Lovely London

1996年から2000年まで過ごしたロンドンでの出来事を記録したものです。
2014年のパリとロンドン旅行も記載中

オープン・エアー・ミュージアムとモデル・ビレッジ(1997/9/27)

1997-09-27 | レジャー

9月27日(土)、少し肌寒い日だったけど、もうすぐあの暗い季節が近づいていることを思うと、積極的に郊外にでなければという気持ちになってしまう。
くるまやオートでMOTと整備を終えて戻ってきたBMWは、4輪とも違ったメーカのタイヤが着いているが、それはイギリスでは当たり前のことと割り切って、換えたばかりのセルモータに活を入れて車を発進させた。
目指すはオープン・エアー・ミュージアム。M25高速道路の17番(日産販売統括本部がここにある)から車で10分位の所にある。ここは以前、皓介が学校の遠足で遊びに来たことろ。50~100年ぐらい前の、農家や教会、鍛冶屋、納屋などが広い敷地内に点在している。30年ぐらい前の洗濯機があったり、昔の台所、お風呂場など当時の田舎の生活を伺い知ることができる。
でも、懐かしさを感じないのはやはりここがイギリスだからか。岐阜、白川郷の茅葺き屋根の家とは対照的である。
ハムサンド、チーズサンドの食事をしたりして2時間ぐらいでここを出て、次に寄ったのは、モデル・ビレッジ。先のミュージアムもそうだがこのモデルビレッジも地球の歩き方などのガイドブックを見て探した訳ではなく、道路地図帳に載っている観光ポイントマークから探し出したものだ。だから、いったいどのような所なのかは、開けてからのお楽しみだった。
モデル・ビレッジは、イギリスで最初にできたミニチュアの建物を集めた公園だ。開設は1904年(だったかな)というからすごい。またその時からの総入場者数を掲示してあり、2億数千人だったかな?
公園の中はミニチュアの家・家・家。いろんな家があるけれどどれもがイギリス風の家ばっかり。春に行ったレゴランドと違って全世界の珍しい建物を展示しているわけでも、それがレゴで出来ている訳でもないのが今一つ面白味に欠ける。でも子供は公園全体に走り回る何台ものミニチュアの模型列車を見て喜んでいた。これだけミニチュア建物を眺めていると、自分はガリバーかウルトラマンにでもなった気持ちになってきた。

オープン・エアー・ミュージアム

モデル・ビレッジ

 

秋晴れのHEVER城(1997/9/21)

1997-09-21 | レジャー

9月21日、今日は朝からとてもいい天気だったので、皓介の宿題騒ぎや加奈子のウンチ騒ぎなどいろいろあった午前中を後に、11時頃家を出た。
A40からM25に入り、ひたすら東へ目指すはHEVER城。NO6のジャンクションを出て、細く曲がりくねった道を30分走って、やっと着いたのは12時半頃。
大人2人と子供1人分で£16.3(約3300円結構高い)の入場料を払って園内へ。
すぐに昼食。ここでテーブルが急に下がってコーヒーをこぼすというヘマをやってしまった。
HEVER城は2重にアン・ブーリンが子供時代を過ごした所で、米国の億万長者のアスター氏によって修復され、2重の堀でかこまれた13世紀の城とチューダー調の村が残っている。
城の中は展示室になっていて、寝室や舞踏会場などがあり、着飾った人間が所々にいて、雰囲気を盛り上げてくれる。残念ながら、撮影禁止なので中での写真はない。

城から外に出ると、遠く澄んだ秋の青空が眩しい。ススキはないが、少し赤くなり始めた落葉樹やうろこ雲が秋を感じさせてくれる。一点日本の秋と趣を異にするのは、英国は芝生があくまでも緑色で若々しいことだ。これは、冬になっても同じ。英国の芝生は枯れることはないのだろうか?

なぜかこのHERVER城にも樹木でできた迷路があった。そういえばリーズ城にももっと大掛かりな迷路があった。城と迷路との関係とは何かあるのだろうか?さらにここにはWater Mazeなるものがあった。コンクリート道路を噴水で遮断して迷路を作っているのだ。水だから物理的に通れない壁ではない。濡れることを覚悟すれば、迷路ではなくなる。実際、びしょ濡れの子供がいた。電車の中で皆がクロスワードに夢中になると同じで英国はきっと迷路が好きな人種なのかもしれない。

迷路の次は、巨大なイタリア庭園。計算されたように壺やローマ調の柱が並んで、とてもきれいだ。バラ園やダリア園も見逃せない。これをみると、英国人のガーデニングに賭けている情熱のようなものを感じられるにはいられない。それもそのはず、この庭園は1995年に賞を貰ったそうな。
その先にあるカモや白鳥がいる大きな湖もすばらしいし、横に隣接された牧場も芝生の緑が素晴らしい。2年前に訪れた初秋の奥日光の池と牧場を思い出してしまった。

入場料は高かったが、是非もう一度ゆっくりと訪れたい所であると思った。

4時に城を後にして、先日日本で倒産が話題になったヤオハンに直行した。

 

園内でとった加奈子ショット!


