父の日記 昭和17年

昭和17年の日記 
ようやく召集解除 神武屯を発ち東京へ向う

昭和17年10月17日

2005-10-17 | 昭和 (父の日記 昭和17年) 
17日 (土) 晴れ

京城から乗った人で東京本郷の平野某と言ふ人と
一緒になる。下関迄話をし乍ら行く。釜山着08・40頃
大分おくれてゐる。連絡線は10.00発、大きな船だ。
7,000屯位か、興安丸と言ふ。少し寝る。
下関18・00着、もう夕方でうす暗い。平野さん
はすぐに特急ふじで帰る。我々は下関一泊。
ハルビンから汽車で一緒になった准尉大見とか
言ふ。聞いてみるとハイラルの白浜部隊の安野隊
の准尉ださうだ。野重七の安野少尉が今はハイラル
で中隊長をやってゐるのだ。大見准尉も今夜すぐ
特急に乗ったらしい。
下関ではどんな旅館がいゝのか分らないので駅
前の旅館案内所で聞いてみると菊屋旅館と言ふの
に案内される。汚い悪い宿屋でがっかりする。駅前に
いゝ旅館があったのだが失敗した。菊屋旅館附近
は防空演習で真暗。旅館に荷物を置いて、フグ料理
を喰ひに行く。うを徳とか言ふ。フグの刺身、チリ、味噌汁
等なかなかうまい。女中、芸妓が又面白い奴で十一時頃
迄面白く遊んだ。旅館に帰って十二時頃寝る。菊屋旅
館はサービスも悪くがっかりする。

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