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雲追う民

難民キャンプで暮らすサハラウィの生活を紹介する写真

短信31米国議会のアミナトゥ・ハイダル

2014年03月25日 | 西サハラ短信

米国議会、サハラウイ活動家アミナトゥ・ハイダルを迎える



2014年3月24日 ワシントン SPS通信(西サハラ)

西サハラの人権活動家アミナトゥ・ハイダルさんは目下、世論に西サハラ問題を訴えモロッコによる人権侵害の現状を告発するため米国を訪問中だ。


この日彼女を議会に招いたのは Defense Forum Foundation という財団で、アルジェリアの歴史的人物エミール=アブデルカデルの精神を受け継ぎ同名を頂く会を持ち、イスラム世界から自由と人権のために尽くす人物を招いては公聴会を開いている。

壇上に立ったハイダルさんは、モロッコ当局による不法拘束、暴行、拷問、性的虐待、裁判外の刑執行や強制行方不明など、西サハラ住民に対する日常的な人権侵害を始め、憂慮すべき問題を取り上げながら占領下にある西サハラの現状を説明した。

ハイダルさんはまたこの機会を利用して、昨年4月に米国政府が国連安保理事会でMINURSOの任務に人権監視を含めることを立案したことに対し感謝の意を述べた。ただこの案は、最終的には他の安保理メンバー国による反対に遭い、日の目を見ることはできなかった。


そして彼女は連邦議会に対し、西サハラ人民の人権状況に留意を呼び掛けるとともに、モロッコや外国企業による地下・水産資源の不法開発についても同様の注意を促した。



短信30モロッコによるデモ弾圧

2013年10月24日 | 西サハラ短信

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難民キャンプの生活を紹介する写真は1998年から2002年のもので、現在はモロッコ人捕虜が全員帰国したため、収容所がなくなるなどの変化がありますが、砂漠の中の生活が困難であることは変わりません。

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日刊紙リベルテ(アルジェリア)2013年10月22日

エル=アイウンとスマラでデモ参加者たちが負傷



クリストファー・ロス氏の訪問中も続くモロッコ当局の弾圧

国連事務総長の個人特使クリストファー・ロスの訪問時にもかかわらず、モロッコの治安組織はエル=アイウンとスマラのサハラウイ住民デモを激しく弾圧

国連の西サハラ特使はエル=アイウンとスマラの訪問を終えたが、その間この二つの町はサハラウイ住民デモに対するモロッコ治安当局の激しい弾圧の舞台と化した。
国連事務総長の個人特使ロス氏が現地を訪問するのは今回でニ度目となり、10月18日エル=アイウンに到着した。一方モロッコ当局はサハラウイ住民の集りはどれも阻止する態勢を整えていた。
19日、エル=アイウンではデモ隊とモロッコ治安部隊の衝突が起きた。これについてMAPモロッコ通信は「住民たちの破壊行為と暴力」を非難したが、現地のモロッコ人権団体AMDHのムバレク・ダラアン代表はモロッコ治安部隊が15時ごろ平和デモに対し武力介入を開始したと証言し「住民が立ち話に数人集うだけで、すぐさま私服警官が介入している」と警戒態勢の様子を語った。
20日、スマラでも同様の介入が行使され、20名ほどの住民が負傷し、内一人は重傷だ。
AFPフランス通信がMINURSO国連監視団代表に問い合わせたところ、コメントは得られなかったそうだ。
国連事務総長個人特使ロス氏も、今回は現地訪問中に声明発表を行っていない。

2009年以来国連事務総長個人特使を務める同氏は、サヘル地域の情勢悪化にともない西サハラ問題の解決が「これまでになく緊急を要する」と見なし、行き詰まり打開を試みている。
2012年春にはモロッコ側から同氏の仲介活動が「不公平」と非難されたが、潘事務総長の力強い支持を得て同年11月にはエル=アイウンを初訪問した。
今回の現地訪問に先立ち、クリストファー・ロス氏はチンドゥフのサハラウイ難民キャンプ、そしてモロッコのラバトを訪れ、政府高官たちそして反独立派、独立派の市民社会代表と会談した。
ロス氏はこの旧スペイン植民地である西サハラの訪問後、ヌアクショットそしてアルジェへ向かう予定となっている。

