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空になりたい

C’est la vie.

知らぬが仏

2021-04-29 22:45:00 | 日記
昨日、自宅の真裏に住んでいる方が、来られて、
「お宅の屋根の瓦が落ちてきたから見に来て」って
言われました。

主人が仕事中だったので、私が見に行きました。何か、
片付けるものを持って行った方がいいかな、と思いつつ、
とりあえず行ってみましたら…

絶句…。


予備知識として、うちの自宅は、住んでる建物が、ドーン
あって、その裏の3mくらい離れた所に、昔の従業員さ
んや、大学生に貸していた木造の古い建物があります。

人に貸していたのは、もう戦後、間もない頃から、20年前
くらいまでです。

その壁には、蔦が生えているので、蔦は近所迷惑だと
思い、常に気にしているのですが、去年の夏頃にも、蔦の
根元を切ることによって、全体を枯らすことに成功した
と思って、自分では満足していました。

その建物の裏の真ん中辺りに蔦の本体?大元があって、
去年もそこまで行ったのですが、そこから上を見上げて
屋根の状態は、分かりませんでした。

そして、昨日、裏のお家の方の庭から撮ったのがコレ
です。

近くで見るとこんな感じ


枯らした蔦は春になって復活していました。そして瓦
どころか、窓の上の壁は取れて、窓の下あたりに引っか
かっているし、その上は、かなり広い範囲の屋根の部分
落ちてしまっていました。

左上の、細い木に引っかかっているのは、落ちてきた
白い壁の剥がれたようなもので、1人では持ち上げること
できないくらい重たいものでした。モルタルって
言われてました。
物置の屋根も、モルタルが当たって、変形した箇所
ありました。

その後すぐに、知り合いの建設会社の人に見ていただ
いて、早目に建物を解体することに決めました。
5/1に業者の方が見積もりに来られるそうです。

裏のお家の方は毎日眺めて、不安になられていたと思い
ます。本当に、申し訳ないことでした。剥がれたモルタル
や壁が、人に当たったりでもしたら、もう大変なことです。

全然知らないところで、こんなに迷惑をかけていたとは…

裏の方も普通なら、もう、蔦がびっしり生えてる時点で、
どうにかしてくれ!と思われたと思いますが、この方は、
限界まで気長に耐えてくださいました。もっと怒られ
ても当然の状態なのに…。

夕方改めて、主人と一緒に、お詫びに伺って、今後のこと
をお話しし、木に引っかかっていたモルタルを一枚、
2人で持って帰りました。

ずっと前から、壊した方がいいだろうと気なっていた
建物でした。もう、いきなり後に引けない状態
を突きつけられた感じになってしまいましたが、私たちに
とっては、いい機会になったと思います。

自宅と裏の建物の間は、土で、草が生えていたり、段に
なってたり、物が置いてあったりするので、毎年、近くで
生まれた子猫が、みんなで追いかけっこをしたり、
ジャンプしたり、トレーニングのようなことをして
いました。

ある程度大きくなると、出て行って、また別の家族が
やってくるので、楽しみでした。

裏を壊してしまうと、もう、子猫が守られるような場所が
なくなってしまうのが、とても残念です。

写りがあまり良くないですが、1枚だけ、写真があり
ました。このきょうだいたちは、一階の窓の上の屋根で、
よく、日向ぼっこをしていました。かわいい💕


〈今日のお弁当〉



昨日の晩ごはんのグラタン入れてみました。
冷凍コロッケと野菜肉炒め。
ちょっと雑ですね…




透明の自分とトラウマ

2021-04-29 04:14:00 | 日記
子どもの頃、「自分」ってなんだろう、ってよく考えてい
した。

憧れるような容姿と性格の友だちがいたとして、あの人
なりたい、と考えた時、もし願いが叶って、ある朝、その
友だちの姿になることができてた場合、あー、願いが
叶った!と思えたとしたら、姿は変わっていても中身は
今の自分だから、あの人になってしまった訳ではない。

もし、身も心もあの人になってしまったら、今の自分では
なくなってしまうから、あの人になってしまったことに
気づかない…。変な想像ですが…そんなことを考えつつ
自分っていうものがとても不思議でした。でも、結局、
自分は自分でしかないというつまんなさ…。

