乳ガンを患ってからの私

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マーキングだらけ

2019-02-21 05:37:03 | 乳ガン患ってからの日々
20日は初放射線だった。治療に入る前に診察があって、前に撮ったCTを見ながら放射線当てる場所を見せてくれて説明受けてから治療に入った。上半身裸でベッドに寝て、こないだからのマーキングの消えてるところを、またの書かれた。今から始まるのかと思ってたら技師さんが「もう少し線を足して行きます。CTを見ながらなぜか左側にもかなりのマーキング。首にも点々と書かれた。だいぶ上がるようになったけど、支えあると言えども腕を上げてるのは、結構キツかった。やっとマーキング終わったと言われてホッとしたのに「毎日同じ場所に照射しないと意味がないので、キッチリ線をつけました。これを写真に残しておきます。それが終わったら照射開始しますね」と言われた。内心「まだなん?」って思いながら「はい」と返事した。そして、やっと治療が開始された。感想としては、痛くも痒くもなかった。そして、マーキングしてた時間より、照射の時間のが圧倒的に短かった(笑)
「はい、いいですよ」って言われて起き上がる時は、腕はしびれてた。更衣室に戻る時、廊下の時計見たら、50分ぐらい経ってた。そんなに長く手を上げる事って、まずない(笑)ガンになる前もなってからも(笑)腕をさすりながら、更衣室に入り着替えた。鏡を見てびっくり(笑)落書きだらけ(笑)首は、タートルネック着ないと、見えてしまうなぁってネックウォーマーで隠して帰った。

帰ってきてから、どうしても会いたい人がいた。
元々は、長男の習い事で知り合ったママ友だけど、子供たちは、今は別のところに通ってて、接点なくなったけど、親同士ずっと連絡取り合ってた。私とは15才も年下だけど、同い年の息子を持ってる。しっかりしてて、尊敬出来る人だった。
私の乳ガンも、彼女には話した。最低でも月に1度は「体調どう?」って連絡くれる。彼女も去年父親をすい臓ガンで亡くして、結構憔悴してた。まだ喪があけてないのに、今はまだ後厄で奮闘してる矢先に、先週ラインじゃなくて、電話がかかってきた。
「あのなぁ、どうしても話しておきたいことがあって。私、3月入ったら手術するねん。チョコレート膿疱ってやつになった。卵巣に血がたまってるんやて。それを取る手術するねん」
「なんか、本間に厄年やわ。お父さん私の厄を持って行ってくれてなかったんやわ。なんでこんなに悪い事起きるんやろ…」いつもしっかりもので、頭の回転も早くて尊敬してる彼女が結構落ち込んでる。とても気になってた。
旦那が次女のお迎え行ってくれてたし、夕飯は2日目カレー(笑)
旦那に「会いに行ってきていい?お土産渡したいし、顔見てくる」そう言うと、旦那も交通事故になったときに、お見舞いにきてくれたのもあるし、旦那も彼女の事は、いい子やっていつも話すので快く行かせてくれた。
久々に会って「体調どう?」って先に私に聞いてくれた。
「今日から放射線して、帰ってきたところやねん。明日お父さんの命日やったやろ?だからお参りしたかったし、これ大分土産ね」って渡した。
コーヒーを淹れてくれて、彼女の状況とか説明してくれた。いつもユーモアある彼女だけど、真剣に説明してくれた。彼女は、開腹手術ではないらしいけど、癒着とかあったら、開腹になるらしくて、開けてみないとわからないと。
そこで、今までは家族にしか見せてなかったけど、私の右胸を見せた。
「こんなんになった。平らじゃなくてえぐれてるやろ?それでも元気やろ、私。大丈夫やから、ガンちゃうねんから(放置してたら悪性に代わることもあるらしいが)取ってしまったらいいんやったら、頑張ろう」って。私には、気のきいた言葉も出てこないけど、元気な彼女が大好きだから、何か役に立ちたかった。
彼女も、手術した後も服薬があったり、通院が必要なようだった。
「手術終わって、お腹に力が入るようになったら、カラオケ行こうなぁ」って約束して
「退院して落ち着いたら連絡して。顔見に行くわなぁ」って言うと
「退院したら、すぐに連絡するから(笑)」って。
嬉しいこと言うてくれる(笑)