なお国連安保理事会は10月30日に西サハラ問題をめぐる協議を行うことになっているが、この問題はアフリカで唯一いまだに脱植民地化されていない問題だ。
4月に行われた前回の安保理事会では、米国がMINURSOの任務に人権問題監視を含め入れることを提案したが、モロッコが猛烈に反対し実現されなかった。このため西サハラ現地では独立を求める大規模なデモが起きた。
 



短信29西サハラ支援モロッコ人映画作家

2013年10月10日 | 西サハラ短信

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エル=ディアリオ電子版(スペイン)2013年10月3日

西サハラの自由を擁護する若いモロッコ人映画作家

 
第10回サハラ国際映画祭、モロッコ「2月20日運動」の支持者で映画作家のナディール・ブーフムーシュを迎える



ナディール・ブーフムーシュ(2011年)(アップロードによって変色しています)

サハラ国際映画祭 Fisahara には毎年映画監督、俳優、活動家、ジャーナリストが世界中から参加する。彼らは5日間、アルジェリアにある難民キャンプのダフラ・キャンプで西サハラの主催者、参加者たちとフィルム上映やワークショップの活動を繰り広げる。2010年にザ・ガーディアン紙記事が命名したように、そこはまさに「世界の果て映画祭」だ。今年の映画祭は、非常に象徴的な人物を迎えることになっている。若い映画作家ナディール・ブーフムーシュはモロッコの2月20日運動の支持者で、今回ワークショップで西サハラの青年たちを指導したり、自作のドキュメント映画を上映することになっている。映画は2011年にモロッコに生まれた市民運動、大衆の要求に対し弾圧で応えるモロッコ当局を一人称で語る作品だ。
 
ブーフムーシュさんの映画祭参加は、モロッコで西サハラの占領問題に触れることがタブーであることを思えば、並大抵ではない勇気ある行動だ。現在は米国在住だが、今回のイベントに参加するだけで、将来の帰国時に問題が起きることは避けられないだろう。ブーフムーシュさんに、その決意が今後巻き起こす反響について質問してみた。

私にとってこの映画祭参加は大きな意味を持っています。これまで既に私は、西サハラに関して自己検閲をしなければならないことにさんざん悩まされました。近々キャンプで一緒に仕事をするのは難民の人々ですが、それは私の国、モロッコが彼らの国を占領しているから難民となったのです。ですからこの私が、それもパレスチナの大義を支持するイスラエル人監督ガイ・ダヴィディと一緒に、そこにいること自体、非常に象徴的なことになります。私は願望として、より多くのイスラエル人がパレスチナを支持することを願っているのですが、モロッコ人がサハラウイを支持することを願わずに、イスラエル人に対して願うことなどできるでしょうか。ここでは同じことが言えるのです。占領者と占領された者、植民者と難民・・・と。
長いこと私は西サハラがモロッコ領だと頭に叩き込まれてきましたが、でも誰がそれを決定するのでしょうか。ハサン二世ですか?政府系のテレビチャンネルですか?政府が内容を左右する書物ですか?
私はもうこれ以上共犯者であり続けられません、沈黙すれば、それはモロッコの西サハラ占領の共犯なのです。これから先は、民主主義、人権そして平等に対する信念に誠実で、これを貫き通して行きます。占領を非難し、モロッコ社会の中で「沈黙を止めよう、恐れも止めよう、サハラに自由を!」ときっぱり言って行くでしょう。


