遊月(ゆづき)の日々これ修行なり~

パワースポット研究家(おたる案内人)でセラピスト遊月のブログ
【パワースポットニッポン(VOICE)北海道担当】

雙ヶ岡(双ヶ岡)古墳から京都の絶景を眺めました

2022-05-25 15:31:33 | パワースポット情報
✴︎雙ヶ岡古墳レポート(2022年5月20日訪問)✴︎

雙ヶ岡古墳は、「ならびがおかこふん」と読みます。
そう、今回の京都で最初に行ったのは、古墳!

「とうとうきたー!」ですよ。
念願達成です。
それはなぜなのかを先にお伝えします。


古墳の上から仁和寺を眺める。

あれは2012年4月のこと。
JR嵯峨野線花園駅から、徒歩10分ほどの蚕ノ社へ歩いていていくはずが、なぜかたどり着いてしまったのがこちらの古墳。

どうやら花園駅を降りてから、蚕ノ社とは反対側にあった古墳に向かって歩いていたらしい。しかも「嵐電北野線」のどこかの駅の直前まで行っていました。
花園駅の前の花(2012年4月26日)


それから10年後の花園駅再び。
奥に見えている山が古墳です

間違ったことはわかった。もと来た道はこっちだから、あの大通りを渡り、向こうに行けば、きっと蚕ノ社に違いない。
道に迷う人あるある的なテキトーさで、さらに別の道を歩き始める。

花園駅においてあった一枚ぺらの簡易地図を片手に、キャリーバックを引っ張りながら(蚕の社だけ寄ったらそのまま帰る予定だったので)住宅街を歩き回る。
だがしかし、見回すと、そこに書かれた地名は、簡易地図に載っていない。
ねえねえ、ココハドコ?( ;∀;)
と本気で泣きそうになっていました。

花園駅の前に、しっかりと、蚕ノ社はこっちだと表示されていたのに( ;∀;)
そっちに向かって歩いていると思っていたのに( ;∀;)
(2012年4月撮影)

タクシーを拾おうにも狭い住宅街に車さえ来なくて。
偶然見かけたおじさんに声をかけると、親切なその方に、一番近い駅だという帷子ノ辻駅まで連れて行っていただきました。

おじさんは優しくて、私が乗るべきホームに行く方を駅の中で探して、わたしをホームまで連れて行ってと頼んでくれました。
神様、親切なおじさんを与えてくださりありがとうございます。
あの時のおじさん、10年たっても今でも感謝の気持ちでいっぱいです( ;∀;)


帰って調べて、気になっていた秦河勝の墓と言われていると知り、ひええっとなりました。

絶対呼ばれたと感じ、今度京都行ったら、ぜったい登ります!と心に決めていたのです。
(だって、その時私が行こうとしていた蚕ノ社を作ったとされる方のお墓なわけですよ)

あれから10年。



レポートの前に、簡単にこの古墳について。


時は平安京ができる前の古い時代。
このあたりは、渡来人の秦氏が活躍していた場所でした。
ちなみに秦氏とは、秦の始皇帝(吉沢亮笑)の末裔とされ、西暦283年(弥生時代)に。百済より百二十県の人を率いて帰化したと記される弓月君(ゆづきのきみ)を祖とする一族とされます。



京都の古い時代の神社(伏見稲荷松尾大社など)は秦氏が作りました。
当時、山城国に、嵯峨野の秦氏松尾の秦氏深草(伏見稲荷)の秦氏として、三系統に分かれていたようです。
蚕ノ社は、最も早い時期に栄えていた嵯峨野の秦氏によるものです。



↓参考にしたのは行く前に図書館で借りたこちらの本(秦氏とカモ氏)


秦氏の詳細はのちほどアップします。

こちらの古墳は「清原真人夏野公の墓」(誰??)とされていますが、この地で相当力を持っていた、嵯峨野の秦氏こと、秦河勝氏の墓と言われています。

聖徳太子のパトロン的な存在で、聖徳太子から仏像(あの国宝彫刻の部第一号の弥勒菩薩半跏思惟像)を賜り、広隆寺を作った人です。

徒然草で有名な、鎌倉時代後期に生きた兼好さんは、この古墳のふもとの長泉寺に住んでいたそうです。

何故兼好さんはここを選んだのか。
秦さんと関係があるのか。
これも調べてみたいです(まだまだ先だな)


さあ、では、レポートスタート~

✴︎12:45✴︎
花園駅再びです!


