乳ガンを患ってからの私

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CTの説明

2019-02-11 10:03:35 | 乳ガン患ってからの日々
6日に旦那と放射線科の説明を聞きに行った。
スケジュールが組まれた。
まず12日にCTをまたとる。今回は、体を固定して撮影しながら、油性マジックで体に放射線を当てる場所をマーキングして行くって。消えないように、体洗って下さいって言われた(笑)14日と18日に消えてないかのチェックをして、やっと20日から5週間毎日通う事になる。
副作用の話もあった。まれに皮膚がんになる可能性があるって。…乳ガン治療して、他に転移でもないがんが出来るのって、どうなん?って感じで、治療する意味がちょっとわからなくなってきたけど、とりあえずやってみる。
翌日会社には、放射線始まったら、毎日午前中だけ仕事に着ますって話した。
「副作用とか、しんどかったら仕事は休んでいいからね。今まで頑張ってきたから疲れやすくなってると思うし、遠慮しなくていいから」総務部長は、優しく言ってくれた。
駆け足で、この11ヶ月を振り返った。
2/11(月)の今日は、朝5時に起きて年末に行けなかった旦那の両親の墓参りに行くつもりで、6時に家を出た。中国道に入り西宮手前ぐらいから、雪がすごくて山は真っ白だった。
帰れなくなったら困るからって、引き返した(笑)
私は、今日も普通に過ごせてるよ。
思う事は…私と旦那は結婚式や披露宴をしてない。婚姻届を出しただけ。
あれって、出しても言わなきゃ誰も気付かない。入籍当初は誰にも言わなかったから、職場では旧姓のままだった。会社の誰になんてどのタイミングで話すのがいいのかわからずに、別に不便もないし、放置だったけど、保険とか税金とか旧姓のままだとダメだと思って話した事を思い出した。
ガンも公表しなければ、他人にはわからない。しんどいけど、一般人は隠して仕事する人が多いんじゃないかな?全く話さないってわけにはいかないけど、必要最低限の迷惑かけてしまうかもしれない人だけに、話せば今までの生活は壊れない。
だから、今現在は自分の友達とは、ほとんど会えてないし、学校や習い事の俗に言うママ友には話してない。会えてない友達にも余計な心配させたくないから話してない。
けど、こうやって吐き出す事が出来たから、私は治療頑張れる気がする。

抗がん剤卒業

2019-02-11 09:36:43 | 乳ガン患ってからの日々
1月25日に術後3回目の抗がん剤をした。味覚最悪なぐらいで、仕事休むほどのしんどさはなく、2月1日にCTを取った。少し待って結果の診察。
「首から骨盤まで撮影しましたが、転移はみつかりませんでした。抗がん剤卒業ですね。来週水曜日に旦那さんと一緒に放射線科でお話を聞いて下さい。予約して治療を開始しましょう。放射線が終わったら、ホルモン錠の話を詳しくお伝えします」そう言われた。抗がん剤卒業って言われても喜びは、なかった。副作用がしんどかったから、それがなくなるのは、嬉しいはずだけど、特に心に響かなかった。ちょうどその辺りに古村ひろ(漢字忘れた)も抗がん剤卒業って、喜びのブログをアップしてたと、ネットニュースの見出しになってたけど、まだまだ治療中で、放射線への不安の方が大きかった。

あまりにも悪い事が去年に起きたので、旦那が珍しく手相を見てもらおうって事になった。
私な手を見て「先祖を大事にしなさい。墓参りした方がいいね」
確かに旦那の方は両親は早くになくなってるから、年に2回必ず墓参りには、行ってる。先祖代々のお墓。
うちは、父親はまだ墓作ってなくて、永代供養にするか迷ってる母親。なので墓参りしてない。父親は九州で、母親は和歌山…よって、どちらのお墓参りもしてない。
「他に思い当たるのはこれといってないけど、健康に気を付けて。生命線は、1度切れてるけど、乗り越えたら長生き出来るよ。90はいけるかんじだから」当たってるのかな?途切れてるのは、今の話?手を見せただけで、今の現状は特に話してないのに。