ブーフムーシュさんの参加は、エジプト、シリア、チュニジア、パレスチナの映画作家、ジャーナリスト、活動家たちの参加同様、この映画祭が、2011年に街頭で権利を求めた市民たちの、自由と正義のための闘いの中に位置づけられることを求めている。それに実際のところ、アラブの春の起源は2010年西サハラで起きた大衆行動にあるとみる人達は
珍しくない(訳注1)。
ナディール・ブーフムーシュさんの映画「僕のマフゼンと僕(訳注2)」は、10月8日~13日のサハラ映画祭で上映されることになっている。


訳注1:ノーム・チョムスキーなど
訳注2:マフゼン=官僚、軍部、伝統的支配層が作るモロッコの権力体制





短信28サハラウイ8名の遺骸を確認

2013年09月17日 | 西サハラ短信

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エル=パイス紙 2013年9月10日
集団で埋められていたサハラウイ8名の遺骸を確認



西サハラで見つかった墓穴二か所で、発掘作業にあたるスペインの法医学者グループ

バスク大学の法医学研究グループが西サハラで墓穴を二ヶ所発掘し、DNA解析の結果サハラウイ8名(内2名は未成年)の遺骸であることを確認した。遺骸は1976年2月12日、モロッコ軍兵士により銃殺された人々だ。

犠牲者のうち2名はスペイン国身分証明書(訳注1)を、別の1名は当時行われていた砂糖の配給手帳を持っていた。遺骨が発掘された場所からは薬きょうも出た。
この調査班は法医学・人類学のエチェベリア教授と心理学のベリスタイン教授に率いられ、去る6月8~10日、スマラ地方のファドレッ・レギアア、チンドゥフの難民キャンプから400km離れた砂漠の真っただ中へ赴いた。調査はサハラウイ囚人と消息不明者の家族の会(AFAPREDESA)が依頼し実現したもの。



今回の作業では当時13歳で銃殺現場にいたアバ・アリド・サイド・ダフさんの証言をもとに行われ、調査の結果はこれと全く一致していた。、
 
1976年2月12日、アムガラ一帯に配置されていたモロッコ軍が遊牧民たちを集団逮捕し、アバ・アリド・サイド・ダフさんもその中にいた。そこへ「午後8時ごろモロッコの軍人が一人ジープに乗ってやってきて、まずモハメド・ムールードを呼び出し<ポリサリオたちはどこにいる?><身分証明書を出せ>と言い、モハメドがポリサリオのことは何も知らないと言うと、心臓めがけて発砲しました。次にアブデラヒ・ラマダンを呼び同じことが行われました。軍人はピストルを携帯していましたが殺す時は小銃を使いました。」と調査班に語った。
今回遺骨で発見された当時14歳のバシール・サルマさんの死も、アバ・アリド・サイド・ダフさんは証言しており、それによるとバシール・サルマさんの父親が息子を殺さないでくれと嘆願する声がして、その後親子ともに銃殺された。
この日集団逮捕された者たちはみな、ラクダとヤギを連れて放牧中だった。


発掘班が発表した報告書によると、30年間モロッコは行方不明者たちの家族の願い出に対し何ら回答を出さずにいたが、2006年に「公正と和解委員会」(訳注2)が発表した名簿の中にこの集団逮捕の中の4名の名が記載されていた。
しかしそこには、前記の親子について「1976年6月スマラで王国軍により逮捕され、基地に連れて行かれた後死亡」と記され、アブデラヒ・ラマダンさんについては「1976年2月22日アムガラで軍により逮捕され、スマラ基地へ連行された後死亡」と記されている。



調査班はモロッコ当局が発表した情報は日付も事実も偽りとし、「逮捕の起きた日、人々はどこの宿営地にも連行されず、その場で銃殺されている」ことは遺伝子解析が示していると述べている。
モロッコ兵たちは犠牲者の遺体を浅く土に埋めた。そして今年2月末、この一帯で放牧していた一人のサハラウイが地面から人骨が散らばり出ているのを見つけた。

調査班は前記のスペイン身分証明書の他、犠牲者たちが身に着けていた衣類も収拾したが、墓穴発掘前に遺族から聞いていた証言とそれらは完全に一致した。例えば当時14歳だったマフムード・サルマさんは兄の青色セーターを来て、父親の祈祷数珠を常に持っていたという証言の通りだった。

