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雲追う民

難民キャンプで暮らすサハラウィの生活を紹介する写真

短信29西サハラ支援モロッコ人映画作家

2013年10月10日 | 西サハラ短信

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このサイトは、日本西サハラウイ協会の支援者が、同協会からの情報と活動を発信しています。
難民キャンプの生活を紹介する写真は1998年から2002年のもので、現在はモロッコ人捕虜が全員帰国したため、収容所がなくなるなどの変化がありますが、砂漠の中の生活が困難であることは変わりません。

難民キャンプへ無線機を贈るためのカンパを呼びかけています。詳しくはこちら

      



エル=ディアリオ電子版(スペイン)2013年10月3日

西サハラの自由を擁護する若いモロッコ人映画作家

 
第10回サハラ国際映画祭、モロッコ「2月20日運動」の支持者で映画作家のナディール・ブーフムーシュを迎える



ナディール・ブーフムーシュ(2011年)(アップロードによって変色しています)

サハラ国際映画祭 Fisahara には毎年映画監督、俳優、活動家、ジャーナリストが世界中から参加する。彼らは5日間、アルジェリアにある難民キャンプのダフラ・キャンプで西サハラの主催者、参加者たちとフィルム上映やワークショップの活動を繰り広げる。2010年にザ・ガーディアン紙記事が命名したように、そこはまさに「世界の果て映画祭」だ。今年の映画祭は、非常に象徴的な人物を迎えることになっている。若い映画作家ナディール・ブーフムーシュはモロッコの2月20日運動の支持者で、今回ワークショップで西サハラの青年たちを指導したり、自作のドキュメント映画を上映することになっている。映画は2011年にモロッコに生まれた市民運動、大衆の要求に対し弾圧で応えるモロッコ当局を一人称で語る作品だ。
 
ブーフムーシュさんの映画祭参加は、モロッコで西サハラの占領問題に触れることがタブーであることを思えば、並大抵ではない勇気ある行動だ。現在は米国在住だが、今回のイベントに参加するだけで、将来の帰国時に問題が起きることは避けられないだろう。ブーフムーシュさんに、その決意が今後巻き起こす反響について質問してみた。

私にとってこの映画祭参加は大きな意味を持っています。これまで既に私は、西サハラに関して自己検閲をしなければならないことにさんざん悩まされました。近々キャンプで一緒に仕事をするのは難民の人々ですが、それは私の国、モロッコが彼らの国を占領しているから難民となったのです。ですからこの私が、それもパレスチナの大義を支持するイスラエル人監督ガイ・ダヴィディと一緒に、そこにいること自体、非常に象徴的なことになります。私は願望として、より多くのイスラエル人がパレスチナを支持することを願っているのですが、モロッコ人がサハラウイを支持することを願わずに、イスラエル人に対して願うことなどできるでしょうか。ここでは同じことが言えるのです。占領者と占領された者、植民者と難民・・・と。
長いこと私は西サハラがモロッコ領だと頭に叩き込まれてきましたが、でも誰がそれを決定するのでしょうか。ハサン二世ですか?政府系のテレビチャンネルですか?政府が内容を左右する書物ですか?
私はもうこれ以上共犯者であり続けられません、沈黙すれば、それはモロッコの西サハラ占領の共犯なのです。これから先は、民主主義、人権そして平等に対する信念に誠実で、これを貫き通して行きます。占領を非難し、モロッコ社会の中で「沈黙を止めよう、恐れも止めよう、サハラに自由を!」ときっぱり言って行くでしょう。


ブーフムーシュさんの参加は、エジプト、シリア、チュニジア、パレスチナの映画作家、ジャーナリスト、活動家たちの参加同様、この映画祭が、2011年に街頭で権利を求めた市民たちの、自由と正義のための闘いの中に位置づけられることを求めている。それに実際のところ、アラブの春の起源は2010年西サハラで起きた大衆行動にあるとみる人達は
珍しくない(訳注1)。
ナディール・ブーフムーシュさんの映画「僕のマフゼンと僕(訳注2)」は、10月8日~13日のサハラ映画祭で上映されることになっている。


訳注1:ノーム・チョムスキーなど
訳注2:マフゼン=官僚、軍部、伝統的支配層が作るモロッコの権力体制