駅を後にして、てくてくと歩いていきます。
山(古墳)は最初から見えているため、迷いようがありません(よかった)

高速道路かな?
立体道路の手前を右に曲がると、すぐに入口があります。
ここまで所要時間9分。

✴︎12:54✴︎
ここから遊歩道がはじまります。


古墳には複数の登山口がありますが「一の丘」に登りたいので、一番北にある「一の丘」登山口を目指します。


花園駅から近いのは「三の丘」。
わたしは駅から一番遠い「一の丘」に登るのです。

スケジュールを決めた時に調べたサイトには、「古墳まで駅から10分」とあり、そう見積もっておりまして。
それは1番近い三の丘の入り口にたどり着くまでの時間でして。
三の丘から一の丘まで、地図を見てください!
駅から三の丘までの距離より遠いのわかりますか?
つまり、三の丘入口から一の丘入口まで、10分以上かかるってことですよね。
なのにその時間をスケジュールに入れ忘れました(笑)

なので後々、時間が20分ほど押すことになります(多めに見積もっていたつもりなのに( ;∀;))


そもそも時計を見る習慣がないため、20分確実に押すことを気づかないまま、撮影しながら急足で一の丘入り口へ向かう

✴︎13:08✴︎
やっと入り口までたどり着き、ひたすら階段を登ります。
ここで時計を見てびっくり。
予定では、
12:45駅着く
12:55古墳着く
13:05頂上着く
13:10降りはじめる
13:15麓につく
13:35蚕ノ社着く(古墳から歩いて20分)

やばい、もう降り始めるくらいの時間!!
ここが「一の丘入口」

登る、登る、駆け登る。


ロングのフレアースカートをたくし上げ、階段を走って登る(苦笑)


あと少し!

頂上が見えた!


✴︎13:13✴︎
頂上到着!5分で登った(すごい!ぜえぜえ)


頂上っすー

ちなみに登山にかかる時間は10分とあるのですが、駆け上がったため、5分で着き、帰りは3分で降りてきました(もはや天狗)


京都の街をぐるりと見ます。


頂上に上がり、どんなことを感じるのか楽しみにしていました。

古墳だからおどろおどろしい感じがあると思ったのですが、予想していたよりもはるかに抜けていて(気持ちがいいということ)。
少し素朴なエネルギーでした。
そして、根拠はありませんが、ここにいらっしゃるのは、秦河勝さんなんだろうなって思いました。
「この場所から京都を見ていたい。
この町の行く末をずっと生きて見ていたい」
と言う気持ちがすごく強かったからです。

山頂から見える範囲の世界を、そこに生きる人たちを幸せにしたい感情。
「しあわせを祈る」のではなくて、「しあわせにしたい」という感覚。
それはもう、わたしのものではありません。
わたしはもっぱら祈る派ですから(笑)

肉体が滅んでもなお、ここでずっと見守っていたいと願っている。
だからおどろおどろしいものを全く感じませんでした。

河勝さんの事を良く書いているものも、悪く書いているものもあります。
平安京ができる前からこの街を作っていた人たちですし、この地域では最も力がありました。

太秦がうずまさと読む理由として伝わるのは、
「雄略天皇の時代、秦氏の首長の秦酒公(さけのきみ)が絹を織って天皇に献上したが、それがうず高く積まれていたため、「うずまさ」と呼ばれるようになった」
とされ、その字が太い秦なのは、聖徳太子の太子で秦氏だからだ、などと言われています。
秦さんは聖徳太子のパトロン的な人ですから。

葛野地方に移り住んだ秦氏が、5世紀後半に、桂 川の流れをせき止める大きな堰(葛野大堰)を築いたり、大地を開拓していき、京都を作っていた。
神様を祀り、大きな富を持っていた秦氏。
秦氏の力が大きくて、この場所に都を作った朝廷の方々は、様々な策を巡らせ、秦氏の力をそいでいくのですが、それは河勝さんより後の話し。

ここに眠るとされる河勝さんからは、これから何かが始まろうとしている、そんなワクワク感とともに、未来に夢を託しているエネルギーを感じたのです。(妄想)

だから、つい、「この国を、あなたの描いた形にできなくてごめんなさい」と謝りたくなりました。
でも、河勝さんかどうかはわかりませんが(神様みたいなエネルギーだったから)
「紆余曲折したかもしれないが、ちゃんとわたしの夢は叶っているよ」
と言われた気がしました。

だといいのですが(私は何もしておりませんが笑)


そして、うまくいえないのですが、閉じ込められていると言うほどでもないのですが、何かの「結界」的なものがある感じがしました。



結界そのものを壊すことを私はできませんし、意味のあるものなので、壊すのはダメだと思っています。
でも結界をすり抜ける言霊はあるのです。

その古墳に巻きついている、大蛇なのか龍なのか。
閉じ込められているのか、そこにいるだけなのかもわかりませんが、
解放せよと呼びかけ(何から何を?ですが笑)
愛とともに本来のあるべき姿に戻り、自由に生きたいように生きて」
と伝えました。





巻きついているようなものが、するするすると、天に上がっていくイメージがありました。
その姿はまさに昇り竜。
日本昔話のあの龍のように、するするするする上がっていきました。
(はい、妄想です)

すると、その時です。
黒い揚羽蝶が右と左から飛んできて、私の前で交差しました。
わお!
これは、神事の終了のサイン(蝶が舞う)

