茶の湯 徒然日記

茶の湯との出会いと軌跡、お稽古のこと

亀屋末富 御菓子のこころ

2008-05-09 18:03:09 | 茶道マメ知識
 亀屋末富社長のお話からかいつまんで書かせて頂きます。聞き違いがあるかもしれませんので、間違いがありましたら、お知らせ下さい。
<ご参考>亀屋末富さんについて
http://www.digistyle-kyoto.com/gourmet/hyakumikai/kyogashi/suetomi.html

 日本では遣唐使によって薬として砂糖が持ち込まれた。平安時代になると、「甘葛(あまづら)」と呼ばれる食べ物が登場するが、それは貢物であり、貴族の食べ物であった。だから、“甘い”ということ自体が貴重であり、もてなしとなっていった。文学でいえば、枕草子、狂言では、“附子”に甘いものが登場する。
 やがて、織田信長の時代には、南蛮文化が栄え、「金平糖」が日本に入ってきた。ここで、初めて、お菓子という形で日本人は甘い物を口にしたことになる。この甘い物を口にできるということは一種のステータスとなり、更にそれを客に振舞えることは、もてなしに繋がり、同時に自分の地位の高さを示すものともなった。その道具としてのお菓子に茶が結びついていく。この時代は、お茶にしろ、菓子にしろ、すべて舶来品が珍重された時代。
 江戸時代になっても、砂糖は貴重品で、元禄時代になると、江戸で“京下り”の菓子が出回るようになる。江戸中期には、所司代の許しを得て白い砂糖を扱える上菓子屋仲間が生まれ、公家の家来の“司”として、菓子を作るようになった。これは、248軒を数え、200m毎に1軒ほどの勘定になる。菓子を口にできたのは、公家、神社仏閣、そこに出入りする商人であり、あくまで菓子は貴族風で、味もさることながら、ブランド力や権威性も重要なポイントとなった。庶民はといえば、塩味のお菓子しか食べられず、伊勢の赤ふくは明治時代まで塩味だったとか。
 京都では、菓子屋、お饅や、お餅や、という3種類の店があり、菓子屋は贈答品としての菓子作り、お饅やは日常頂くおやつ菓子作り、お餅やは、餅作り、ときちんと分けられて存在しており、これは今も続いている。
 8代吉宗の時代に、国産の白い砂糖である和三盆が登場。それまでは白い砂糖と言えば舶来品であった。
 
 菓子が貴族風である理由は何か。そして、菓子の大事なポイントとは何か。
① 季節の表現があること
貴族の和歌からもわかるように、季節の移ろいへの期待というものがあり、菓子を先取りして使うのはその期待感からである。ただ、先取りすればいいというものではなく、何を伝えたいのかが大事なので、よく考えて使用することが重要。
② 銘をもつ
季節と心を伝える要素、物語として、銘がある。菓子屋は歳時記をベースに銘を考え、菓子を作る。菓子は、見て受け手がすぐに理解できるものでなければならない。
菓子は、このように、提供される。
菓子屋 → 客(亭主)→ 客
菓子屋は直接客に接するのではなく、あくまで、取次であり、もてなしの手伝いをしているだけ。最終的に口にする客に面しているのは菓子屋から菓子を買っていく客(亭主)、だからどう使うかは亭主次第。従って、菓子の銘はできれば道具の取り合わせと併せて自分で考えた方がよいし、菓子屋にどのようなもてなしをしたいのかを伝え相談して作り上げた方がよい。
③ 美術・工芸品の模倣
菓子には、琳派や大和絵の図案を活用したり、花札などの組み合わせ(例えば、鹿ともみじ、蝶とぼたんなど)が取り入れられたりする。繋がりを楽しむものである。
④ 見立ての美学
様々なものに見立て、その世界にとけこむ美しさ。
⑤ ざっくりした世界観
写実的ではない、ざっくりしたものの中から何を見るか。一種のいい加減さがある。
⑥ 茶があること
菓子はあくまで茶の中の菓子であって、手で作った一つひとつが微妙に異なるところに、動きがあり、遊び心がある。作るだけ、食べるだけではなく、水屋の手伝いをして、菓子器に盛りつけをして感じることも大切なこと。

 東京と京都では菓子の雰囲気が違う。これは、東京は写実的で、京都はいい加減さや銘などから感じる共通認識があるということが違うからだろう。
 菓子は席での要となる。亭主は器にどう盛るか、客も懐紙にどう取るのか。ただ、懐紙にひょいと取るのではなく、絵を描くつもりでとってほしい。そして、コミュニケーションをとりながら、一緒に菓子を作り上げていく菓子屋が持てることが理想である。

