乳ガンを患ってからの私

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次女の卒園式

2023-03-21 13:38:54 | 乳ガン患ってからの日々
次女も、とうとう卒園式。
8ヶ月から通ってくれて、無事にこの日を迎えられた。
毎朝泣いて後追いひどくて、知恵熱みたいに熱出して、お休みいっぱいの最初の半年。
今の会社で働き始めたばかりで、休み過ぎてクビになるんじゃないかって、不安だった。
胃腸炎になって、やっと復帰した3日後に水ぼうそう。
少し朝泣くのましになったら、病気でまた数日休むの繰り返しで、1年間泣いてたなぁ。
迎えに行くと、すごい勢いでハイハイでお出迎えしてくれて、癒しだった。
もうすぐ進級って言う頃に、私の乳がん見つかった。
CVポートの手術とか、毎週の通院とか、担任の先生に時間もらって少し話した。
先生は、驚いてた…まぁ、あまりない話だと思う。担当保育の保護者がガンになるって。
翌日に、登園したら園長先生が担任から、話を聞いたんだと思うけど、心配して声かけてくれた。
長男が年少の時の担任の先生で、出世して園長になって、赴任してきた。
とてもいい先生で、その先生が園長って心強かった。
病院で聞かされた治療の話をして、仕事休む事が、多くなりますがすみませんが、病院に連れて行けないので、登園させます。
と、説明をしたら
「体調悪い時でも、1人でゆっくりした方がいいと思うので、登園させてもらって大丈夫ですよ。何かあれば言ってくだされば、お力になれるようでしたら、遠慮なく」
そう言ってくれた。
そこから、園長はずっと同じ先生で、次女の成長とともに、長男はサッカー頑張ってますか?
長女はどうしてますか?って、兄姉のことまで聞いてくれる人だった。
卒園証書を受け取る次女と渡す園長が向かい合ってる時は、さすがに込み上げてくるものがあった。
0才から、一緒に過ごしてきた同級生。みんなまだ歩けなかったのに、立派過ぎてウルウルずっとしてた。
でも、残念なことにコロナ禍で、保護者2名の参列。
在園児の合唱とか、シュプレヒコールとかなし。
3人の中で、最後の卒園式が1番寂しい式だった。
式場だと密になるので、園庭で記念撮影したり、少し余韻に浸ってる時に、長男がやってきて、担当してもらった先生がまだ数名いるので、もう来る事なくなるので、挨拶にきてくれて、一緒に写真も撮ったりした。
ここまで、闘病できたのは、先生方のお力添えがあり、倦怠感ひどくて何日か休んでても、預かってもらったり、病院でお迎え時間間に合わない時に、特別に長男のお迎えを許可してくれたり、ご迷惑いっぱいかけたのに、無理を聞いてくださったおかげだと思う。
長男の時から、次女まで通算15年の送迎。
いろんなことあったけど、無事に卒園式迎えて良かった。

告知された時は、次女の卒園式まで生きられるのかな?って思ったので、本当に5年生存出来た事にも、感謝です。

尊敬する人

2023-03-19 16:07:05 | 乳ガン患ってからの日々
パート先の社長の奥さんなんだけど、全く偉ぶらなくて、気さくで気配りが出来て、あんな風に年を取りたいと思わされる人。
一昨年いっぱいで、仕事辞めて専業主婦に戻るって。ここのところは、コロナ禍で歓送迎会や忘新年会など、飲食伴う会社のイベントもなくて、おまけに奥さんの最終出勤日は、長女の学校がコロナで休校になってしまったので、お別れの挨拶もしないままだった。
たまに、差し入れ持って会社に来てくれてたけど、運悪く私休んでて、退職されてからお目にかかる機会がなかった。
木曜日の午後奥さんから、ショートメールが来て
「少し暖かくなってきたので、久しぶりに会社に行こうと思うんだけど、出勤してるかな?金曜日か月曜日にと思ってるんだけど」って。
もう、嬉しくて😊
「どっちも出勤してます」って返信した。
金曜日の午前中たまたまトイレに行って、出てきたら奥さんが両手に差し入れいっぱいの袋持って立ってた。
「いやぁ〜。お久しぶり〜。元気にしてる?やっと会えましたね」って、持ってた荷物を置いて
「ハグしようか?」って両手を広げてくれた。
私は、奥さんの胸に飛び込んでハグしてもらった。
背中をさすりながら
「無理してない?体調落ち着いた?しんどかったらお休みしたらいいのよ。無理しないでね」と声をかけてもらった。
それで、色々話をして、荷物を運ぶの少し手伝った。
職場をそんなに離れてるわけにもいかないので、そろそろ戻ろうかと思ったら
「もう一回ハグしとこうか?」って、また抱きしめてくれた。
温かさに涙が出てしまった。
すると
「何かあったら、メールしていいのよ。抱えたりしなくていい。私には、何の力もないけど、あなたが頑張ってる姿で私もパワーもらえるんだからね」と言ってくださった。
「また、顔みにくるね。ぼちぼちやってね」そう言って帰って行かれた。
私みたいな短時間のパートの事、いつまでも気にかけてくれるのは、本当にありがたい。
器の広いすごい方だと、心から思う。

