*村ちゃんの古城跡散策!

村ちゃんの城跡写真の紹介!

*村ちゃんの歴史街道!     *一宮市編!     *岐阜街道・黒田城!

2016-08-30 | Weblog

   

尾張黒田城跡      黒田城跡

 

  

黒田城跡一豊碑   黒田城跡全景

*尾張・黒田城! 

住所=一宮市木曽川町黒田(黒田小学校北東角・公園)!

*黒田城は戦国時代からこの地にあった城で七代の城主の記録が残っている。

 中でも土佐二十万石の大名に出世した「山内一豊」は、この城で生まれる。

 13才でこの城を離れたとされる。  

 「一豊顕彰会」が設置され、偉人を讃えた「一豊立志像」がある。


*村ちゃんの歴史街道!     *一宮市編      *岐阜街道・法連寺(山内一豊・父兄菩提寺)!

2016-08-28 | Weblog

   

法連寺碑       山内一豊・父兄墓所

 

  

法連寺山門    本堂

 

  

法蓮寺境内碑      一豊誕生碑

  

   

一豊・父兄墓所     父・盛豊墓所

 

兄・十郎墓所    

*法蓮寺!(山内一豊・父兄菩提寺)

住所=一宮市木曽川町黒田字勘治西60

*法蓮寺は、明応(1492)身延山第十一世・日朝上人の弟子、日妙師が、

 諸国巡礼のおり、地元信徒の願いを受け、翌二年、本山から山号、寺号を受

 け、直末寺として創立した。

 黒田城主であった「山内一豊」の父、盛豊とその長男、十郎の墓がある。


*村ちゃんの歴史街道!     *一宮市編!     *陣屋道・北方代官所(陣屋)跡!

2016-08-27 | Weblog

   

北方代官所跡      代官所碑

 

  

代官将説明板    説明板

*北方代官所(陣屋)跡・陣屋道!   

住所=一宮市北方町北方字西本郷

*北方代官所(陣屋)は天明元年(1781)から明治4年(1871)で、

 北方堤防上に置かれていた。代官所は御陣屋とも呼ばれ、木曽川をはさみ、

 尾張・美濃の百七十一ヵ村を管轄しており、川並奉行所も置かれていた。

 現在でも鉄砲部屋などの地名が残っている。


*村ちゃんの古城散策!     *尾張西部の名所・旧跡!     *中島城主・中島蔵人菩提寺・長隆寺跡!

2016-08-18 | Weblog

      

美濃路沿い中島宮碑      宮内長隆寺 

    

    

長隆寺碑          山門前

 

     

 説明板                       境内

 

    

中島蔵人光敏親王供養塔碑  

*長隆寺本堂・山門!     

*住所=一宮市萩原町

*長隆寺は、平安時代創建と伝えられる古刹である。

 本堂は、一重寄棟造、主屋の梁の側面に「宝暦八年(1758)戌寅四月二十二日上梁」

     の墨書があり、また本堂内押入れ扉の裏書きに「現住杲貞誌之」とある。

 更に鬼瓦には「宝暦七年(1757)」のヘラ書き銘もあり、建築から見ても、

 「宝暦八年(1758)の建立が確実視されるものである。

 前述の押入れ扉の裏書きによれば、中嶋郡中嶋村護摩塚出身の、

 「名護屋末広町」の「伊勢源兵衛・水野氏」が、宝暦四年(1754)から八年(1758)

  にか けて長隆寺の殿堂を造立したとある。  

 *木造・阿弥陀如来及び両脇侍像!

  本尊の阿弥陀如来坐像(高さ百五十cm)は、上品下生の來迎印を結び、

  両脇には右に木造・観音菩薩立像、左に木造・勢至菩薩立像(共に高さ百七十八cm)

       を配している。

  平成元年(1989)・二年(1990)に本尊、平成三年(1991)

  に両脇侍の保存修理を行い、両脇侍から元亨三年(1323)の制作銘が発見された。

  長隆寺所蔵の文化財は、いずれも「一宮市博物館」に寄託され、収蔵・展示されている。

  *一宮市教育委員会  説明板より。

 

 

 


*村ちゃんの古城散策!     *尾張西部の名所・旧跡!     *中嶋宮(旧八釼社)!

2016-08-14 | Weblog

     

尾張中島宮鳥居前         中島宮 

    

中島宮前         碑前

 

     

中島宮本殿           本殿

 

    

説明板         宮跡説明板

*中嶋宮(旧八釼社)の由来!    