それと、もう一つ、自分の体の中から、目を通して、外を
見ている自分って、なんなんだろう、体は年を取って
いくけれど、中から外を見ている自分って、年を取るん
だろうか、って考えていました。

今、49歳になって、やっぱり中から外を見ている自分が
いて、子どもの頃と比べると、経験とか知識とか知恵とか
そのようなものは増えたと思いますが、果たして、中から
外を見ている自分も年を取ったのだろうか…

もしかしたら、本当は、昔と同じなんじゃないだろうか、
って時々考えます。

そう考えると、昔、傷ついてトラウマを抱えている体の
中の透明の自分にとって、昔とか今とかの時間的な概念
存在しないのかも知れない…

もし昔傷ついたと思っていても、透明の自分にとっては、
昔も今も違いがないのだとしたら、今、それを癒すとか、
傷ついたという潜在意識的なことを書き換えるという
ことが、本当は、とても簡単にできるのではないだろうか
と、考えました。

最近、潜在意識を書き換えるアファメーションという
ものを知って、そんな簡単に書き換えられるものか、と
思っていましたが…、

もしかしたら、そんな理由で、できることなのかも知れ
ないと思いました。

しかし、トラウマっていうのは、実際とても強いもので、
私の場合、「人は、いつ私に対して怒り出すのか分から
ない」っていう恐れがあります。常に、「相手の言う
らことが理解できなかったらどうしよう」とか、「私が
思うことをうまく伝えられなかったらどうしよう」と考
えるのは、やっぱり、相手を怒らせるんじゃないかって
いう恐れなんだと思います。

そして、「人は、私を嫌うんじゃないか」っていう恐れ。
主人にも子どもにもそう思われるかも知れないっていう
恐れを普段も無意識に持ってるんじゃないかって思います。

私は、いらない子なんだ…と思う癖。

一体いつからこうなってしまったんだろうか…

いつも、一気に書かないと忘れてしまうので、長文に
なってしまいます。分けて書けばいいんだな、と気が
つきました。

一旦ここで終了します。

〈昨日のお弁当〉


メインは、とりの照り焼きと
前日の晩ごはんの肉じゃがです。





どうにか、持ち堪えた…

2021-04-27 22:00:00 | 日記
今日は、台所のテーブルや流しが、片付いていない状態
で、5時50分からのスタート。

寝る前に片付ければよかった、もう少し早く動き始めれ
よかった、どうして私はダメなんだ、などと考えずに、
とにかく、主人が降りてくるまでにある程度は片付けて
おかなければ、っていう気持ちと、朝の支度に、ちょっと
時間が足りないかな…と思いつつ、集中して片付けました。

主人とおばあちゃんがごはんを食べ始めてから、子ども
起こしたり、仕事で使う洗濯物をたたんだりして、
6時50分から、お弁当作りスタート。

子どもの朝食と重なると、手際が悪くなってしまうので、
あーなんか、時間かかってるなぁと思いながら作って
いたら、主人が子どもの朝ごはんのおかずになるような
ものを作ってくれたのですが、その後、

「弁当ひとつにこんなに手間がかかるんなら、お金渡し
て弁当買わせた方がいいんじゃない?時間がもったい
ないと思わん?」

「6時頃から作り始めて、1時間半経ってもまだできてない」

「昼代いくら?600円?700円?」
と次々と言い始めました。

「そうだね…時間かかってるよね…」と言いつつ
「いや、作りはじめたのは、7時前だし…間で他のことも
してたから…まあ、集中しては、作ってないけど…でも、
続けて作れるようになってきたし…」
と、言い訳がましく言っていたら、

「そんなこと言ってももう、10年以上弁当作ってるじゃ
ないか!」
って言われました😅その後もしばらく、言われ続けました。

ここは、いつもなら落ち込むところだったのですが、まあ、
言われることは、間違ってないし、言いたくなる気持ちも
分かるし、ブログにも書けるから、と思って持ち堪えました。

持ち堪えたというよりも、落ち込んでないふりができた
感じかな…落ち込んだら余計に怒られるので…

まあ、手際が悪く、要領が悪く、時間に追われるのは
いつものことなので、言われても仕方がないです。

だけど、今までと違ったのは、お弁当作れたし、洗濯
できたし、神棚と仏壇の水を替えてお参りできたし、家を
出る前に流しも片付けることができたから、私にしては、
上出来上出来、と自分で納得することができたのです。

