泥から咲いた蓮の花

現在、リハビリ中なブログです。長い目で見守ってくだせ~

気ままに

2007-01-22 23:37:15 | どろな話
これだけは愚痴りたい。

ってことがあります。某テレビ番組の納豆にまつわるねつ造事件。番組放映後、食料品店から納豆の姿が消えた。納豆を常備食としている私にとっては、

げーろー!!!!

だった。「しばらくあきらめよう。きっとみんな飽きるだろう。それまで、しばしのお別れだ」と悲観的な覚悟をした。まるで、恋人にふられた気分だった。幸いにもブームは一瞬、さらに番組で流された情報はまったく信頼できるものではないことが判明し、無事、納豆が手にはいるようになった。ああ、ありがたい。

テレビ局さん。あるいはその他あらゆるメディア関連の皆さまにお願いです。納豆とかワカメとか海苔とかネギとかほうれん草とかトマトとか、

私の常備食に関わらないでください

どうかほっといてくださいますように。○○を食べると願いが叶うとか、××を食べると成功するとか、△△を食べると白馬に乗った王子さまに出会えるとか、健康になるとか、痩せるとか、かゆいところに手が届くとか、悩みが解決するとか、そんな目的の食べ物はこの宇宙にはありませんぜ。

さて、愚痴ったところで、気分爽快、本題だす。



『内なる島 ―ワタリガラスの贈りもの―』
リチャード・ネルソン著 写真:星野道夫 星川淳訳


私の枕元にいつも置いてある書籍のうちの一つ。手に取って3年くらいになる。大好きな写真家、故・星野道夫とのつながりで出会った。ちなみに、未だ読了していない。たぶん、読了はないのだ。好きに開いたページを好きなだけ読んでいる。何度も読んだ箇所もあれば、一度も目を通していないページもきっとある。私にとってそんな「一緒にいたい」本がいくつかある。

 人づき合いへの欲求は、往々にして自然の中で独りきりになる
 機会を見送らせるほど強い。だがそれを続けていると、最後には
 バランスを崩して仕事や私事に心を掻き乱され、<島>にどっぷり
 浸からなければ心が晴れなくなるのだ。手つかずの自然から帰って
 くるときは生まれ変わったような気分になる。


よくわかる。私の仕事は人との出会いに始まり、人との出会いに終わる。それは素晴らしいことだ。だからこそ、このリチャード・ネルソンの言葉はありがたい。最近のお楽しみは、愛犬クロと一緒に裏山にこもること。手つかずの自然とはいえないけれども、誰もいない山道をクロと歩く時間は、生活に安定したバランスをもたらしてくれる。



独りではなく、クロと歩くこともまた、自然とのつながりを取り戻そうとすることの大きなきっかけになっているのだ。生き物が好きで、鳥を飼い、犬や猫、カメやカエルや金魚と一緒にいるのは、己の自然回帰を満たそうとすることの表れだ。

 ゲシュタルトの祈り

 私は私のために生きる。あなたはあなたのために生きる。
 私は何もあなたの期待に応えるために、この世に生きているわけじゃない。
 そして、あなたも私の期待に応えるために、この世にいるわけじゃない。
 私は私。あなたはあなた。
 でも、偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なことだ。
 たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。

ステキな言葉だ。まあ、ここまで綺麗に言葉を羅列せんでもすみます。自然の中に、大地の中に、宇宙の中に、自分を預ければいいさ。

おまかせしよっと

巣鴨地蔵通商店街

2007-01-22 17:54:31 | どろな話
日曜日。念願かない、「お年寄りの原宿」と呼ばれる巣鴨地蔵通り商店街をたずねることができました。



いまや立派な観光名所。休日ともなれば、各地より観光バスで人が押し寄せます。まあ、どうってことない商店街なんですけどもねぇ。お年寄り向けの衣料品を安く提供するお店がたくさんありました。

とはいえ、集まり人々のみんながみんなお年寄りってわけでもない。若い人もけっこう来ていました。商店街を歩いた感想は、人々の動きがゆったりとしていて、混み合っていても、すれ違いで肩をぶつけ合うようなことがないところがお楽。ただ、食事をする場所が極端に少ないですな。ご飯を食べにでかけるところではありません。とりあえず、ちりめんグッズのお店「巣鴨ちりめん布遊舎」で



こんなおみやげをゲット。娘に差し出すと、

いらない

の一言で片付けられる。ぐぬぬ。というわけで私の部屋に飾られることになりました。