ゆうべはおとなしかったねずみさん。
どこの部屋にも気配がなかった。
だいたい、夜になるとどっかでこそこそいってるのに。
で、うちの家はあきらめてくれたかなあ、と思ったら、
きょうは2階のどっかからカリカリなにかをかじってるような音がする。
そのへんには食べものないんだけどなあ。
ねずみホイホイはきょうもお留守です。
来年の干支。
さすがにリアルなイラストをのせる気にはならなかったけど、
まだ本気で憎む気にはなれない。
うちにいたインコと同じくらいのサイズだし、
かさこそ音を立ててたのも同じ。なにやらずっとかじってたのも同じ。
あいつらは家族で、飼ってるとかいう気持ではなかったけど、
ねずみも”飼ってる”と思えば、思えないことは…ないかな。やっぱり。
「100分de名著」見た。
イワンが問うたキリスト教の矛盾は、神の元で不幸が存在すること。
大きく見ると、それは異教だったり異端のせいにされてしまうのでは?
そしてイワンの思想は、神がいなければすべては許される。
伊集院さんは無神論とよく言っておられるけど、
すべてのものに神が宿る、という日本で、
おにぎりを踏めない、とかいうのはたぶん無神論ではないはず。
キスの意味は、イワンの可能性。
本を読まずにここの話だけを聞いていると、
神を疑ったことに対しての”許し”であるようにも。
傲慢の克服、というテーマ。
人を裁く、という傲慢さを捨て、善も悪も等しく受け入れる。
まあ、だれもが”聖人”になれるわけでもないし、なりたいと思うわけでもない。
裁判員裁判でもそうだけど、基本的には人を裁きたい人なんていないはず。
たぶん、過失や情状酌量が認められないような、
「裁かれるようなこと」をする人がいなくなればいいだけのこと。
でも、そういう制度がある以上は、ムダにしてはいけないと思う。
イワンは地上の不幸に神が手を差し伸べないことに憤りながら、
父親が殺されることを黙過している、っていうのは深い。
それが人というものなんだろう。
『「反社会的勢力、定義するのは困難」答弁書閣議決定』
それはそうだろうとしか。
ヘタに定義したら抜け道が作られるだろうし、
いまですら”グレーゾーン”に身を置く輩がいるのに、
その”グレーゾーン”をはっきりと白にする手引きにさえなるかも。
それと、いったん「反社会的勢力」のレッテルを貼られたら、
社会的に抹殺されてしまうことにもなりかねないのに、
国がレッテルを貼ること、そしてそれを閣議決定してしまうことの重大さを、
軽く考えすぎてる人がいることにおどろく。
その時々で、法律に照らし合わせて判断するしかないのでは。
あと、ヘイトスピーチ条例と絡めて批判してる人もいるけれど、
そっちが問題なのは、ヘイトスピーチが定義されてないのに法的規制がなされようとしていること。
この話は「反社会的勢力」の定義がされてないのに、
「反社会的勢力」に対する法的規制が行われるということではないから、
ごっちゃにしようとすることがまちがってる。
というか、そもそも「反社会的勢力」でなくても、
法に違反する行為をすれば、きちんと日本の法律がさばいてくれるものなのでは?
もっというとマスコミは、そういういわゆる「反社会的」な方々が、
政治家や著名人や芸能人を広告塔として利用する手口には気を付けないといけないって、
注意喚起しないといけないのに、
逆に同じように利用されてたことを隠して、政府与党だけを責めたてるから、
よけいに変なことになってるような気もする。
あと、アホらしい答弁書が閣議決定されたことで後の世でバカにされるのは、
閣議決定した側ではなくて、そんな質問をした側になると思うのだけど…