父の日記 昭和17年

昭和17年の日記 
ようやく召集解除 神武屯を発ち東京へ向う

昭和17年10月8日

2005-10-08 | 昭和 (父の日記 昭和17年) 
8日 (木) 雨 風強し 寒し

今朝は風雨強く、出勤が寒い、然し珍しく南風で
隊へ行くのに追風だった。
午后二時頃、本部書記田口曹長より電話があり
愈々転属の日が近づいたから荷物の準備をするやうに
言って来る。軍司令部から電報が来て六日付来て
ゐるが何日出発させたらいいか分らぬので明日
孫呉へ出張して軍司令部へ行って聞いて来ると言ふの
だ。多分15日ごろ出発になるだらうと。遂に待望
の召集解除が来たわけだ。嬉しさ限りなし、満三
年半、内地の土を踏めなかったのだが愈々近日中に
第一歩を踏む事が出来るのだ。去年から待って
ゐた事が遂に実施、噫うれしい哉。
忻喜雀踊して雨の中を官舎へ帰る。
官舎で我々の喜びやうと言ったらない。飯田中
尉の部屋に集っておお騒ぎ。司令部からの電
報では即刻出発させたいやうな事らしいが、目下
吉岡中尉が新京に出張中で十二、三日頃でなく
ては帰らないので聯隊の希望として、15日に出発
させるとて田口曹長が出張して司令部へ言って
来るらしい。こんなに差迫ってゐるのは分ってゐな
がら吉岡中尉を出張させるなんて全く以ての
外だ。あんなのはおいて行ってしまへばいゝ。
今夜は嬉しさのあまり乾杯。途中停電
する。十一時頃寝る。
今日からペーチカを焚き始める。実は10日か
らたくのだが今日はあまり寒いので試験的に
と言ふ名目で焚いた。まだ外気が暖かいので一寸
焚いても大分部屋は暖ひ。
今日は飯田、大野中尉は操縦演習と言ふ
名目で新開嶺、河陵大橋方面で四泊で
薪炭を取りに行く筈だったが生憎の風雨で
取りやめになり、幸ひ内令が耳に入り、出発し
なくてよかった。幸運の風雨だった。
今度の召集解除者は飯田中尉、吉岡、僕
木村、下山、中村、大野の七名で新井、崎山、
情川の三名は残る。山神府へ行ってゐて昨日
帰った新井中尉ががっかりする事。可哀想だ。

転属の内令

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