遺骨の埋め方は浅かったものの、遺品の一部が非常によい状態で保存されたのは「砂漠という湿気のない環境と砂の特性が幸いした」ものとされる。
この地域は1991年停戦以来国連MINURSOの監視下にあるため、「遺骨は保護された状態で元の場所に置かれ、その場所には目印が設けられた。次の段階としては正式にサハラウイ当局の派遣団が訪れ、遺族に遺骨や遺品が手渡されるだろう、そして一帯にまだある他の墓穴を保護するため何らかの措置がとられねばならない」とし「サハラウイの強制行方不明者は400人以上いる」と報告書は述べている。


遺族の一人シディ・モハメド・シダハメドさんは「すべての工程が完了するまでは、その場所がきちんと保護されるよう求めます。父の遺骨が見つかったことに関しては、ただもう感謝の気持で一杯です。私たちにとっては光が差し込んだも同然です、これまですべては暗闇の中にあったのですから。私たちの宗教では、詣でる墓がなければ家族は喪に服することもできないのです。」と語る。

調査班は報告書を次のように締めくくっている。「国際人権の見方からすれば、今回のケースの法的影響は明らかで重要な意義がある。スペイン身分証明書を持つサハラウイ市民が問題となっている以上、今後はサハラウイ当局とスペイン当局、そして国連の人権擁護機関により追跡、評価がなされねばならないだろう。またモロッコ当局の責任は問われなければならない。」


訳注1:スペイン植民地だった西サハラは当時スペインの一地方で、人口調査に登録されたサハラウイはスペイン国身分証明書を持っていた。
訳注2:モロッコの現国王が、父王時代の人権問題解決処理のために2004年に作った委員会。


    

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短信26 独立支持デモで負傷者

2013年05月12日 | 西サハラ短信

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AFP通信(フランス)2013年4月27日

西サハラ:エル=アイウンの独立支持デモで約40名が負傷


モロッコ警官により指先三本を潰し切られた女性(写真提供はエル=アイウンの人権活動家)

西サハラのエル=アイウンで26日午後、独立支持派のデモが行われ、40名ほどが負傷した。現地の県庁発表によるとその内8名は警官とのことだ。

これは、国連安保理事会がMINURSOの任期を更新した翌日に行われたデモで、AFP特派員によると100名ほどの人々が参加した。

エル=アイウン県庁側は、デモは許可されていなかったため、警官隊がこれを解散させたと説明。
また警察の介入時に治安部隊の8名が負傷し軍病院へ搬送されたと伝えたが、他の被害者については言及がなかった。

現在エル=アイウンにはアムネスティー・インターナショナルの代表団が訪問中で、一行は30名ほどのデモ参加者が負傷し、その内12人から直接話を聞いたと伝えている。
アムネスティーのSirine Rached代表は町の主要通りで始まったこのデモは、「穏やかに」行われていたにもかかわらず、警察が「過剰な暴力を駆使した」と伝えている。
 
前日25日、国連安保理事会は停戦監視を主な任務とするMINURSOの任期を一年更新した。
米国はこの平和維持軍に人権監視の任務も加えようと試みたが最終的に譲歩にまわり、安保理事会は「西サハラとティンドゥフ難民キャンプにおける人権擁護に努めるよう当事者双方に要請する」という内容の決議を採択した。




短信25 米国草案を歓迎

2013年04月28日 | 西サハラ短信

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サハラ通信SPS(西サハラ)

米国の草案は挫折したものの、ポリサリオ戦線は同国のイニシアチヴを歓迎




2013年4月24日 ニューヨーク
ポリサリオ戦線は、安保理事会でMINURSOの任務に人権監視を加えようと試みた今回の米国のイニシアチヴを歓迎していると表明した。

