ミクシィで知り合ったゴマ子さんと“茶碗の美 ―国宝 曜変天目と名物茶碗―”を見に出かけた。2月9日~3月23日まで。最大の目的は、3年ぶりに展示される曜変天目茶碗である。
80点余りの茶碗がずらりと並んでいる中に、目的の曜変天目を見つけた。写真で見て感じていたよりも小ぶりで、自然に現れた模様とは思えない美しさだった。この曜変天目の伝来は徳川本家~小田原藩主稲葉美濃守正則(春日局の嫡孫)代々~横浜の小野哲郎~岩崎小弥太。稲葉家に伝来した為、稲葉天目とも呼ばれ、現存する3つの曜変天目の中でも随一と言われるだけあって、本当に見事だった。
美しい天目には数々の逸話が残っている。
① 乳母の春日局が何があっても自分の為に薬を飲まずに願を掛けていることを心配した徳川三代将軍家光が、この天目茶碗に薬湯を煎じて飲むよう促したところ、春日局は喜びつつその薬を飲んだふりをして着物に流し込んだ、その後天目は春日局のところに留まったというもの。
② 稲葉家の姻戚であった小野氏が、大正七年に東京両国美術倶楽部で金16万8千円の高値で落札したこと。
③ 随一と言われる天目を手に入れた岩崎小弥太氏は、私ごときが使うべきではないとして一度も茶を点てることはなかったが、その死後、奥様の願いで、仏前に一度だけ献茶されたこと。
この天目を使って実際に茶が点てられたという記録はほとんど残っていない。確かに、見るほどに茶碗という名がついてはいるけれどお茶を点てる道具という風には見られない器です。
尼崎台という天目台の名称を耳にしたことがあるでしょうか。これも今回、天目茶碗のそばのケースに別に飾られていました。
尼崎台とは、現在の兵庫県尼崎に請来した為に付けられた名称で、黒塗り、真鍮などの覆輪がつき、朱漆で高台の裏側に印が描かれているもの。
お稽古で天目茶碗と尼崎台の写しを使用する際、先生から、尼崎台には“むかで印”という朱漆のサインみたいなものが高台内側に描かれているのが特徴だと伺っていたので、奥から覗き込んでみると、あったあった、朱色で描かれた模様が。これが本物かーと改めて感動しました。
念のため、学芸員さんに尼崎台の由来とむかで印について聞いてみると、確実なところはわかっていないが、たぶん、製作者が自分のマークのつもりでつけたもので、「分類草人木」によると、堺の豪商天王寺宗柏が渡明する茶人の志野道甘に20個天目台を持って帰ってほしいと依頼し、10個を持ち帰ってきたこと、そのうち9個が現存する、また、江戸前期の「草人木」によれば、むかで印10個と梅鉢印13個ある天目台23個を尼崎台としているという説もあるとお話下さった。梅鉢印という印もあるのだと初めて知った。
稲葉天目は、多くの陶芸家を魅了し、同じ美しい茶碗を作ろうと挑戦されてきたが未だにこの美しさは再現できないのだという。自然と偶然の融合で生まれた逸品なのだろう。
ご参考までに現存する3つの曜変天目は、以下の通り。
① 京都大徳寺龍光院 龍光院天目
② 藤田美術館 水戸天目
③ 静嘉堂文庫美術館 稲葉天目
あと残り2つに出会える日を楽しみにしていよう。
天目茶碗と呼ばれるものの定義は、
口縁のすぐ下がいったんしまる「すっぽん口」であること。
側面が漏斗状にすぼまっていること。
胎土を露わにして低い高台がつく形であること。
その柄の出方や特徴から、曜変、油滴、禾目、建盞、灰被、玳皮盞、木の葉、兎盞など様々な天目茶碗がある。
国宝の稲葉天目以外に、飾られていた重要文化財の油滴天目はとにかく大きくて驚いた。今回の展示会では全てのお茶碗に重さがグラム表示されていたのだが、普通のお茶碗が200-300gとすると、この油滴天目は741g。お茶を点てるのも飲むのも大変だろうと思う。
唐物、高麗、和物茶碗と大きく3つに分類されて展示されていたが、私が一番気に入ったのは、出雲割高台茶碗。地味なのだが、とても心惹かれた。
ゆっくり目の保養をした後は、いつものことながら、おなかの保養。ゴマ子さんと二子玉川の高島屋でのんびりランチを楽しんだ。ゴマ子さんにお会いしたのは、昨年の香会以来のこと。天目茶碗やお茶の話は尽きることがなかった。
<ご参考>菖蒲香
