濃茶は何故わざわざ回しのみするのか。初めての人にはかなり抵抗のある飲み方、私自身今でこそおいしく頂くものの、最初の頃は残り全てを飲みきる末客にだけはなりたくない!と念じていたものです。今は同じ社中で回しているからいいものの、全く初対面同士だったらまだ抵抗を感じるかもしれません。
さて、いつ頃から回しのみが始まったのか、その由来について。
回しのみは“すい茶”とも言う。昔の文献から様々な説があるようだが、これもまた千利休様が確立されたというのが通説のようだ。
「茶湯古事談」に以下の記載がある。
“むかしハ濃茶を一人一服づつたてしを、其間余り久しく、主客共に退屈なりとて、利休が吸茶に仕そめしとなん”
利休様以前は濃茶は一人ずつ各服点てだった。実際、利休様が聚楽第で客一人一人の好みに従って茶の量を変えて点てている記載もある。それを回しのみに変えていったのには茶湯古事談にもあるように時間短縮という側面もあったが、それ以上に、その席に集う客が結びつきを強くする意味もあったようだ。そもそも日本には共同飲食の風習があり、同じ器から同じ物を食べ飲むことで、その一座の結びつきをより一層強固なものにしていた。そうした風習を茶の湯に取り入れることでその席に集った客の結びつきを強いものとしたのであろう。狭い茶室で1つの茶碗から貴重な抹茶を回し飲むことで一同が盟約を結ぶというような儀式的意味合いも添えていたようだ。
同じ飲み口で頂くとなるとお互いある程度の配慮は必要となる。飲み口はきれいにふき取ること、また、風邪をひいている時は私は最後に頂きますと申し出るよう心がけている。咳をしている方や具合が悪い方の後に濃茶を飲むのは気分的にいいものではない。自分が嫌なことは相手にもしないように。相手が嫌な気持ちを持ったらそれこそ一座建立を齎す回しのみの意味自体が薄れてしまう。
濃茶も同じ抹茶で点ててもやはり人によって味が違うもの。季節、抹茶の種類、点てる人数やお湯の温度、量等によって加減が異なってくるが、それをいつも一定の状態・味で点てられるのが本物。社中の皆さんは私より年齢も上で茶道歴も長いので其々おいしいのだが、その中でも私が好きなのは、濃茶なのに程よく空気が含まれてふんわりクリーミーになっているもの。自ら飲みたいと要望してしまう。その味はその方の日頃のお稽古と心の鍛錬の結果と思い、私もそのような濃茶が練れるよう目指している。やはり回数をこなさなくては上手にならないので毎週練らせて頂くが、私の点てたいまいちな濃茶を飲んで下さる先生や社中の皆様には感謝である。今日も“不加減でございまして”と問答する。
あの濃茶、また飲みたい、と思われるのはいつだろうか。先は長そうだ。
さて、いつ頃から回しのみが始まったのか、その由来について。
回しのみは“すい茶”とも言う。昔の文献から様々な説があるようだが、これもまた千利休様が確立されたというのが通説のようだ。
「茶湯古事談」に以下の記載がある。
“むかしハ濃茶を一人一服づつたてしを、其間余り久しく、主客共に退屈なりとて、利休が吸茶に仕そめしとなん”
利休様以前は濃茶は一人ずつ各服点てだった。実際、利休様が聚楽第で客一人一人の好みに従って茶の量を変えて点てている記載もある。それを回しのみに変えていったのには茶湯古事談にもあるように時間短縮という側面もあったが、それ以上に、その席に集う客が結びつきを強くする意味もあったようだ。そもそも日本には共同飲食の風習があり、同じ器から同じ物を食べ飲むことで、その一座の結びつきをより一層強固なものにしていた。そうした風習を茶の湯に取り入れることでその席に集った客の結びつきを強いものとしたのであろう。狭い茶室で1つの茶碗から貴重な抹茶を回し飲むことで一同が盟約を結ぶというような儀式的意味合いも添えていたようだ。
同じ飲み口で頂くとなるとお互いある程度の配慮は必要となる。飲み口はきれいにふき取ること、また、風邪をひいている時は私は最後に頂きますと申し出るよう心がけている。咳をしている方や具合が悪い方の後に濃茶を飲むのは気分的にいいものではない。自分が嫌なことは相手にもしないように。相手が嫌な気持ちを持ったらそれこそ一座建立を齎す回しのみの意味自体が薄れてしまう。
濃茶も同じ抹茶で点ててもやはり人によって味が違うもの。季節、抹茶の種類、点てる人数やお湯の温度、量等によって加減が異なってくるが、それをいつも一定の状態・味で点てられるのが本物。社中の皆さんは私より年齢も上で茶道歴も長いので其々おいしいのだが、その中でも私が好きなのは、濃茶なのに程よく空気が含まれてふんわりクリーミーになっているもの。自ら飲みたいと要望してしまう。その味はその方の日頃のお稽古と心の鍛錬の結果と思い、私もそのような濃茶が練れるよう目指している。やはり回数をこなさなくては上手にならないので毎週練らせて頂くが、私の点てたいまいちな濃茶を飲んで下さる先生や社中の皆様には感謝である。今日も“不加減でございまして”と問答する。
あの濃茶、また飲みたい、と思われるのはいつだろうか。先は長そうだ。
お湯とお茶に問題がなければ、わたしのお稽古不足でしょうか?
先生にお聞きしても、わからなかったのです。
もし、思い当たる点がございましたら、なんなりと、、、。
よろしくお願いいたします。
私が気をつけるのは、お湯の量と、ダマを作らないようによく練る(=かき混ぜる)ことでしょうか。それでも、成功する時と失敗する時とありますから、自分なりに練ってちょうどいい具合を習得するしかないのでしょうね。。。。おいしいお茶を点てたいという気持ちだけはいつも十分あるのですがネ。
お互いおいしいお茶が点てられるよう頑張りましょう!
もう少し、上等のお茶で点ててみようとおもいます。
20日のお茶事、柿の白和えも一品なので、きのう
家で、作ってみました。れんこんのしんじょは、水分
が多く、かたくりの量が増えてしまいました。当日は
先生のご指導を仰ぎ、おいしくできますように、と
がんばってみます。
楽しみですね。
懐石もご自分で作られるのですか?
柿の白和え、れんこんのしんじょ、おいしそうです。
また茶事の様子お知らせください。
楽しく有意義な茶事になりますようお祈りしています。