米国の草案は結局日の目をみなかったが、駐国連ポリサリオ戦線のアフメド・ブハリ代表はAPS通信(アルジェリア)のインタヴューに対し米国のイニシアチヴは「占領下の西サハラで自由を求めて闘う人々への強い支援」となったと語った。

また「西サハラの人々の人権問題に光を当て、国連が人権擁護を行う必要性を訴えている」今回のイニシアチヴには「米国が西サハラ人民の人権問題を真剣に考慮していることを示す」大きな意義があり、「この姿勢は今後も変わらないだろうし、また、モロッコが残忍かつ組織的な方法で西サハラの人権侵害を行っている問題を安保理事会は引き続いて取り上げていくだろう」「世界一の大国によるイニシアチヴは、西サハラの大儀と占領下での抵抗運動にとって”精神的勝利”につながった。」とコメントした。






短信24 三国からの圧力

2013年04月25日 | 西サハラ短信

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エル=パイス(スペイン)2013年4月23日

モロッコ、フランス、ロシアは米国に提案を断念させることに成功


米国のスーザン・ライス国連大使は先週、MINURSOの任務に人権監視を加える案を「西サハラのための事務総長の盟友国グループ」(米、英、仏、露、西)に対し提案した。MINURSOは、国連平和維持軍の中で唯一この人権監視の機能を有さないPKOだ。
しかしフランス、ロシアは拒否権行使を回避できるよう、米国に草案内容を変更させることに全力投球。スペインもこの二国側についた。結局のところ米国大使はグループのコンセンサスの下、新たな草案作成をするに至った。
(中略)
一方モロッコ側はこの間敵意をむき出しにし、米国案を「主権」侵害と非難した王室声明を皮切りに全政党、行政組織、そして諸人権NGOまでも(AMDHモロッコ人権委員会を除く)が後に続いた。
さらに今月末に予定されていた米国と同演習をキャンセルし、オトマニ外相は国会で初めての激しい対米非難を表明。

こうした大規模な攻撃を受けたライス国連大使は、歩を譲ることに決定。人権監視の任務はMINURSOではなく、国連人権高等弁務官が行うという内容に修正された。しかし、後者が実際に発揮できる力は前者の足元にも及ばないにもかかわらず、親モロッコの国々はこれに同意を示さない。
そしてライス大使が22日、やっとコンセンサスを得たテキストは、人権擁護奨励の必要性を強調するものの、そのための装置を設けることには一言も触れられていない内容となった。
西サハラの決議案は、今月末までに安保理事会で決定される。





短信23 モロッコと米国の対峙

2013年04月19日 | 西サハラ短信

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ル=モンド(フランス) 2013年4月17日

西サハラ問題をめぐりモロッコと米国が対峙


モロッコと米国の関係が突然冷却化している。それも、この4月にアガディールで行われる予定だった合同軍事演習アフリカン・リオンがキャンセルに追い込まれる始末だ。今月16日モロッコのニュース・サイト Lakome がこれを報じ、その後フランス通信AFPによるとモロッコはノーコメントだが米国はこれを肯定したそうだ。

そもそもの発端は、スーザン・ライス米国国連大使が西サハラの国連平和維持軍MINURSOの任務に人権監視を加えることを盛った安保理決議の草案を作成、これを「西サハラの盟友国グループ」と呼ばれる五カ国(米、英、露、仏、西)に提案したためだ。

草案では、西サハラのモロッコ支配下にある地域と、ポリサリオ戦線が統制するティンドゥフ難民キャンプ(アルジェリア領土内)の両地域で人権監視とその報告を行うメカニズムの設置が求められた。


微妙な立場に置かれたフランス

モロッコと旧来の友好国フランスは、微妙な立場に置かれている。というのもフランスは1976年以来国連で人権に関する決議に限り拒否権を使ったことがない。今回の草案について、ある仏外交官は「モロッコと米国の問題ですし、阻止したりはしませんよ」と不機嫌な面持ちで逃げ切った。