 いかがでしたか。なるほどなるほど、ですね。山口社長さんは、淡交社から本も出されており、先日、本屋さんで立ち読みしてきました。新聞に連載された菓子の数々が写真とともに一冊の本にまとめられているもので、しばしうっとり眺めてしまいました。
 日本での砂糖の歴史も調べてみたら面白そうです。最初は、薩摩藩が琉球と協力して黒砂糖を作りだしたのではないでしょうか。そして、吉宗の時代に生まれたという和三盆ですが、これはどのようにして、誰が作ったのかしら。今回、お話を聞いて、想像は膨らむばかりです。
 現代では庶民の私でも洋菓子、和菓子問わず、毎日のように口にしていますが、思えば、私の親が小さい頃は甘いものは貴重品だったでしょうし、お正月やお祝い事、お盆やお彼岸などの特別な時しか口にできない大事な“ハレ”の食べ物だったのですよね。“甘い”ということが当たり前すぎて、鈍感になっている自分がおりました。これからは1つ1つのお菓子を大切に頂きたい、そして、それぞれの郷土で生まれたお菓子もただ珍しいと食べるのではなくできればその歴史を味わいながら頂きたいと思ったことでした。
 皆さん、思い出のお菓子、珍しいお菓子がありましたら、是非ご紹介ください。花より団子の食いしん坊m-tamagoです。
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8 コメント

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Unknown (ゴマ子)
2008-05-09 22:21:46
末富さんのお菓子はおいしいですよね。
私も大好きです。

確かに今は甘いものが巷にあふれていて
ありがたみも薄れてきていますが
昔はお砂糖は大変な貴重品だったのでしょう。
また、戦後の混乱期には甘いものなどなく
当時のお茶の先生方はきっと大変なご苦労をされたことでしょうね。

私はとらやの最中を初めていただいたとき

「こんなにおいしい最中があったんだ!」とびっくりした覚えがあります(^^;)
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菓子も奥深し・・・ (旅の風)
2008-05-10 17:19:07
 >東京と京都では、菓子の雰囲気が違う。
そうですか? 地方に居ると、その辺が今一つよく分りませんが、地方色ってありますね。
同じ銘のお菓子でも、作る人のセンスや世代で、全く違うものにもなりますし、
同じ店でも、親と子で微妙に変化しているところがあります。

 砂糖は、鑑真によってもたらされたという説もありますが、幾度も難破に遭った事を
思えば定かではありませんね。砂糖に始まり、お菓子への興味は尽きません^^; 
奥深いだけに、コミュニケーションにはもってこいですし、茶道の良きお友です。

 和三盆の興味深い話を見つけましたので、ご参考までに
 http://dekiya.blog57.fc2.com/blog-entry-41.html
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なるほど、 (ぶり)
2008-05-10 21:45:21
>ただ、懐紙にひょいと取るのではなく、絵を描くつもりでとってほしい。
この文言、心に留めておきます。

「とらや」のページにも、違った角度からの和三盆への言及がありました。
http://www.toraya-group.co.jp/gallery/dat02/dat02_023.html
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末富 (m-tamago)
2008-05-12 10:42:14
ゴマ子さん、こんにちは。
末富さんのお菓子、おいしいですね。
しかも青い包みが華やかかつお洒落でついお土産に差し上げたくなってしまいます。

>戦後の混乱期には甘いものなどなく
当時のお茶の先生方はきっと大変なご苦労をされたことでしょうね。
そうですよね。家元も御苦労されたようですから。
平和な時代に茶道を勉強できるなんて幸せなことです。

>とらやの最中
とらやさんもおいしいですよね。羊羹って重たくてあまり好きではなかったのですが、とらやさんのだけは別格です。
返信する
菓子も奥深し (m-tamago)
2008-05-12 10:46:17
旅の風さん、こんにちは。

東京と京都では、私も違いを感じませんが、京都の方から見ると違うんでしょうね~。

同じ銘のお菓子でも、その銘から如何にイメージをふくらませるか、職人さんのセンスと技次第ですよね。

>奥深いだけに、コミュニケーションにはもってこいですし、茶道の良きお友です。
本当に、そう思います。でも、つい、何処のお菓子とか、銘とか、目の前のお菓子にとらわれてしまって、そのルーツについては深く考えたことがありませんでした。

和三盆の話、ありがとうございました。とっても勉強になりました。あー、四国にも行きたくなってきた。
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 (m-tamago)
2008-05-12 10:51:04
ぶりさん、こんにちは。
私も懐紙にひょいっと取っていました。
確かに折角のお菓子、並べて味わってから口にしたいですね。

>「とらや」のページ
添付頂き、ありがとうございます。
旅の風さんや、ぶりさんの御蔭で学ぶことができました~。本当に感謝です。
平賀源内について、以前書きましたが、砂糖のことでも出会うとは恐るべし、です。
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あらら・・ (旅の風)
2008-05-12 11:12:46
 >地方に居ると、その辺が今一つよく分りませんが・・・
<都会から離れた田舎に居ると・・・っと言った意味でした^^;ゞ

 以前平賀源内のブログで、太田南畝(蜀山人)の事に触れましたが、
新日曜美術館のアートシーンで紹介していましたよ^^。太田美術館で、私も、
江戸の多彩な庶民文化を味わい、楽しんでみたいものです。訂正ついに^^
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Unknown (m-tamago)
2008-05-13 08:12:29
旅の風邪さん、こんにちは。
新日本美術館は見ごたえのある楽しい番組ですよね。
東京には東京江戸博物館もあり、下町を散策がてらご覧になると楽しいですよ。
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