80点余りの茶碗がずらりと並んでいる中に、目的の曜変天目を見つけた。写真で見て感じていたよりも小ぶりで、自然に現れた模様とは思えない美しさだった。この曜変天目の伝来は徳川本家~小田原藩主稲葉美濃守正則(春日局の嫡孫)代々~横浜の小野哲郎~岩崎小弥太。稲葉家に伝来した為、稲葉天目とも呼ばれ、現存する3つの曜変天目の中でも随一と言われるだけあって、本当に見事だった。
美しい天目には数々の逸話が残っている。
① 乳母の春日局が何があっても自分の為に薬を飲まずに願を掛けていることを心配した徳川三代将軍家光が、この天目茶碗に薬湯を煎じて飲むよう促したところ、春日局は喜びつつその薬を飲んだふりをして着物に流し込んだ、その後天目は春日局のところに留まったというもの。
② 稲葉家の姻戚であった小野氏が、大正七年に東京両国美術倶楽部で金16万8千円の高値で落札したこと。
③ 随一と言われる天目を手に入れた岩崎小弥太氏は、私ごときが使うべきではないとして一度も茶を点てることはなかったが、その死後、奥様の願いで、仏前に一度だけ献茶されたこと。
この天目を使って実際に茶が点てられたという記録はほとんど残っていない。確かに、見るほどに茶碗という名がついてはいるけれどお茶を点てる道具という風には見られない器です。
尼崎台という天目台の名称を耳にしたことがあるでしょうか。これも今回、天目茶碗のそばのケースに別に飾られていました。
尼崎台とは、現在の兵庫県尼崎に請来した為に付けられた名称で、黒塗り、真鍮などの覆輪がつき、朱漆で高台の裏側に印が描かれているもの。
お稽古で天目茶碗と尼崎台の写しを使用する際、先生から、尼崎台には“むかで印”という朱漆のサインみたいなものが高台内側に描かれているのが特徴だと伺っていたので、奥から覗き込んでみると、あったあった、朱色で描かれた模様が。これが本物かーと改めて感動しました。
念のため、学芸員さんに尼崎台の由来とむかで印について聞いてみると、確実なところはわかっていないが、たぶん、製作者が自分のマークのつもりでつけたもので、「分類草人木」によると、堺の豪商天王寺宗柏が渡明する茶人の志野道甘に20個天目台を持って帰ってほしいと依頼し、10個を持ち帰ってきたこと、そのうち9個が現存する、また、江戸前期の「草人木」によれば、むかで印10個と梅鉢印13個ある天目台23個を尼崎台としているという説もあるとお話下さった。梅鉢印という印もあるのだと初めて知った。
稲葉天目は、多くの陶芸家を魅了し、同じ美しい茶碗を作ろうと挑戦されてきたが未だにこの美しさは再現できないのだという。自然と偶然の融合で生まれた逸品なのだろう。
ご参考までに現存する3つの曜変天目は、以下の通り。
① 京都大徳寺龍光院 龍光院天目
② 藤田美術館 水戸天目
③ 静嘉堂文庫美術館 稲葉天目
あと残り2つに出会える日を楽しみにしていよう。
天目茶碗と呼ばれるものの定義は、
口縁のすぐ下がいったんしまる「すっぽん口」であること。
側面が漏斗状にすぼまっていること。
胎土を露わにして低い高台がつく形であること。
その柄の出方や特徴から、曜変、油滴、禾目、建盞、灰被、玳皮盞、木の葉、兎盞など様々な天目茶碗がある。
国宝の稲葉天目以外に、飾られていた重要文化財の油滴天目はとにかく大きくて驚いた。今回の展示会では全てのお茶碗に重さがグラム表示されていたのだが、普通のお茶碗が200-300gとすると、この油滴天目は741g。お茶を点てるのも飲むのも大変だろうと思う。
唐物、高麗、和物茶碗と大きく3つに分類されて展示されていたが、私が一番気に入ったのは、出雲割高台茶碗。地味なのだが、とても心惹かれた。
ゆっくり目の保養をした後は、いつものことながら、おなかの保養。ゴマ子さんと二子玉川の高島屋でのんびりランチを楽しんだ。ゴマ子さんにお会いしたのは、昨年の香会以来のこと。天目茶碗やお茶の話は尽きることがなかった。
<ご参考>菖蒲香
そんな、こちらの方こそ、私の為に色々調べてくださって感謝してもしきれません。貴重なお時間をすみませんでした。
gooブログアドバンスなるものに入ればいいみたいなんですけど、思案中です。
