泥から咲いた蓮の花

現在、リハビリ中なブログです。長い目で見守ってくだせ~

リラックス

2007-01-31 19:45:25 | どろな話
あなたの息抜きの方法は?

睡眠以外で私のリラックスの方法は、

犬と森の中を散歩
午後の明るい日差しで読書
明るいうちからお風呂

「体を休める」だけではなく、閉塞感を拭う、思考を鎮めるというメンタルな部分にフォーカスしている。30タ代半ばまでは、休日ともなれば都市の喧噪の中に足を運び、友人たちと一杯酌み交わしたりしたものだが、その割合はぐっと減り、むしろ静かに過ごすことが多い。もちろん、今でも気のおけない仲間と宴席を共にして、よもや話に華を咲かせるのは大好きだ。ただ、ストレスに対する視点はこの数年、劇的に変化した。

ストレスは外からやってこない

ストレスとは考え方の一つ。私の中で起こっている。期待と現実とのギャップをどう受け取るか。期待とは自分の中にあり、それを理解すればコントロールは可能だ。ただ、現実(外のこと)はコントロールはほとんどきかない。たとえ親子、夫婦といえでも、相手を操作することはできない。相手を操作するのは、相手自身なのだ。

自分の期待を理解して制御管理するか。外に焦点をあてて、さらに期待をかけて操作しようとするか。どちらを選ぶか。それは自由なのだ。選んだ結果は自分が背負う。

自分の中にあるさまざまな信念が期待をつくる。「部下ならば上司の命令に従うべきだ」「妻ならば夫に従うべきだ」「夫ならば家族を養う収入があって当然だ」「彼氏ならば彼女を理解し支えなければならない」こういうのもすべて信念の一つ。さらに「それは正しいこと」などと付け加えれば、さらに信念は強化され、期待も大きく強くなっていく。

期待が大きいということは、自分を縛り付ける信念が強いということだ。「期待するな」とは思わない。自分の期待は信念の産物だと理解した上で期待したほうが、期待はずれというストレスが発生したとき、解決は素早い。そして、現実を恨めしく、腹立たしく、眺めることは薄れていく。私は私、人は人なのだ。



「己を習う」それが私の息抜き。

手放せないもの

2007-01-24 15:55:57 | どろな話
あなたの手放せないものはなんですか?

との質問に、即座に思いつくのは、

心身。

この世に誕生した時に持っていなかったものは、たぶんすべて手放せるものだと思う。「手放せない」とは「手放すのが恐い」「手放すと恐ろしいことになる」と信じることだね。だからといって、何もかも手放す必要は何もないし、何をどう信じて、何を手放し何を手放さないかは自由だ。自分の体や心はずっとついてまわる。こればっかりは「手放す」というコントロールはきかない。だからこそ大切に大切に…

負けるが勝ちだと思うけど…

2007-01-23 14:25:36 | どろな話
10代できれいになるより
 今きれいになった方が
  ライバルはきっと少ない


萬田久子演じるHABAのテレビCM。老いゆくことを悲観して、あきらめの暗澹に住するよりも、今を輝かそう!ってことですね。いいじゃありませんか。みんなきれいになれ~

でも…ライバルってことは、キレイはやっぱり競い合いなのか。比べるのはつらいよね。どうせ上には上がいるだろうし。

きれいになると何が手にはいるのかな?

気ままに

2007-01-22 23:37:15 | どろな話
これだけは愚痴りたい。

ってことがあります。某テレビ番組の納豆にまつわるねつ造事件。番組放映後、食料品店から納豆の姿が消えた。納豆を常備食としている私にとっては、

げーろー!!!!

だった。「しばらくあきらめよう。きっとみんな飽きるだろう。それまで、しばしのお別れだ」と悲観的な覚悟をした。まるで、恋人にふられた気分だった。幸いにもブームは一瞬、さらに番組で流された情報はまったく信頼できるものではないことが判明し、無事、納豆が手にはいるようになった。ああ、ありがたい。

テレビ局さん。あるいはその他あらゆるメディア関連の皆さまにお願いです。納豆とかワカメとか海苔とかネギとかほうれん草とかトマトとか、

私の常備食に関わらないでください

どうかほっといてくださいますように。○○を食べると願いが叶うとか、××を食べると成功するとか、△△を食べると白馬に乗った王子さまに出会えるとか、健康になるとか、痩せるとか、かゆいところに手が届くとか、悩みが解決するとか、そんな目的の食べ物はこの宇宙にはありませんぜ。

さて、愚痴ったところで、気分爽快、本題だす。



『内なる島 ―ワタリガラスの贈りもの―』
リチャード・ネルソン著 写真:星野道夫 星川淳訳


私の枕元にいつも置いてある書籍のうちの一つ。手に取って3年くらいになる。大好きな写真家、故・星野道夫とのつながりで出会った。ちなみに、未だ読了していない。たぶん、読了はないのだ。好きに開いたページを好きなだけ読んでいる。何度も読んだ箇所もあれば、一度も目を通していないページもきっとある。私にとってそんな「一緒にいたい」本がいくつかある。

