カエサルの世界

今年(2019年)1月中旬から「休載中」ということになっているのだけど、まあ、ときどき更新しています。

原子力発電

2011年03月27日 | ☆東日本大震災  

 この震災で、カエサルの住んでるところは被災地っていうことになるし、カエサルも被災者っていうことになるんだろうけど、なんか、そんな気がしないのですよ。もちろん、生活が不便になっているという状況はあるんですよ。仕事だってまともにできないし。でも、沿岸部の状況なんかを考えてしまうと、被害を受けずに済んでよかったという感じしかありません。それだけ、この震災がとてつもないものだということですかね。
 宮城県の死亡者や行方不明者は、1万人を越えています。県民の1割以上が避難所生活をしていた時期もありました。カエサルの周囲にも、家族を亡くされた方、家を流された方などが少なくありません。そうした中で、食料が手に入らないとか、風呂に入れないというくらいのことは、生活が不便になっているというだけの話で、被害とか被災とかは感じられないのですよ。
 それに、カエサルは、こういう生活があまり苦にならないのです。我慢しているとか頑張っているということじゃなくて、もともとそういう性格なもんで、好き・・・とまでは言わないけど、嫌いじゃない・・・くらいのことは言えるかもしれません。不謹慎な言い方かもしれないけど、サバイバル生活を楽しんでさえいます。
 素敵なこともいっぱいあります。深刻な被害に遭われた方ががんばっている姿に勇気づけられるということもあるし、いろんな人たちとコミュニケーションできるようになったのは嬉しいですね。公衆電話で、給水所で、徒歩通勤の途中で、見知らぬ人たちと挨拶をし、話をしたりするようになりました。この街、この国、絶対に立ち直る、絶対によくなる・・・なんて思ったりもします。
 嫌なニュースも聞こえてきます。災害に乗じた詐欺とか窃盗とかは、いいんですよ。いや、よくはないんだけど、もともと犯罪者っていうのはいるんだから、しょうがないと思っています。でも、たとえばガソリン渋滞ですよね。あるいは、買いだめ。そういうのは、気持ちがわかるだけに、何ともやるせない思いがします。カエサルは、行列に並んだりするような根性がないので、そういうことをしていないだけなんですけどね。

 まあ、そんなこんなのカエサルですけど、1つだけ、本当に嫌なことがあります。原発反対派の人たちによる、放射能の危険性の喧伝です。
 こんなときにそんなこと言わなくてもいいだろうと思うんですよ。原発関係の被災者の方々の気持ちも考えてくれよ・・・なんて思ったりします。
 人それぞれにいろんな考え方があるというのはわかるけど、こんなときくらい、自分の考えを主張するのは控えて、もっと全体のことを考えて、特に被災者の気持ちを考えて発言して欲しいです。
 汚い言葉で罵るような文章は書きたくないので書きませんけどね。

 原子力発電というのは、非常に難しい問題です。危険なものだということはわかっているけど、だからと言って、ふんだんに電力を使える生活は捨て難いわけです。単純な言い方をしてしまえば、危険だけど電気の使える生活か、安全だけど電気の使えない生活か、その二者択一ということになると思います。
 これまでカエサルは「原発容認」という立場をとってきたのだけど、この震災を機に「原発反対」に転向することにしました。理由は単純です。事故が起こったとき、その復旧のために膨大な機動力を割かねばならないからです。
 原発は、そう簡単に事故を起こすようなものではありません。事故が起こるのは、今回のような震災のときだけと言ってよいわけで、そのようなとき、人命救助とか、生活支援とか、本来なら復旧・復興のために用いることのできたはずの力を、原発事故のために割かねばならないということです。
 もし原発事故がなかったら、力をフル活用することができたら、命をとりとめ、救助された人、もっともっと多かったんじゃないでしょうか。ライフラインの復旧なんかも、もっと速やかにできたんじゃないでしょうか。現在の状況だって、そうです。まず原発事故ありきで、本来の震災に対する復旧・復興は2の次、3の次という感じになっています。
 原子力発電はいらないと思います。そのために、電気の使えない不便な生活を強いられることになってもいいと思います。経済活動が停滞し、貧しい生活を送ることになってもいいと思います。

 この震災が終われば、原子力発電を巡っての攻防が始まることになると思います。
 福島第一は廃炉にするとして、福島第二の再稼働も当分の間ないでしょう。女川の休止も続くでしょうし、建設中・計画中の原発も停止・延期になると思います。カエサルが東京電力や東北電力の幹部だったら、そういう戦略をとります。世論のほとぼりが覚めるのを待っての再稼働・再開という線を狙います。
 「震災後」と言えるようになって、さらに数ヶ月後、数年後、ほとぼりは覚めるのか、覚めないのか。そこでの攻防ということになると思うのです。原発事故による死者がなく、甲状腺障害などを発症する子どもたちも出ない・・・と、そうなって欲しいわけですが、そうなってくれると思いますが、そのようなとき、今、放射能の危険性を喧伝してばかりいる反対派の人たち、世論をリードしていくことができるんでしょうかね。
 電力会社や政府の悪口を言うだけなら、それはただの自己満足にすぎません。本気で日本から原子力発電所をなくそうとするなら、広く市民の皆さんからの理解を求める必要があります。電気は要らない。便利な生活も、豊かな暮らしも要らない。そういう覚悟を、市民の皆さんに求める必要があると思います。買いだめに走り、ガソリン渋滞を引き起こしている市民の皆さんに・・・。

 なんか、「カエサルの世界」には似つかわしくないことを書いちゃいました。


        ← 応援クリック、よろしくお願いします。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