MINURSOは1991年以来西サハラに駐屯し、国連決議はその任期を毎年更新してきた。今年は今月22日に国連事務総長個人特使クリストファー・ロス氏が安保理事会で報告を行い、25日には決議案が採択されることになっている。また事務総長はその報告書の中で、MINURSOの任務に人権監視を入れることが緊急を要すると訴えている。

これまでもこの任務の必要性は英国を始め数々の国により指摘されてきたが、その都度、これを「主権」侵害とするモロッコの執拗な拒否に遭い日の目を見ることはなかった。


不可侵の国家一体を標榜

去る14日、モハメド6世宮殿で緊急会議が開催された。集ったのは国王顧問たちにアブデリラフ・ベンキラン首相、各党首そして珍しくも政府閣僚たちの顔ぶれもあった。というのも王室、とりわけ国王側近のアリ・エル=ヒムマが指揮を握るこの問題に関しては、閣僚たちは遠ざけられられるのが慣例だったため、この緊急会議は不可侵の国家一体を標榜したい意図がありありと伺われる。付け足すなら、国王の怒りを物語ってもいる。

会議後モロッコの発表した公式声明によると、「国連で取り扱われている我が国の問題の進捗、特にMINURSO任務を歪曲させようとするイニシアチヴ」については「内容、そして経緯や手順の面で予め相談もなく、今回のように一方的に物事を開始されることは不公平であり、不理解と拒否を招くものでしかない」と評されいる。
 
ところが文中では、輪番で今回国連決議案を起草することになった米国の名はどこにも見当たらない。モロッコは「こうしたイニシアチヴは断固として」拒否している。16日、ムスタファ・エルハルフィ通信大臣が会見を行い、このようなやり方は「王国の国土保全に対し、人権問題を道具にする敵の術策に手を貸すばかりだ」と公言した。

「MINURSOに一大変化をもたらすことになるでしょう」

モロッコは、国連のフアン・メンデス特別報告官を受け入れるなど最近の協力的姿勢を前面に押し出していたが、ここに及んで保全問題など貴重な関係を維持してきた国に裏切られたと激怒している。しかし西側外交筋は、モロッコが2012年国連事務総長の個人特使ロス氏を「信頼できない」と拒否し、その後逆戻りするなどの不手際を見せたことを忘れてはいない。

2012年9月、現米国政府とつながりがあるとされるケネディ財団が西サハラの人権状況について厳しい報告書を発表したが、これが米国の今回の方向転換のきっかけになったとも言われる。西サハラの人権活動組織 CODESA の執行部メンバー、モハメド・エルムタワキル氏は「MINURSOに一大変化をもたらすことになるでしょう。今後は人権侵害の訴えを受け付け、その報告を行うのですから。」と、喜びを隠しきれない。

「焦点はこれまで反対してきたフランスですが、現在テロリスト・グループの活動によって地域一帯の民主主義が全く脅かされている状態ですから、この手の決定については支持に回るべきでしょう。」と語った。

なお17日ヒィーマン・ライツ・ウォッチは安保理事会メンバー国に対し、人権問題をMINURSOの任務にしない「異常な状態を終焉させる」よう訴えている。




短信22 マリ紛争の影響

2013年04月16日 | 西サハラ短信

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ル=モンド紙(フランス) 2012年4月12日


マリ紛争の影響が危ぶまれる西サハラ



国連事務総長は西サハラの若者たちの過激化を懸念。MINURSOの任期については一年の延長を求める。


西サハラ紛争はモロッコと、アルジェリアに支援された独立派ポリサリオ戦線の間で続く、国際紛争の中でも最も長引く紛争の一つとなっているが、最近のマリ軍事介入の悪影響がこの地域に及ぶのではないかと危惧されている。

藩国連事務総長は、個人特使クリストファー・ロス氏からの報告を受け、今月22日から開かれる安保理事会に向けて報告書を作成したが、その中で「サヘル地域における治安悪化と不安定化が強まる現在、長引くこの紛争の解決が急務とされる」と警鐘を鳴らしている。