*住所=一宮市萩原町中島字森下

*伊勢神宮の禰宜、五月麻呂が、神護景雲2年(768)撰録したと伝える。

 「倭姫命世記」は、鎌倉時代になってから、伊勢外宮の度会氏が編纂したと

 も言われています。その「倭姫命世記」には次のように伝えています。

 「皇女倭姫命」は、皇祖「天照大神」を奉じて十余か所の諸国巡廻を行う。

  垂仁天皇十年に美濃国伊久良河宮(本巣郡川崎村大字居倉・現岐阜県瑞穂

 市居倉)の「天神神社」と伝えられる)に、4年滞在、その後、

 尾張国中嶋宮に遷座、3ヶ月逗留。

 のち、伊勢国桑名野代宮(桑名郡野代村)を経て五十鈴川のほとりに遷座。

 これより、皇大神宮としての伊勢神宮となる。


*村ちゃんの古城散策!     *尾張西部の名所・旧跡!     *中島城!

2016-08-12 | Weblog

    

尾張中島城跡       中島城碑

*中島城!     

*住所=一宮市萩原町中島城跡37

*中島城は、尾州中島城主・本居山城守・源氏孝(戦国時代)

 承久3年(1221)6月5日に、嵯峨源氏の流れをくむ「中島氏」が当地

 に土着したと伝えられる。

 城主は中島左衛門尉宣長を名乗り、子孫は歴代「中島蔵人」とも号した。

 戦国時代中期以降、近隣の「斯波氏・織田氏(織田信長)」などの勢力に所

 領を奪われ、一時没落、一族は全国に四散した模様。

 落城後、中島氏は、「豊臣秀吉」の家臣となり、中島式部周少輔氏重(のち

 中島氏種)は、大坂城に移り大坂七手組頭に任じられた。

 

*中島城址碑・文書!

 「尾張ノ豪族中嶋氏ノ城址ナリ 中嶋氏ハ嵯峨源氏ノ末流 平安末期コノ地

 ヲ領シテ勢アリ 城主の子滅宗 妙興寺ヲ創建スルヤ百町歩ヲ寄進ス 

 城ハ室町末期廃サレ 一族全国二散在ス」

*一宮市長・記書!

 


 


*村ちゃんの古城散策!     *尾張西部の名所・旧跡!     *一宮市・高木一里塚跡!

2016-08-10 | Weblog

     

高木一里塚跡          一里塚公園

 

    

高木一里塚碑       説明板

*一宮市・高木一里塚跡!    

*住所=一宮市萩原町高木字中道58

*高木一里塚跡は、江戸時代に東海道と中山道を結ぶ「美濃路」に設けられ

 た、十三ヶ所の一里塚の内の一つです。 慶長9年(1604)に、

 江戸幕府は、江戸日本橋を起点とし、一里(約4k)ごとに一里塚の施置を

 命じました。その後、一里塚は、全国に普及し、旅人たちの旅や運賃の目安

 となるとともに、榎や松などの大木が植えられその木陰では、 

 旅人が休息をとることもできました。

 高木一里塚にも、明治初年頃まで街道の両側に塚が設けられ、

 そのう上に榎が、植えられていたと、つたわっています。

 一宮市内には、高木一里塚の他、岐阜街道の一宮一里塚、美濃路の富田一里

 塚が設けられました。明治時代になると各地の一里塚は徐々に姿を消し、

 高木一里塚も、昭和37年(1962)に建立された記念碑を残すのみとな

 っています。    

*一宮市教育委員会・説明板より。

  


*村ちゃんの古城散策!     *尾張西部の名所・旧跡!      *市川房枝生家跡!

2016-08-04 | Weblog

    

 房枝生家跡             説明板

*婦人運動家・市川房枝・誕生地! 

*住所=一宮市明地字新田橋上南30-2

*大正・昭和の婦人運動家で知られる「市川房枝」は、

 明治26年(1893)5月15日、父・「藤九郎」と母・「たつ」の三女

 として、中島郡明地村吉藤のこの地で生まれた。

*昭和28年(1953)に第3回参議院議員に初当選し、通算4期務めた。

 昭和55年(1980)の第12回参議院選挙では、全国区一位当選した

 が、翌昭和56年(1981)2月11日に、87才で没した。