泥から咲いた蓮の花

現在、リハビリ中なブログです。長い目で見守ってくだせ~

つらつらつらつら

2005-06-15 23:09:04 | どろな話
小学校3年の娘がいじめにあいはじめる。学校に行くのをぐずるようになる。そしてついには泣いて登校を拒否するようになった。たずねてみると、同じクラスの男の子にいじめられるらしい。「ばーかばーか」となじられ、蹴られ続けるらしい。実際にそれが運動会の時に目撃されている。日々のことだと娘は泣きながら話す。それでも頑張って学校に行く。

担任にそのことを通達する。すでに担任は知っていた。ここで疑問に思う。知っていたならば、なぜに保護者に相談をしないのか。そして事態の収拾に向かうなり、その経過を報告するなりしないのか。まあ、学校の責任ばかりを問うのは能がないし、今回の件で相手の親とも話がしたいので電話をかけたが、共働きの家で昼は留守だった。そのことについても、学校はこう言う。「相手側に連絡をいれないでほしい。学校に相談してほしい」と。どうも、聞けばその家の事情が複雑で、親が感情的で話ができる状態ではないとのこと。ことなかれ…の匂いがぷんぷんする。

そんなこたあどうでもいいんだよ。そちらの親が話ができるかできないかは学校サイドの考え方と都合であって、こちらは気持ちを伝えて、できる提案をするまでだ。なに?去年もそこの家の父親が学校にどなりこんできた? ふぅん、私と同じじゃありませんか。誰だって我が子はかわいい。いじめを継続してしまうのは、他の子をおとしめて自尊心を回復しようとするサインであり、それを課題として親に気づいてほしいのだ。もちろん、いじめという行為は未然に防ぎたいし、起きてしまったら、万全をつくして撲滅に向かいたい。だが、根っこの課題はいじめられる子と同じなのだ。

同じ町内の子供は自分の子供だと思いたい。その子が悪いのではない。いじめという行為が問題なのだ。地域の力でどうにかしたいという意向を、なぜに学校は阻止しようとする? それはわかる。トラブルを防ぎたいってことだろう。なんせ、事があると校長室に乗り込んでしまう私は、学校にとっては要注意人物らしいのだ。そんなの当然だ!

学校を終えた後、小雨の中、娘とまたカエルを池に返しにいった。池の上に大きく張り出した紅葉の枝に、泡状になったモリアオガエルの卵がたくさんついていた。池の周りには、5mmほどの黒いカエルがたくさんいた。よく見ないと気づかずに踏みつけてしまう。そっとそっとカエルたちを踏まないように、池にカエルを戻した。

「もう行くぞ~」
「もうちょっとカエルを見たいんだよ~」

「なんで濡れるんだよー服が濡れちゃったよー」
「そりゃ雨が降っているからだよ。でもすぐに乾くさ」

こんな会話を娘と交わせるのは、きっとあとわずかだ。だから大切に。だから真剣に。

中一の息子のことをあまり書かないが、話題はたくさんあるっちゃある。今日は学力テストだった。昨日、学校から帰るなり、いつもゲーム機に向かうはずが、机に向かっている。朝も早くから起きて机に向かって勉強していた。それまでは何もしなかったくせに、まさに波打ち際の攻防だな…

学校から帰ってきた息子に「今日はテストだったんだろ?どうよ」とたずねてみる。

ん~ふつー でも英語ができなかった

中一から習い始める英語。それが及ばないってことは、まったく勉強してねえってことだね。なんせ応用なんてきかない、習ったものがそのまま出るだけだもんな…息子に「モリアオガエルの卵を見にいくかえ?」と誘ったら「あ~あ~やっぱいかない」とよ。こないだ「ルーブル美術館にリベンジしにいくかね」と話していたら「行ってもいいけど、めんどくさいな」だとよ。そりゃ面倒だよ。だが、モリアオガエルを観に行くこと、中一の英語を学習することより、ルーブル美術館に行く方がはるかに過酷だと思うけどね。

ミントティー

2005-06-05 10:46:45 | どろな話
スペアミントが元気に育っている。先日、半分くらい刈り取り、若い柔らかい葉だけをもんで、乾燥させておいた。それをダージリンのモンスーンフラッシュの葉にまぜてミントティーにしてみる。鼻づまりにいいかもしれない。

今朝、鳥かごを覗いたら、十姉妹の「すず」がお亡くなりになっていた。水浴び用の容器のなかで息絶えてていた。早朝だったので、娘には伝えずに埋葬しておいた。すずの死を知った娘は、埋葬した場所に小石で墓碑を作る。

「なんで?」「どうして?」「寿命って?」

納得いく答は、生き抜く中で見つけてほしい。すずが死んだのは、病気だとしても、老衰だとしても、それはきっかけで、理由ではない。命の営みの一つ。どう受け取るかは、君がいいように見つければいい。合掌。

猫その他

2005-06-03 20:22:32 | どろな話


黒いので、わかりやすく写すには難しい被写体。いつも私の枕元で寝るので、たまたま携帯を枕元に持ってきていたので逆光で撮ってみた。3年前、ネットのお友達からいただいてきた。当時、手乗りの小さい子猫だったのが、でかい生き物に育ってしまった。他人にはなつかない臆病者の雄猫「かんだ」。これよりも少し若いアメショ雄猫「るーく」。さらに少し若い白黒雑種雄猫「ぷーけ」。イモリの「ケイン」。十姉妹の「すず&すずお」。カタツムリの「かた丸」、アメリカツノガエルの「アメリカさん」、他にも熱帯魚やおたまじゃくしの大群、カマキリ、テントウムシ、ゾウムシ、ダンゴムシ。

世話が大変ですよ

ぶらぶら散歩

2005-06-03 19:54:55 | どろな話

天気がよかったので昼ご飯は単車に乗ってラーメン屋さんへ。ただ行くだけじゃ面白みもないので、ちょいと遠回り。この風景をぼーっと眺めている間、初老の夫婦と、初老の男性からから話しかけられる。先月、ふと「自分はいったいどれくらい初対面の人とコミュニケーションをしていか」が気になり、意識して数えるようにしてみた。「月に30人、初対面の人と話せるだろうか」と思っていたが、数えてみると、一週間で30人以上と話していることに気づく。不思議なことに、そんなことを意識し始めたら、今までは話しかけなかったことも、きっかけをつかんだら率先して言葉を出している自分がいた。例えば「いい天気で気持ちいいですねぇ」といったたわいのないものでいい、感じたこと、素朴な疑問を目の前の人に投げかけてみる。そんなことをしていたら、人から話しかけられることも多くなった。何が変わったのか、たぶん雰囲気が変わったのだろう。今まで違うことをすると、世界が変わる。自分が変われば周りも変わる。自分と世界はつながっている。