても本を忘るな
この百首のことをあまりよく言わない方もおられるみたいですが、私は重宝させていただいています。
書道師範の叔母にこれをすべて短冊に書いてもらい(私は自信なし)、稽古をする隣の部屋(一応、待合い)に、稽古ごとに必要に応じて掛け替えて、「お待合いのお軸」という事にしています。
もちろん初めての方の時には、
「その道に入らんと…」で、
なまってきたな、と思ったら、
「稽古とは一より…」
意味が解りづらい時には、井口海仙著の「利休百首」に助けられています。
精進、精進です。
伯母様直筆の利休百首とはいいですね!
井口海仙先生の本があるんですね~。私は未だに意味がいまいちわからないのを放りっぱなしです。反省。