泥から咲いた蓮の花

現在、リハビリ中なブログです。長い目で見守ってくだせ~

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2007-01-17 10:15:04 | どろな話
mixiに入れ込んで、こちらはすっかり放置でありました。祝再開であります。

昨晩、知己の人数人と新年会と称し、新宿の居酒屋で会合。最近、思うんですよ。私はお酒飲んでも飲まなくても、言うことやることが変わらない。だったら、飲まなくても同じではないか。飲まなければ車で行けるじゃん。というわけで、車で居酒屋行きました。帰りに渋谷でしっかり検問にひっかりましたが、スルーです。

その席で、自分が言った言葉に「なるほどそうだな」と改めて実感したことがありました。自分で自分の言葉に感心しているのもなんだけども、たまにそんなことがあります。

 私があなたに対して持っている価値判断、印象、気持ちは
 あなたそのものではなく、私の脳内に勝手に描いたあなたと
 いうイメージに対して感じているのであって、そのイメージと
 あなたそのものが同一だとは限らない。むしろ同一ではない。
 実際のあなたと、私がもつあなたのイメージが乖離していれば
 いるほど、軋轢が生じる


おお、いいこと言うじゃん、俺様! 誰かを好きになったり嫌いになったりするのは、その誰かそのものに感じているのではなく、自分の心の中に思い描いたイメージに対して感じているってことです。イメージは視覚聴覚嗅覚触覚といった感覚から入ってきた情報をもとに、脳内で創り上げた解釈のこと。この脳内解釈は、ぶっちゃけて言えば、

期待と思いこみ

でできあがっているというわけですね。で、その期待と思いこみを作ってるのは、なになに、自分自身なわけですねぇ。人間関係の屈折したトラブルって、この「期待と思いこみ」を自由に変えることで、予防したり解決できたりするんじゃないのかなぁ。

コミュニケーションスキルにアサーティブトレーニングというものがある。誠実・率直・対等・自己責任を基軸にしたコミュニケーションを、夫婦で学んだ。その講師の方からこんな言葉を聞く。「奥さまはほんとに一生懸命で、そこがとてもかわいい人ですね。私が言うのもなんですけど」と。

へぇぇぇ!

犬が騒ぐと、私に「うるさい!」と八つ当たりする人ですけどね…(犬に言ってほしい…)。このように、受け手によって違うということは、イメージは受け手が作っているにほかならない。どんなイメージを作り、どんな言動をするかは、受け手の責任ではないか。これが自己責任。ゲ~ロゲロゲロ…今年の目標を思いついたであります…

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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
発見すますた (take太郎)
2007-01-18 21:00:00
どろちゃん

発見すますた。

えへへへ
返信する
発見 2 (安穏(あのん))
2007-01-21 21:19:29
ご無沙汰しています。
お元気そうで 何より♪
   丹波の山奥より
返信する
発見されました (どろ)
2007-01-22 20:11:00
ブログもちらほら再開いたしましたぜ~
返信する

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