機嫌が悪いのかな…とちょっと伺ってましたが、よく
分からないし、どうしようもない、と思って、諦めました。
しばらくしたら、普通に話してくれたので、ホッと
しましたが…

でも、人の機嫌を伺って、もう気持ちがしんどいのが嫌。
もう辛いの嫌。自分がダメな人間って思うのも嫌。

「辛さやストレスがない状態」ではなくて、本当に「幸せ」
だと感じたい。。。

人に怒られたりすると、一旦どん底まで落ち込みます。
どーせ私はダメなんだ、私なんか生きてる価値がないん
だ、もう、いなくなってしまいたい…などなど考えて、立ち
直れない、もうダメかもしれない…と、ホントにダメな
感じになります。でも、今日は、自分なりには、ちょっと
頑張れてた、と思える部分があったので、大丈夫だった
んじゃないかと思います。

これは、大事なことかもしれないと思いました。よく、
言い訳するなって怒られるけど、相手が分かってくれなく
ても、自分ができるだけがんばったと思えたら、そこまで、
傷つかない、というか、実際、悲しい気持ちは生まれ
ますが、「自分のことは傷つけてない」ということが、
とても重要なことかも知れないと思えました。

多分、もう一息じゃないかな、って思います。

まだ、人が怖いところがあるので、そのために仕事が
進まない時があります。その辺りを具体的に改善できる
ように考えていこうと思っています。慣れしかないのかな…

こうやって、あーだこーだと考えて、

明日の朝、台所を慌てて片付けるより、今、片付けた方
が、絶対気持ちが楽だという、当たり前のことを、やっと、
できそうです。

〈今日のお弁当〉


だいたい毎日同じようなお弁当なので、
ちょっと変わったものも作ってみようかな
という気分になってきました。
今は、気分だけですが😅
ちょっと、他の方のお弁当も参考にさせてもらおう。



アファンタジア

2021-04-27 05:13:00 | 日記
私は、映像をイメージすることが苦手です。
主人は、いつも映像が観えるという言い方をします。

私が観えないっていうと、え?普通観えるじゃろ、って
言われました。

映像が観えるなんてすごいなぁ、と主人が特別だと
思っいました。また、今の仕事を始める時の研修を
受けた時、大量の文章を覚えないといけなかったの
ですが、 その時一緒に受けた方は、写真を撮った画像
みたいな感じで記憶できるという人がいたので、その人
尊敬の眼差しで見ていました。

だから、映像が観える人は、特別な人だと思っていたの
ですが、最近、私はあまりにも観えなさ過ぎるような気が
してきました。宮沢賢治の本など読んでいると、色とか
光とかの美しい描写を言葉で表現してあるのが、全く
イメージできないのです。そういえば、自分の記憶のなか
にある景色とか、少しぐらい鮮明に覚えているものがあっ
も良さそうなのですが、多分、全くありません。今も、
家族とか、会社の人とか、毎日顔を合わせている人たち
さえ、ぼんやりとしか思い浮かばないのです。

記憶ができないわけではありません。どちらかと言うと、
文字で記憶する感じではないかと思います。

あ、もしかして、私が普通ではない?と思って、「映像
イメージ できない」って検索してみると、なんと、
世の中には、観えなさ過ぎる人がいたんです。

それを「アファンタジア」と言うそうです。

アファンタジア - Wikipedia

アファンタジア(Aphantasia)とは心的イメージを思い浮かべることができず、頭の中でイメージを視覚化することのできない状態を指す言葉である

こんな風にかいてありました。
そして、自分がアファンタジアと自覚して、これについ 
て書いてる方もたくさんいらっしゃるようです。

それを脳の障害と考えるか、個性と考えるか、どちらでも
いいのですが、それよりも、アファンタジアであることに
よって、人生の楽しみが少ない感じがして、残念だなあ
と思います。

それで、ふと、昔、長男が産まれた頃に、早期教育にハマ
った時代があり、フラッシュカードとか、絵本の読み聞か
とか、色々やってまして、その中にイメージトレーニ
ングというものがあり、その方法のひとつに、オレンジ
カードというのがあったのを思い出しました。