本紙が入手した23ページの報告書コピーでは、事務総長はポリサリオ戦線がテロリスト・グループの活動を「断固として」糾弾し、難民キャンプの青年層をターゲットにした引き抜き行為を未然に防ぐため尽力しているとコメント。

また2011年10月に三名のヨーロッパ人が難民キャンプで誘拐され去年解放されたことや、同年7月にスペイン政府が現地活動していた17名のNGO活動家たちを本国帰還させたことに言及するとともに、ポリサリオ戦線指導部が「テロリストが内部潜入している可能性を否定はできない」と伝えたことも明記している。

1991年以来現地で停戦監視を続ける西サハラ住民投票のための国連派遣団(MINURSO)は、この拡大する危険性を前に「威力は次第に弱まり」平和維持部隊が危険にさらされる状況が生まれているそうだ。現地では既に夜間パトロールが廃止となり、またモーリタニア国境近辺のパトロールは安全性が保障されないところからポリサリオ戦線部隊が完全にエスコートしている。

事務総長は、各国政府はマリ紛争の悪影響が西サハラに及ぶ可能性を危惧していると述べるとともに、難民キャンプに生まれ育つ若者たちにとって「和平交渉が進展を見せないことへのフラストレーションだけではなく、将来的に雇用を期待することはできない環境にある」ところから「青年たちの抱えた不安定な状況」や「二世代、三世代」の過激化の危険性が生まれるとコメントしている。さらには和平へ向け当事者双方間に横たわる溝が打破されるどころか、マリ問題は事態をさらに悪くし「緊張が続く当一帯の状況は近隣諸国間に硬直化と相互不信を作りだしてしまった」そうだ。

こうしたことを踏まえ藩事務総長は今月30日に満期となるMINURSOの任期を一年延長し、派遣軍人を15名増して計245名に、また警官を6名追加派遣することを求めている。そして事務総長は今回初めて、人権問題を監視する任務の必要性に触れている。

この問題はこれまでモロッコ側の頑固とした拒否に遭ってきたが、MINURSOは国連が世界に派遣する平和維持軍の中で人権保護が任務に入っていない唯一の部隊だ。安保理事会メンバー国のなかには英国のように人権監視の任務を与えるべきとする国々があり、この管轄なくしては平和維持軍の役目は事実報告つまり停戦違反件数を数えるだけでしかないという意見を示している。

国連事務総長はこの問題に触れるにあたり、行き過ぎた表現を慎みつつ又モロッコが自国の国家人権評議会支部を西サハラに置いたことを大きな一歩と歓迎しながらも、「人権侵害に関する定期報告を受け止める限り、一貫して総合的に現地の人権状況を公正に独立した立場から監視する必要性がますます急を要するものとなってきている」と述べている。

藩事務総長のこの言葉にはかつてなかったほどの揺るぎない姿勢が伺われ、これまでのソフト口調の報告書に慣れていた外交官たちを一驚させたほどだ。西サハラ紛争は何年も前から国際社会の意見を分断し、立ち往生している問題だ。ポリサリオ戦線は人民の自決権行使による住民投票を求め、一方モロッコは1975年に領土を部分的に併合しフランスや合衆国の後ろ盾を得て「大幅な自治」を提案している。

国連事務総長個人特使のクリストファー・ロス氏は2012年秋、2009年の就任以来初めて、西サハラを訪問した。現地ではモロッコ当局により準備された人物たちと会談した以外にも、西サハラ市民社会の代表者たち、青年や女性たちとも会談を行った。しかし、国連事務総長の言葉にある「住民間にある自治と独立それぞれの支持規模を見積もること」は不可能だった。停滞状況は相変わらずのようだ。

今回の報告書について、ポリサリオ戦線のアフメド・ブハリ駐国連代表は「慎重」だがバランスが取れていると評し「本筋から離れることなく、とにかくも、人権擁護の監視体制を設けるためにありとあらゆる論拠を引き出している」とコメントした。本紙はまた、2012年から安保理事会非常任理事メンバーになっているモロッコ大使にも尋ねてみたが、目下のところノーコメントとのことだった。

