Barney Frank(1940年3月31日生まれ)のことを知ったのは、多分YouTubeでだったと思う。おそらくはゲイ関連のビデオを見ていて、ということで、それも一年より以前のことではない。その辺りの記憶が曖昧になっているのだけれども、いずれにしてもカミングアウトしている政治家の彼が、同性婚をしたということを、知ったという訳なのである。アメリカ下院議会議員が、である。当然のことながら日本などでは考えられない、そうした事実を知るにつけ、天と地ほどにも違う国の間の内情を改めて感じることになるのだけれども、最初に印象に残ったことのひとつにBarneyという彼の名がある。cartoonのキャラクターにありそうな、ちょっと並の名前のイメージとは異なる、なにか名前のみで親しみを感じような名、という印象。
それから、いわば白人的なユダヤ系ではなくて、中東的な肌色の感じというのか、人種性というのか、そうしたタイプのユダヤ系であること。というのも、私が昔愛し、今も心の中に残りつづけているAarnoldも同じようなタイプであったことから、似た部分を感じたということがある。Arnoldの、離婚したイタリア系の妻との間の二人の息子は、全くの白人タイプの外見であったのだけれども、最初に会った時のArnoldの印象は、浅い褐色系のエネルギッシュなラテン系といったところで、ユダヤ系ということは浮かばなかった。そうしたアングロサクソンやゲルマン的白人ではないゆえにまた魅力を感じたということもある。私が、24歳。彼が、43歳の時。夜のスナックでの出会い。因みにBarney Frankの祖父母は、ロシア、ポーランドからの移民。
Barneyは、ハーバードを卒業する前に父親を亡くしている。その後、ハーバーードのロースクールで学ぶと共に政治的な活動に入っていて、1972年にはマサチューセッツ州議会議員当選。1974年から2年間ほどアメリカンフットボールのチーム、New England Patriotsのオーナーの娘Catherine Sullivan、当時同じBoston school committeeのメンバーだった彼女と交際。だが結局のところ、自身がgayであることの自覚からその交際も終えることとなり、彼女が女性とのデート相手の最後となって、以降は女性とは一切なし、ということに。1981年には、アメリカ下院の選挙にマサチューセッツ州選出で当選。以降2013年までの議員生活となった。
1987年5月30日にカミングアウト。その月の5月7日に、親しい関係にあったコネチカット州選出の共和党議員、Stewart Mckinney(1931-1987)が亡くなっている。バイセクシュアルだったMckinneyの死因はエイズによるものであったのだが、医師は、その原因として1979年の心臓手術の時の輸血のさいに、血液からの感染した可能性の強いことを指摘した。議員という彼の立場を考慮して、同性との性行為によるエイズ感染によるものとすることは、できなかったということなのだろう。多くのgayたちが感染していた当時の状況からして、Barneyが怖れを感じなかったはずはないし、親しい友人のエイズによる死が彼の気持に大きな変化を与える一因になったことは、間違いのないことなのだろう。その直後にカミングアウトしているということは。
Barneyの選択。エイズに感染する可能性、感染した場合に同性との性関係、gayであることが知られること。それよりもgayであることをカミングアウトしておくことで、そうした不安を消してしまう。どうするかということで、優秀なエリートは考えたことと思う。その後、彼はエコノミストにしてLGBTの活動家であるHerb Mosesと1998年の7月まで、11年つづく関係を持っている。当時二人の取り合わせに、議会周辺では最強のゲイカップルと噂されていたのだとか。その後に、2012年7月7日に結婚をすることになるJames Readyと知り合っているわけである。サーフィン特技の彼とは、gayの政治基金調達のためのパーティで出会っている。
年齢的には、Daddyと息子、という感じになるのだろうけれども、長いパートナー関係の後で結婚という形まで行ったということだから、様子からしても相性が良さそうに思える。Daddy Barneyがいつまでも元気でいてくれたらね。
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