*村ちゃんの古城跡散策!

村ちゃんの城跡写真の紹介!

*村ちゃんの歴史ぶらり旅!     *山内一豊の父・兄の墓所(法蓮寺・一宮市木曽川町)

2021-11-20 | Weblog

*山内一豊の父・盛豊・兄十郎の墓所(法蓮寺)!

 住所=愛知県一宮市木曽川町黒田字勘治西60

*法蓮寺山門!

 

*説明板!(山門横)

*史跡・山内但馬守盛豊・十郎父子の墓!

*土佐藩の祖・山内一豊の父で、戦国時代の黒田城主であった、

 山内但馬守盛豊と盛豊の長男・十郎の墓である。

 右側に盛豊の墓があり、「法性院殿逸渓光寿大居士」

 側面には「弘治三丁巳年七月十二日山内但馬盛豊」と記入されている。

 左側が十郎の墓で「勝曼院一方乗広居士」と記されている。

 側面に「弘治三丁巳年七月十二日但馬守子十郎」と記されている。

 盛豊は岩倉城主・織田信安の家老であった。

 弘治三年(1557)黒田城が夜討ちに合った際に、戦死、

 永禄元年(1558)浮野の合戦戦死、もしくは翌年の

 岩倉城落城の折に自害したとも伝えられており、没年には諸説がある。

 現在の墓石は江戸時代中期に建てられたものである。

*一宮市教育委員会! 説明板より

 

*境内!

 

*山内一豊誕生地・碑(境内)

 

*法蓮寺本堂!

 

*本堂裏・一豊父兄・墓所!

 

*左・兄十郎墓!  右・父盛豊墓!

 

*父盛豊・墓!

 

*兄十郎・墓!

 

 

 

 

 

 

 


*村ちゃんの歴史ぶらり旅!     *山内一豊誕生地・黒田城!

2021-11-18 | Weblog

*山内一豊誕生地!(2説あり!①木曽川町②岩倉市)

 住所=愛知県一宮市木曽川町黒田古城26-2(黒田小学校・北東角)

*黒田城跡公園!(木曽川町)

 

*説明板!

*山内一豊この城に生まれる!

 天文14年(1545)に山内一豊は父・盛豊の3男としてこの地で誕生した。

 弘治3年7月(1557)、黒田城は夜討にあい父・盛豊・兄・十郎が討死。

 一豊と母弟妹は、土居の後ろにかねて作っておい、たかくし窓を突き破って、

 竹藪に逃げ、生竹を倒して橋として堀を、岩倉城にたどりついた。

 のちに信長・秀吉に仕え小田原戦の後、秀吉より掛川5万石の領主に封ぜられた。

 関ケ原の戦いでは、いち早く家康側につき、戦後この功により、

 土佐国1国20万石の大名になった。  

 *一宮市教育委員会! *説明板より!

 

*跡地看板!

 

*一豊誕生地・碑!

 

*黒田城跡!(説明板)

 

*黒田城跡公園・木曽川町黒田小学校!(北東・角)・(野府川)


*村ちゃんの歴史ぶらり旅!     *円空・誕生地!(岐阜県羽島市)

2021-10-22 | Weblog

*円空誕生地! 羽島円空資料館・中観音堂
*住所=岐阜県羽島市上中町中526

*円空上人誕生地!(羽島円空資料館)

*住所=岐阜県羽島市上中町中526

 

*円空資料館(有寶寺境内)

 

*円空上人説明板

 

*境内・円空上人旅姿

 

*境内・円空上人護法神像

 

*境内・円空仏

 

*境内・円空仏

 

*円空上人・産湯の井戸

 

*円空上人産湯の井戸!

*説明板!

 円空上人は、寛永9年(1632)美濃国中島郡中村(現在羽島市上中町中)の、

 この地に生まれました。17体の円空仏を祀る観音堂とその周辺は、

 中屋敷と呼ばれ、どの家も小さな円空仏が護持されている。

 しかし、生家については確証がなく、ただこの加藤奨家の井戸が、

 「円空上人の産湯に使われた井戸」として昔から語り継がれてきた。

 このたび、円空資料館の建設にあたりその一貫として、

 この井戸の清水を通じて、円空上人の偉大な遺徳を偲びたい。

 平成二〇年六月三〇日指定

 羽島市上中町円空顕彰会

 (説明板より)

 

*円空上人産湯の井戸!

*龍手水舎(ちようずや)!

*円空上人年譜!

 寛永9年(1632) 誕生!

 元禄8年(1695) 入定・7月15日 

 岐阜県関市池尻の長良川畔において入定する。(64才)没!