(文責:アレクサンドラ・ジュネスト、イサベル・マンドゥロー) 



新郷のコメント:
本文訳作業の最中、米国はMINURSOに人権監視の任務を与えるよう安保理に提案を決定したというニュースが入りました。一方モロッコに無条件支持を寄せてきたフランスですが、先日モロッコ公式訪問をしたオランド大統領のモロッコ国会における演説では、従来とは明らかに異なる言句が注目され、これからの姿勢に修正が入るのではないかと解釈する意見も出ています。



短信21モロッコの平和デモ弾圧

2013年03月28日 | 西サハラ短信

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このサイトは、日本西サハラウイ協会の支援者が、同協会からの情報と活動を発信しています。
難民キャンプの生活を紹介する写真は1998年から2002年のもので、現在はモロッコ人捕虜が全員帰国したため、収容所がなくなるなどの変化がありますが、砂漠の中の生活が困難であることは変わりません。

難民キャンプへ無線機を贈るためのカンパを呼びかけています。詳しくはこちら

      


ペリオディスタス・エン・エスパニョル紙(電子版)2013年3月24日


西サハラ:モロッコはロス氏の滞在中、平和デモ参加者を弾圧

(ここの画像は再現できませんでした)
DOMINGO 24 DE MARZO DE 2013 11:05 PES(スルタナ・ハヤ)


西サハラにいるモロッコ治安部隊は3月23日、西サハラ住民たちの平和デモを武力で弾圧した。この日現地には、国連事務総長個人特使のクリストファー・ロス氏が訪問のため到着していた。


西サハラの首都エル=アイウンからの連絡によると、現地のスマラ通り、モハメド・ダダッシュ通りで散発的にデモが行われていた。またモロッコ当局はマタッラ地区(訳注:サハラウイ住民居住区)への救急車の立ち入りを禁止し、被害者たちが手当を受けるのを妨害しているそうだ。


エル=アイウンにあるネットラジオ・マイジラットによると、ロス氏はこの軍隊が下した乱暴な介入について知らされたもよう。同筋によると負傷者は20名を超え、ロス氏との会談に参加した人権活動家ハセナ・ドゥイヒなど十数名が町の病院へ運ばれた。

また活動家スルタナ・ハヤ(訳注:彼女は2005年マラケシュ大学で当局の暴力により片目を失明している)は攻撃を受けた後、町の外へ連れて行かれ放置された。

(後略)


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ラジオ・マイジラット

3月23日 ダフラ(占領下西サハラ)


ラジオ・マイジラットは電話で、旧政治囚で人権活動家のエルマミ・アマル・サレム氏に国連事務総長個人特使クリストファー・ロス氏のダフラ訪問について語ってもらった。


「ロス特使は、随行員を伴いMINURSOの専用機で23日午前ダフラへ到着。一行はただちにMINURSOの車で、滞在先となるホテル・レジェンシーへ向かった。

ロス氏の到着に向け現地では関係者によるレセプションが準備されていたが、同氏はこれを拒否。ホテルで落ち着くとすぐにロス氏は、予定されていた人権団体代表者や活動家たちとの会合、また現地の政界、経済界の代表者たちとの会合を開始した。

ダフラでは大勢の私服が配置されており、またダフラのいくつかの地区ではインターネット接続が当局の意図で切断されている。」



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<新郷から>



以下の動画は、エル=アイウンの町でサハラウイ住民が私服警官たちに暴行を受け、連行されるもようを伝えています。

道端でデモをしている男性は衣服に隠し持っていたRASD国旗を取り出し、通過したMINURSOの車に近寄ったところ、ただちに私服たちが詰めかけて彼を暴行そして逮捕。他のサハラウイたちも同様の被害を受けています。

http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=d7ZXFpJUtpc