YORK一泊旅行(1997/9/13)

1997-09-13 | 旅行

YORKまでの道のりは遠かった。朝7時出発の予定が遅れて8時過ぎになったとはいえ、3時間延々とM1高速を時速90Mile(約165Km)で飛ばしてもなかなか着かない。11時過ぎに子供たちの要望でSAでお昼を取ることになった。
高速を降り、一般道を30分ぐらい走ってやっとYorkについたのは12時半。だが、街の中に入るのに今度は渋滞。これはとても街を観光して今日中に家に帰るのは無理と判断した僕は、Family向けB&Bを紹介した本で事前にチェックしておいた、Family RoomがあるYorkのPark Courtホテルに電話し予約した。今すぐにチェックインして欲しいとのことだったが、場所が皆目分からない。住所は分かるが、詳細な地図がない。そこから歩いて5分のCentral Centerを探しに車で渋滞の道をうろうろと廻ったが、初めての土地なので、現在地を把握できない。30程うろついたあげく、Information Centerに駆け込み場所を調べた。そこには通り名の場所だけでホテルの位置までは確認することはできなかった。やっとホテルにたどりつけたのが1時半だった。

「 YORKは、紀元71年にローマ人により創建された。ローマ軍の本部が置かれ、皇帝の宮殿もあった町。後にヴァイキングに占領されたが、ノルマンコンケスト後、急速に発展し、ロンドンに次ぐ第二の都市、そして、宗教の北の中心地となった。 YORKの町を歩いているとイギリスの歴史に出会う。町を取り囲む城壁は、ローマ時代に基礎が置かれ、中世に築かれたもの。高くそびえたつミンスターは、250年の歳月を費やしてつくられたイギリス最大の中世建築で、その間のいろいろな建築様式が取り入れられている。
 木骨造りの家にはさまれた路地は、ほとんど完璧な形で現在に至り、ローマ時代や中世の雰囲気が満ちている。ヴァイキングは建築物こそ残していないが、彼らが通りのことを“gate”と呼んだ習慣などは今も生きている。また、華やかな赤煉瓦の建物はビクトリア時代のもの。
 一つの町の中に、異なる文化がごく自然に生きながらえ、かつ共存されている、YORKがイギリスの歴史のミニチュアを言われるゆえんだ」 地球の歩き方より

その日は、クラフトフェアーを覗いたり、かわいいスタンプ店に行ったり、ケーキが美味しいカフェで濃厚な蜂蜜入りのミルクを飲んだり、ぐるぐると町の中を散策して歩いた。町のあちこちで見かけるのは、「夜8時からゴーストツアーに参加しませんか」の看板で、このYORKの名物の様だ。
 次の日は、9:00にチェックアウトしてまず前の日乗れなかったバスツアーの代わりに車で人気の少ない(侵入禁止が解除されている)町中を徘徊した。駐車し、次にバイキング博物館に入った。子供はバイキングの服を着、手には剣と盾を持って、自動操縦の車にのり、バイキングの村にタイムスリップ。凄いと思ったのは、建物などの風景と音に加え、魚の焼いたにおいや、家畜の臭いまでを再現?させていることで、これには感動してしまった。
ミンスターを見学しようとが、ちょうど日曜日のミサの最中で、入って教会の最下列に並んで皆と一緒に牧師の話を数分聞いた。外に出て、5人でほっぺがリンゴ色の陽気なおじさんが運転する馬車で、町を一周した後で、軽くお茶を飲み、1時頃YORKの町を後にした。

途中で電池切れになり、撮影継続不能になってしまった。

 


再び車上狙いにやられる!(1997/9/7)

1997-09-07 | 事件

9月7日(日)、今日は昼からの会社主催のテムズ川ボート下りに参加するためにKINSTONにあるBentall Center Car Parkに、11時30分頃に駐車した。
午後4時頃、川下りを楽しんで車に戻ってみると、なんとカーステレオが消えて去っている! 空になったステレオのBOXからは無惨にも配線がむき出しになっている。ガラスが割られていないのにどうやって盗んで行ったのかと思ったら、運転席の鍵の回りが悲惨なくらいめくられているではないか。
2度目とはいえ、ショックにしばし呆然と駐車場に立ち竦んでしまう。
気を取り直して、携帯電話で999してみると、Police Stationに来いとのこと。その場所を尋ねに駐車場出口の係員に聞いたとこと、「何があったのか?」と聞かれ事情聴取。「駐車場の責任で修理費を払ってくれるのか?」と聞いたら、「それはできない。警察に聞かれた時に連絡してもらえれば説明に応じるよ」と。Police Stationは自宅近くの所で良いという話だったので、とりあえず自宅に戻る。半分気が動転していて、帰り道をどうやって帰ってきたのかあまり覚えがない。

今年2月初めに家の前で盗まれて、5月下旬にやっと付けてもらったPioneerの最高級?のカーステレオがわずか3ヶ月使用でさよならしてしまうとは。
フロントパネルを外さなかったことと、誤動作が多いのでアラームを切っていたことと、運転席のドアが柱の陰になる所に駐車してしまったことが、運悪く重なってしまったことが原因なのか?
9月27日で任意保険が更新されるのに、これでは次年度の保険料が上がってしまう。
泥棒に対する怒りよりも、この運の悪さに自分自身を嘆いてしまう。しばらくブルーな日が続くだろう。

 


テムズ川ボート下り(1997/9/7)

1997-09-07 | レジャー

9月7日(日)、Richmond公園にほど近いKingstonにおいて開催される、会社主催のテムズ川ボート下りに、社員の多くが家族連れ・恋人連れで集まり、黒川家も3人の子供を抱えて参加しました。
午前中は曇りでちょっと肌寒い天気でしたが、午後には後に晴れというまずまずの天気でした。ボートといっても写真にあるような、結構大きい外輪船(見かけだけ)です。2階建てになっており、上の階は飲み放題のバーとホールがあり、下の階には食事ができるようにテーブルと椅子が用意さえています。
上流に50分ほど行き、Uターンし出発地点からさらに1時間ほど下流に向かってUターンし、元の出発地点に戻る約4時間の船の旅です。