 

 

 

 

 


*村ちゃんの歴史ぶらり旅!     名古屋市熱田神宮! 

2021-10-21 | Weblog

*名古屋市熱田神宮!

   住所=名古屋市熱田区神宮1丁目1-1

  

東鳥居       参道鳥居

 

熱田神宮本宮

*熱田神宮の創祀は景行天皇43年(113年)今からおよそ1900年前のことである。

 以来、三種の神器の一つである「草薙ぎ神剣」を奉斎する当神宮は、

 皇室の弥栄、また国家の安全を祈ってまいりました。

 (熱田神宮宝物館だより)より!

信長塀!(織田信長・寄進塀)

 *永禄三年(1560)織田信長が桶狭間出陣の際、

  当神宮に願文を奏し大勝したので、その御礼として、

  奉納した塀である。土と石灰を油で練り固め、瓦を厚く

  積み重ねている。三十三間堂(京都)の太閤塀、西宮神宮の

  大練塀と並び、日本三大塀の一つとして名高い。

*説明板より!

  

信長塀説明板

 

熱田神宮境内・二十五丁橋!

 尾張名所図会や名古屋甚句で名高く、板石が二十五枚並んでいることから、

 二十五丁橋といわれる。甚句には「宮の熱田の二十五丁橋で、

 「西行法師が腰を掛け、東西南北見渡して、これ程涼しいこの宮を、

  たれが熱田と名を付けた」とある。

*説明板より!

 

二十五丁橋・説明板

 

佐久間燈籠・説明板(熱田神宮境内)

 尾張国御器所の城主「佐久間守盛次」の4男(大膳亮勝之)が、

 海上で台風に遭った際、当神宮に守護を祈り難を免れたので、

 寛永七年(1630)その御礼として寄進された。

 京都南禅寺・東京上野東照宮の大燈籠と共に、

 日本三大燈籠として名高い。

*説明板より!

佐久間燈籠寄進!(日本三大燈籠)


*村ちゃんの歴史ぶらり旅!     稲沢サンドフエスタ!     稲沢の砂の造形展!

2021-10-18 | Weblog

*サリオパーク祖父江!(国営木曽三川公園・ワイルドネイチャープラザ)

 住所=稲沢市祖父江町祖父江

    

 

*砂像No7 チーム名 チーム HIDE

 作品タイトル 織田家3代

 

*作品コンセプト!

 ふるさと稲沢で生まれ「織田信長公」!

 その青年期は、決して順風満帆ではありませんでした。

 尾張の大うつけ(大バカ者)といわれ、勝幡(稲沢市&愛西市)

 織田家3代目として祖父「信定」・父「信秀」の後を継ぐことすら

 危ぶまれる状態でありました。

 しかし、血で血を洗う織田一族内の戦いを勝ち抜き、

 大軍を擁した今川義元を奇襲作戦で打ち破った「桶狭間の戦い」で、

 一転して全国に勇名をとどろかせ、100年以上続いた戦国時代を、

 一気に幕を引く方向に引き寄せました。

 このコロナ禍も収束させる奇襲作戦は無いものでしょうか。

 みんなが笑顔で早く元の生活に戻れることを願うばかりです。

 !作品コンセプトより!

 

*織田家3代  

 

 

 

 


*村ちゃんの歴史ぶらり旅!     *我が家の庭のハスが開花しました!

2021-07-11 | Weblog

*我が家の庭のハスが開花開花しました!

*我が家の庭のハス開花!   令和3年7月1日

 

*我が家の庭のハス開花!

 

*我が家の庭のハス開花!

 

*我が家の庭のハス開花!

 

*我が家の庭のハス開花!

 

*我が家の庭のハス開花!

*令和3年7月~(開花から約3日程で、花びらが散り始める)

*ハスの密を吸う!

 


*村ちゃんの歴史ぶらり旅!     *我が家の前の道路冠水!

2021-07-07 | Weblog

*我が家の前の道路!   またまた! 冠水する!            

*愛知県稲沢市駅前4丁目2-24  付近全体冠水!

*令和3年7月7日(水)  AM・10時頃!

*近くの用水から溢れた水が、我が家の前の道路に溢れてきた!

 

 

*道路冠水! 

 

*我が家の前の道路!

*我が家の玄関前・土嚢! *1時間程で冠水治まる!

 


*村ちゃんの歴史ぶらり旅!    *明眼院(みょうげんいん)!     *愛知県海部郡大治町!     

2021-07-03 | Weblog

*愛知県海部郡大治町大字馬島字北割114    *明眼院(みょうげんいん)!