ブログランキングなど、やってみたいことはあるのですが、結局途中で挫折するばかり、パソコンも決まったことしかできなくて。
今後とも色々教えて下さい。
コメント欄で普通にできるのに、それが記事欄で許されていない筈が
無いと勝手に思い込んでしまい申し訳ありませんでした。
折角の素晴らしいブログの過去ログの方も、より多くの人に
読んで戴きたいと思い、ついつい力が入って暴走してしまいました。
ごめんなさい。<( _ _ )>
gooブログをお使いではないのに、いろいろ調べて教えて頂いてありがとうございます。
よくよく見てみたら、どうやら通常のブログサービスではHTMLエディターは使えないらしく、、、、
コピペでやるしかなさそうです。しょんぼり。
やっと見つけました~
↓お時間が出来ましたら、こちらの頁をご覧になってトライしてみて下さい。
http://blog.goo.ne.jp/how_to/e/f5190a735de50471c4df70a6d6a316f7
こちらこそご一緒できてとても楽しかったです。
ありがとうございました。
本当に曜変天目、美しかったですね~。
梅鉢印がどんなものなのか、見てみたいー。9個現存する尼崎台、どこかの美術館で出会えるでしょうか。
またお茶の話、趣味の話、しましょう。
本当に皆さんから色々教えて頂いております。
山桜さんからも~。ありがとうございます。
リンク貼り、いまいち微妙なんですが、うーん。
皆さんにはご不便かけますが、これからもコピー&ペーストして頂くことになるのかな。。。。。
確かに稲葉天目の内側、よく見ると細かい傷がたくさんありました。でも美しかったです。おっしゃるとおり釉薬もたっぷりとたれそうな感じですよね。
稲葉天目の尼崎台のむかで印は、先生のお宅の写しとはちがって、むかで?って感じでした。下までよく見えなかったのですが、○の中央に・、その下に十文字が見えました。
先生のお宅でも安い天目は底が薄く、手に乗せると熱い、でも、いいもの(本物)は本当は熱くないのですよとおっしゃっていました。昔と今では道具の作りも変わってきていることを感じたことでした。まさに昔の道具と使い方は理に叶ってますね。
ありがとうございました。
曜変天目、写真で見るより実物のほうが何倍も美しかったです。
静嘉堂文庫におさまるまで、さまざまなドラマがあったのですね~。
たまごさんのおかげで、「尼崎台」についても知識を深めることができ、感謝してます。
またぜひご一緒しましょうね!
お客様「の」× → お客様「も」○ でした。
度々コメント欄を汚してしまい申し訳ありません。<( _ _ )>
m-tamagoさんのブログはお客様の素晴らしくて、本当に
勉強させて戴けます。 いつもありがとうございます。
リンク貼り、成功なさったようですね☆⌒(*^∇゜)v
熱くって投げ出したい って思った事ありませんか?
釉薬が流れて曜変が現れ易いように スッポン口
だから口辺の釉薬がとても薄い それで覆輪をして口を保護する お茶碗は底を薄くすると 手取が軽く感じます 楽茶碗はどっしりしてますが思いの外軽い
それは茶筅擦り 拡げ薄い 逆に天目茶碗は曜変の美しさ追求したので 底が厚い で手取り どっしり重い 底が厚い ですから手の上にのせ茶筅湯治しても熱くないのです
ですから 天目茶碗 底の薄い手取りの軽く感じる物は 扱いの上でも 好ましくない というか本物ではない
あの扱いは天目の特徴を捉えた扱いでもあると 思うのです
奥伝のお点前 理にかなっているのですね
蛍光灯の下でしか見たこと無いのですが
細かい傷が 乱反射して
写真でのイメージがあり
意外と汚いって思いが残ってます
茶碗というより芸術品
宝物ですよね 内の曜変よりも
外側の高台近くで、ぷっくり溜まって今にも落ちそうな釉薬の固まりが不思議で 触って見たく思いました
障子を通した陽光で拝見してみたいモノです
大日本茶道学会で ムカデの尼崎を持っていて写真ですが 酸漿の内側に 線彫りされたムカデが今にも動き出しそうで びっくりしましたが
梅鉢もあるのですか? 拝見してみたいモノです
以前龍光院の天目は TVで見たことが在ります