オレンジ色の25cmくらいの正方形の真ん中に青い丸が
あって、これを30秒見つめて目を閉じる、ということを
繰り返すのですが、だんだん残像の見え方が変わって
いって、最初は補色で見えて、次に正しい色が見えて、
そのあとは好きな色が見えるようになるそうです。この
訓練で、右脳が開けてイメージが見えやすくなる…
ような感じだったと思います。

訓練によって、見えるようになるものか、アファンタ
ジアでは、訓練してもダメなのか、そういう資料は、まだ
見つけてないので、実験してみた方がいいかも知れません。

私も、一緒にやったことはありますが、たった一個の丸
でもぼんやりで、たしかに最初、補色が見える段階では、
オレンジと青が反転してしばらく残像は、残りましたが、
そこから継続していません。お日さまの光や照明器具
光も、残像ならしばらく残るので、少しは望みがあるのかも?

アファンタジアであると、少し意識して、生活してみよう
と思います。もしかしたら、同じように生きてる人間でも
見えてる世界は、人によって違うのかもしれないなあと
思いました。

そういえば、金星に住んでるハトホルという人たちは、
人間の体は、星々の集まりのように見えるとハトホルの
に書いてありました。バラバラの原子が細胞かが光っ
てるイメージかな。その人がどの次元を生きているのか
よっても、違う的な感じなのかも?
(すみません、宇宙人にも会いたいと希望している人間
なので…このような情報も少しあります。)

まだまだ、知らないことがたくさんあるので、自分の目の
前の現実だけが全てと、捉えずに、視野を広く持って
生きたいです。

と言いつつ、目の前の片付かない状況に苦しんでいると
いう矛盾…

〈昨日のお弁当〉

定番の
しゅうまい
明太子
ちくわ
卵焼き
冷凍コロッケ
にんじんのシリシリ風
薄切りの牛肉と玉ねぎとピーマンの牛丼風






プチ登山

2021-04-25 22:34:00 | 日記
今日は、主人とどこか行こうということになり、近場の
山へ。以前、麓から頂上まで歩いて登って大変だった
ので、今日は、気軽に、ロープウェイで登ろう、という
ことになりました。

ところが、ロープウェイ乗り場までけっこう歩き、また
ロープウェイを降りてから頂上までが、かなり険しく、
とてもハードでした。おそらく、ロープウェイを降りた
頂上だと思っている方らしき人も多く、ロングスカート
の方やハイヒールの方など様々でした。

でも、とってもいいお天気で、緑の紅葉🍁がお日さまの
光で透けて、とってもきれいなので、おすそ分けです。
あまり上手に撮れませんでしたが、きれいな緑をご覧
ください。


山頂からの景色です。ご近所さんには、どこの山か分かっ
ちゃうかも?巨石と遠くの島々。。




子どもたちは、誘っても、来てくれませんでした。なので、
ばあちゃんにお昼ごはんを食べさせるようにお願いして、
久々に、何にも考えず、ゆったりした時間を過ごすことが
できました。

以前は、主人がどこかへ行こうと誘ってくれても、まず
行きたくないオーラを出してたので、そこで主人を嫌な
気分にさせてしまい、出かけても、不機嫌そうな感じで、
私は恐れてぎこちなくなる、という、変な感じでしたが…

最近心掛けているのは、誘ってくれるのは、少しでも
私のことを気にかけてくれてると思って、気持ちよく賛同
するということです。そして、できるだけ主人の気持ちを
気にせずに、そのイベント自体を純粋に楽しむことにしま
した。

主人に対しては、自分のことを分かってほしいという
気持ちをぶつけない方が、楽しく一緒に居られるという
ことが、最近分かったので、そうすることに決めました。

コロナ禍で、先が見えないこのご時世に、ひとときでも、
あらゆることから開放されて、美味しいものを食べて、
のんびりした時間を過ごせたことは、本当に幸せなこと
だなあと思います。

そして、現実に引き戻された今、このまま眠たいけど、
洗い物をしてから寝た方が、絶対明日の朝、楽なのは
分かっている…と思いつつ、もう、寝てしまおう、と決意。
明日から、またがんばろう。。