*日本初の眼科治療院!(明眼院・みょうげんいん)!

       

明眼院山門跡     参道

 

     

明眼院本堂(本尊・薬師如来)行基作 

 

       

多宝塔        庭園・キリシタン灯籠 

 

     

山門・阿像      山門・吽像 

*延暦21年(802)に、「安養寺」の名で創建され、

 日本初の眼科治療院として知られています。

 室町時代初期に治療が開始され、特に江戸時代には全国から治療をもとめる、

 患者が集まったといわれています。

 後水尾上皇皇女の治療により「明眼院」の名を賜り、

 桃園上皇皇子の治療により勅願寺となりました。

 また、代々の尾張藩主から庇護も受け、現在は毎年8月に祈祷を行っています。

 庭は、治療に来た「小堀遠州」が作庭したと伝わっており、

 平成26年に、旧多宝塔が国の登録有形文化財となりました。

*かって仁王門に安置されていた2躯の金剛力士像で、

 13世紀末~14世紀初頭の鎌倉時代の造立とされる。

 阿形・吽形ともに片腕の先が欠損しているが、

 その造形から慶派の仏師によるものと考えられており、

 2011年(平成23年)に町指定文化財に指定された。

 なお、仁王門は明治24年(1891)の濃尾地震で、

 倒壊して撤去された。

 現在、仁王門は旧仁王門跡地に屋根付きの格子に被われた、

 状態で置かれている。

 

 

   


*村ちゃんの歴史ぶらり旅!    *津島天王川公園! 藤棚! 天王川東堤!(津島湊跡)

2021-05-14 | Weblog

*津島市天王川公園!

*津島市宮川1丁目

*津島天王川! 藤棚!

 

*天王川東堤!(津島湊跡)

 

 

*津島湊跡・東堤!

 

*津島湊跡・東堤!

 

*天王川津島湊跡!

*天明年間(1781~1789)まで津島には、

 木曽川の支流の天王川が注いでいて、この辺りには、

 津島湊という川湊があり、津島天王社(現津島神社)の、

 門前町として、また交通の要衝としてにぎわいました。

 文禄2年(1593)に今の天王川公園の東堤に設けられた、

 船番所は船会所に姿を変えつつ、江戸時代末期まで続きました。

 天王川公園の車河戸はかっての津島湊の名残を今に伝えています。

 

*天王川!(津島湊跡説明板)

*「尾張名所図会」巻七より抜粋。

 天王川を東からみた図で、右側が北です。

 江戸時代後期の津島湊の様子がわかります。

*(説明板より)

 

*天王川公園内!

 

*天王川堤!

 

*天王川公園広場!”

 

*天王川公園内!  藤棚!


*村ちゃんの歴史ぶらり旅!     *根尾谷断層!(濃尾地震・震源地!)

2021-04-30 | Weblog

*根尾谷断層!(濃尾地震・震源地!)

*国指定特別天然記念物!根尾断層!

住所=岐阜県本巣市根尾水鳥512

*現在の根尾谷断層!

 

*当時の根尾谷断層!

 

*根尾谷断層・説明板!

 

*地震断層観察館!

 

*根尾谷断層!(観察館内)

*明治24年(1891)10月28日午前6時37分。

 根尾谷を震源とする「濃尾地震」が起きました。

 推定マグニチュード8.0(震度7)は、日本の内陸部で起きた、

 最大級の直下型地震でした。

 東海地方を中心に全国で14万戸を超える家屋が倒壊し、

 7千人以上の人が亡くなりました。

 この地震は、延長約80kmの根尾谷断層系のうち、

 根尾水鳥地区では上下に最大6m、長さ1000mにもなる、

 断層崖が出現しました。この断層崖は世界的にも珍しく、

 近代地震研究のきっかけともなりました。

 そのため、世界中から地質学者が訪れました。

 昭和27年国の特別天然記念物に指定され、

 現在も保存、保護されていいます。

 *本巣市教育委員会・パンフより!

 


*村ちゃんの歴史ぶらり旅!     *根尾谷淡墨(うすずみ)ザクラ!

2021-04-11 | Weblog

*根尾谷淡墨(うすずみザクラ)! 

*住所=岐阜県本巣市根尾板所字上段995

(淡墨公園内)*満開3月31日!

*根尾谷淡墨(うすずみ)ザクラ!  満開!(3月31日)

 

*淡墨ザクラ!

 

*淡墨ザクラ!