 人づき合いへの欲求は、往々にして自然の中で独りきりになる
 機会を見送らせるほど強い。だがそれを続けていると、最後には
 バランスを崩して仕事や私事に心を掻き乱され、<島>にどっぷり
 浸からなければ心が晴れなくなるのだ。手つかずの自然から帰って
 くるときは生まれ変わったような気分になる。


よくわかる。私の仕事は人との出会いに始まり、人との出会いに終わる。それは素晴らしいことだ。だからこそ、このリチャード・ネルソンの言葉はありがたい。最近のお楽しみは、愛犬クロと一緒に裏山にこもること。手つかずの自然とはいえないけれども、誰もいない山道をクロと歩く時間は、生活に安定したバランスをもたらしてくれる。



独りではなく、クロと歩くこともまた、自然とのつながりを取り戻そうとすることの大きなきっかけになっているのだ。生き物が好きで、鳥を飼い、犬や猫、カメやカエルや金魚と一緒にいるのは、己の自然回帰を満たそうとすることの表れだ。

 ゲシュタルトの祈り

 私は私のために生きる。あなたはあなたのために生きる。
 私は何もあなたの期待に応えるために、この世に生きているわけじゃない。
 そして、あなたも私の期待に応えるために、この世にいるわけじゃない。
 私は私。あなたはあなた。
 でも、偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なことだ。
 たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。

ステキな言葉だ。まあ、ここまで綺麗に言葉を羅列せんでもすみます。自然の中に、大地の中に、宇宙の中に、自分を預ければいいさ。

おまかせしよっと

巣鴨地蔵通商店街

2007-01-22 17:54:31 | どろな話
日曜日。念願かない、「お年寄りの原宿」と呼ばれる巣鴨地蔵通り商店街をたずねることができました。



いまや立派な観光名所。休日ともなれば、各地より観光バスで人が押し寄せます。まあ、どうってことない商店街なんですけどもねぇ。お年寄り向けの衣料品を安く提供するお店がたくさんありました。

とはいえ、集まり人々のみんながみんなお年寄りってわけでもない。若い人もけっこう来ていました。商店街を歩いた感想は、人々の動きがゆったりとしていて、混み合っていても、すれ違いで肩をぶつけ合うようなことがないところがお楽。ただ、食事をする場所が極端に少ないですな。ご飯を食べにでかけるところではありません。とりあえず、ちりめんグッズのお店「巣鴨ちりめん布遊舎」で



こんなおみやげをゲット。娘に差し出すと、

いらない

の一言で片付けられる。ぐぬぬ。というわけで私の部屋に飾られることになりました。

イメージ

2007-01-17 10:15:04 | どろな話
mixiに入れ込んで、こちらはすっかり放置でありました。祝再開であります。

昨晩、知己の人数人と新年会と称し、新宿の居酒屋で会合。最近、思うんですよ。私はお酒飲んでも飲まなくても、言うことやることが変わらない。だったら、飲まなくても同じではないか。飲まなければ車で行けるじゃん。というわけで、車で居酒屋行きました。帰りに渋谷でしっかり検問にひっかりましたが、スルーです。

その席で、自分が言った言葉に「なるほどそうだな」と改めて実感したことがありました。自分で自分の言葉に感心しているのもなんだけども、たまにそんなことがあります。

 私があなたに対して持っている価値判断、印象、気持ちは
 あなたそのものではなく、私の脳内に勝手に描いたあなたと
 いうイメージに対して感じているのであって、そのイメージと
 あなたそのものが同一だとは限らない。むしろ同一ではない。
 実際のあなたと、私がもつあなたのイメージが乖離していれば
 いるほど、軋轢が生じる


おお、いいこと言うじゃん、俺様! 誰かを好きになったり嫌いになったりするのは、その誰かそのものに感じているのではなく、自分の心の中に思い描いたイメージに対して感じているってことです。イメージは視覚聴覚嗅覚触覚といった感覚から入ってきた情報をもとに、脳内で創り上げた解釈のこと。この脳内解釈は、ぶっちゃけて言えば、

期待と思いこみ

でできあがっているというわけですね。で、その期待と思いこみを作ってるのは、なになに、自分自身なわけですねぇ。人間関係の屈折したトラブルって、この「期待と思いこみ」を自由に変えることで、予防したり解決できたりするんじゃないのかなぁ。

コミュニケーションスキルにアサーティブトレーニングというものがある。誠実・率直・対等・自己責任を基軸にしたコミュニケーションを、夫婦で学んだ。その講師の方からこんな言葉を聞く。「奥さまはほんとに一生懸命で、そこがとてもかわいい人ですね。私が言うのもなんですけど」と。

へぇぇぇ!

犬が騒ぐと、私に「うるさい!」と八つ当たりする人ですけどね…(犬に言ってほしい…)。このように、受け手によって違うということは、イメージは受け手が作っているにほかならない。どんなイメージを作り、どんな言動をするかは、受け手の責任ではないか。これが自己責任。ゲ~ロゲロゲロ…今年の目標を思いついたであります…

イメージをもっと自由にしよう!