慌ててシャッターを切ったのですが.うまく映せず。
写真がないので、嘘くさいエピソードみたいになってしまったと思いました(笑)

それから、古墳の上に真っ黒い蜂が3匹いて、丘のちょうど端の上空をぐるぐる回っていたのです。

見張り?
クマンバチ?
あれに刺されたら絶対に何かになると恐怖を感じるほどの大きさで。
私は中学時代に一度スズメバチに刺されたことがあるので、二度と刺されるわけにはいかないのです。

怖いなぁと思っていると、
「刺してはこない」
と誰かが教えてくれました。

確かにブーンと大きな音を立ててぐるぐる回ってはいるけれども、攻撃的な雰囲気はありません。
でも一応安全のため、
「私はこの地に害を成す気がない。だから私に警戒する必要もないからね!」
とわざわざ蜂に伝えました。
頂上からの京都を撮影したいのに、その崖ギリギリの上の部分を、蜂がぐるぐる回っているわけで。
撮影するには、蜂たちの真下に行く必要があったので。
結構ドキドキしましたが、撮影している間、特に攻撃はされず。

ちなみにこの辺の地名は蜂岡といいます。
広隆寺(国宝の弥勒菩薩様がいるお寺)を作ったのも、私が押している秦河勝さんなのですが。
その広隆寺もかつては蜂岡寺と言う名前でした。
丘の上に蜂がいるから蜂岡なんだ!とシンプルに思いました。

頂上からの眺めは最高でした。

実は、今回私が行った、四神相応ですが。
東西南北を青龍、白虎、朱雀、玄武で守る例のアレです(オタクしか知らないこと?)
スメラノミコトがおわします御所をお守りするためのものなのですが。

秦さんは風水にも詳しいようで。
この古墳は、秦さんが暮していた嵯峨野地域の四神の一つとなっています。
しかも、京都御所から見ても四神の一つとなりまして。
結構においますよね(調べたくなるポイント高い)

さらに、私がこの後行く予定の蚕ノ社にある、有名な三つの鳥居が向いている場所のひとつとなっています。

ちなみにその鳥居が向いている場所というのは、
雙ヶ岡山(この古墳)
伏見山(翌日登る山)
松尾山(このあと行く松尾大社がある場所)
です。

実は、最初から伏見山は登る予定でしたが、蚕ノ社と松尾大社は秦氏が作ったとされており(伏見稲荷も秦さんが作った)そのため向かう予定にいれたのです。
つまり、鳥居のことは知らずにこの三つを決めまして。

よって、京都まで来て、なぜこの古墳に登ったのですか?
の答えの一つが、三つの鳥居が向いている山の一つだから。
でも十分なのかなって思います(*^_^*)

空海の思想の一つに、控えめのほうがじつは本物というのがあります。
煌びやかな本殿より、その裏の祠が真の神が降りる場所ということ。

松尾山より伏見山より地味なこの山。
陰陽師は、結界を作る時、水晶などを地面に埋めます。
でも、もっとも強いのは石より人なのです。
だから、陰陽師は亡くなった後、結界を作るため、自らの肉体を結界を強固にするために重要な場所に埋葬することがあります。
そんな色々満載なこの古墳。

陰陽師であることは妄想なので置いておいて。
河勝はこの山を見て、ここで眠りたいと思ったのかな。
この景色を見て、わかる気がしました。
きっと京都と、この国を守りたかったのかな。

私、平安より前の京都の前世の記憶で、どこかの洞窟のようなところに閉じ込められているビジョンがあるのです。
その時、山から景色を見ていました。
飛鳥地方の丘から見ていると思っているのですが、ここなのかもしれない?とちょっとだけ思いました。

それほどまでに景色がよかったです。

ほんとうはこの古墳の残りのふたつの丘も散策したいのですが、場所のエネルギーを感じることで目的を達成とします。

それではまた来ます~

あやしい考察など、後ほどそっと色々追加しますね^ ^



【雙ヶ岡古墳】
古墳時代中期(6世紀後半から7世紀前半)の古墳群で、24基ほどある。
1号墳(一ノ丘古墳)は直径44メートル・高さ8mの円墳で、蛇塚古墳に匹敵する巨石を用いた横穴式石室を有する。
京都盆地北西部にあり、標高は116mである。徒然草の作者である吉田兼好が晩年を過ごした地とされている。

【双ヶ岡】
双ヶ岡とは南北に並ぶ3つの丘の総称であり、北から順に一の丘(標高116メートル)、二の丘(標高102メートル)、三の丘(標高78メートル)と呼ばれる。
国語学者の吉田金彦は藤原京の大和三山と対比させるように、船岡山(北区)、吉田山(左京区)、双ヶ丘を平安京の「葛野三山」と名付けている  

住所:京都府京都市右京区御室双岡町
アクセス:
JR山陰本線(嵯峨野線)「花園駅」から南麓まで徒歩5分
嵐電北野線「御室仁和寺駅」から北麓まで徒歩3分



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