*今から千五百年余の昔、皇位継承をめぐる争いで、

 迫害を受けた男大迹王(後の継体天皇)は、

 生後僅か五十日で養育係の夫婦に託されて尾張一宮で、

 難を避け、さらに美濃の山奥に隠れ住みました。

 二十九才のとき、それまで過ごした根尾谷を離れることとなり、

 村人との別れを惜しまれて、尾張一宮から持って来られた桜を、

 二男(後の安閑天皇)の産屋敷に植樹、一首の歌をそえて記念樹、

 とされたのでした。

 歌 *身の代と遺す桜は薄住よ

      千代に其の名を栄盛へ止むる*

 

 

 


*村ちゃんの歴史ぶらり旅!     *名古屋城天守金シャチ展!

2021-04-03 | Weblog

*名古屋城天守金シャチ展!     

*16年ぶりに地上へ降臨!

(令和3年3月)

住所=名古屋市中区二の丸

*海シャチ(雌・北側)

*後左側のサクラ!(金さん!銀さん!手植えのサクラ)

 

*(雌・北側)

 

*(雌・北側)

 

*山シャチ!(雄・南側)

 

(雄・南側)

 

(雄・南側)

*古来、火除け、水の神獣として崇められた鯱を、城郭の天守に初めて飾ったのは、

 織田信長でした。いざという時水を吐き、火事を鎮めてくれる。

 その力をもつ鯱に、天下人も願いを込めたのでしょうか!。

(*金シャチ展パンフより!)

 

 

 

 

 

 

     

 

 

 

 

 

 

 

 

 


*村ちゃんの歴史ぶらり旅!     *「光明寺」旧鎌倉街道沿い!(あま市)

2021-03-11 | Weblog

*「光明寺」旧鎌倉街道沿い(あま市)!

*住所=あま市中萱津道場114

*光明寺碑!

 

*光明寺山門&鐘楼!

 

*光明寺本堂!

 

*光明寺境内より山門&鐘楼!

*光明寺は寺伝によると創建は弘安五年(1282)に、

一遍上人の直弟子「遊行二世他阿真教」を開祖とする。

その後72僧寮が立ち並び萱津道場として栄えた。

鐘楼門は寺記によれば、京保八年(1723)萱津屋武兵衛の寄付で建立された。

*豊臣秀吉が8歳~10歳までここ光明寺に預けられたと言う。

 

 


*村ちゃんの歴史ぶらり旅!     *実成寺(織田信長曾祖父改修・織田敏定肖像画)

2021-03-08 | Weblog

*実成寺!(織田信長曾祖父・織田敏定肖像画) 

 住所=あま市中萱津南宿254

*実成寺山門前!

 

*実成寺山門!

 

*実成寺参道    

 

*境内

*実成寺本堂!

*実成寺は元応元年(1319)創建されている弘安六年(1283)9月26日付け寺領の

寄進の古地図〈富田庄古図)に明記されており元応元年(1319)より古くなると言われる。

本堂は織田敏定(織田信長曾祖父)が改修したと伝わる。

*また山門(四脚門瓦葺)は「福島正則」が「清洲城より移築」寄進と伝わる。


*村ちゃんの歴史ぶらり旅!     *鎌倉街道&寺院(愛知県あま市)!

2021-03-06 | Weblog

*あま市の鎌倉街道&寺院!    

*住所=愛知県あま市上萱津車屋1

*旧鎌倉街道!(あま市)

 

*旧鎌倉街道!(あま市)

 

*正法寺碑!(旧鎌倉街道沿い)

 

*正法寺山門前!

*正法寺は、天平勝宝年中(749)萱津神社の正僧といわれている。

その後、元和元年(1615)峰慶呑和尚が中興となり、曹洞宗に改めたとされる。

萱津の宿を北進した鎌倉街道は、萱津神社南にある「正法寺」を東に折れ堤防に進むとされる。

  

境内         本堂

 

*妙勝寺前!(旧鎌倉街道)

 

*妙勝寺碑!

 

*妙勝寺山門!

 

  

境内         境内

 

*妙勝寺!

 

*妙勝寺!

初めは真言宗の密勝寺という寺であったが、弘長元年(1261)に、

日蓮との問答の末、日蓮宗に改宗し、寺号を「妙勝寺」に改称した。

応永7年(1400)、坂東総本山となり隆盛するが、

天文年間(1532~)に兵火により七堂伽藍を焼失した。

その後、織田氏・福島氏・徳川氏の庇護をうけた。

明治24年(1891)の濃尾地震で被害を被るも復興して現在に至る。

山門は鎌倉から室町時代のもので、庫裡は「福島正則」が寄進したものと伝わる。

(あま市観光ナビ)より!