3.11

2023-03-11 09:22:09 | 乳ガン患ってからの日々
今日で震災から12年。
あの頃私は6月に長女の出産を控えながら、前の職場でパートしていた。
かなり出てきたお腹かばいながら、動き回ってた。
ちょっと貧血気味だったし、お腹圧迫されて、あまり食べられず油っこいの食べれなかったり、長男の時になかった現象に、不安だった。
産休前に、引き継ぎで仕事を教えてたけど、その人が少しミスをして、2人して事務所に呼ばれた。
事情を聞かれ対策として、どうすべきかと話し合ってた。
話を聞いてるけど、なんかめまいする感じ?後1ヶ月産休まであるけど、体調大丈夫かな?今日で、最後の出勤になるのかな?とか思ってたら、やらかした本人は、なんだか事務所の天井見上げてるし内心
(この人に任せて大丈夫か?私今日までになるかもやのに…)って。
その姿見て、上司がちょっとイラッとしてる感じがした。
ヤバいなぁ…どうしよ?って思った時に、事務所の照明が揺れてる事に、上司が気付いた。
「地震じゃない?すごい揺れてる。とりあえず建屋から出よう」と指示。
そして、全部の機械を止めて、全員で外に避難。
それが、3時前だったので、復旧してすぐに退社。
家に帰ってテレビつけたら、あの惨事。
しかも場所は、遠く離れた場所だし。
もうびっくりだったのと、私の体調不良じゃない事がわかって、不謹慎にもホッとした。
神戸の震災の時も、大阪なのに屋根づれおちて、結構な被害あったけど、遠くても思い出す記憶。
毎年今日の事は、子供たちと話をする。
そのわりに、あまり備えてないなぁと、反省もするけど。

5年経過

2023-03-06 17:19:19 | 乳ガン患ってからの日々
昨日で丸5年が経過して、6年目突入。
今日は診察日だった。
ホルモン剤なくなるので3ヶ月分もらうために、病院へ。
「調子はどうですか?」と聞かれ
「秋にコロナになってから、喘息発作が出るようになって、ずっとステロイド服用してます。
先々週インフルAになって、かなり辛かったです。
ここ半年ちょっと弱ってますけど、仕事にも行ってますし、ボチボチです」
ながらく、ブログ更新しなかったのは、どうも気力がなかったと言うか、コロナ対策疲れなのか、家にいると抜け殻みたいに何もする気起きなくて…。
そしたら、長男が盆休みにコロナになり、でも高校生になれば隔離もちゃんと成功して、家族に感染する事なくて良かったって安心したのに、その1ヶ月後に次女が感染した。
もう、隔離を諦めて、旦那は単身のアパートで寝泊まりしてもらい、家族4人で普通に家の中で過ごした。
次女の検査結果出るまでの2時間くらいの間に食料買いだめして、巣篭もり生活したのも束の間、2人目の感染が私…。
倦怠感があり、動けない…食料あるのに、作れない。子供たちなる事は覚悟してたけど、自分もなること忘れてた笑笑
濃厚接触者で、部活にも行けない長男が、寸胴鍋にカレーいっぱい作ってくれて、それを食べて過ごせた。
私の熱が下がった頃に、長女が発熱で陽性に。
ざっと2週間外に出られない状態だった。
そして、シルバーウィーク終わった頃にみんな復活したのに、朝晩の寒暖差が始まり、後遺症なのかただの偶然なのか喘息が悪化して…。
まぁ、放射線治療で肺や気管にも当たってるから、人よりダメージの回復悪いかもと、言われゆっくり過ごすようにと言われた。
この冬は、寒さが厳しくて、結構辛かった。
ホルモン剤の副作用の更年期で、ここ数年はホットフラッシュであまり寒さ感じない方だったけど、凍って動けないぐらいに、動きたくなかった。
仕事では、頑張れても家では家事手抜き過ぎるぐらいだった。
ようやく寒さに慣れてきた2月中頃になぜか私だけがインフルA。
高熱、関節痛、頭痛で2日寝込んで。
またしても、長男にカレー作ってもらい乗り切った。
この一年も、波瀾万丈に過ごせますように。
そして、もう少し更新していきます。