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空になりたい

透明の自分とトラウマ

子どもの頃、「自分」ってなんだろう、ってよく考えてい
した。

憧れるような容姿と性格の友だちがいたとして、あの人
なりたい、と考えた時、もし願いが叶って、ある朝、その
友だちの姿になることができてた場合、あー、願いが
叶った!と思えたとしたら、姿は変わっていても中身は
今の自分だから、あの人になってしまった訳ではない。

もし、身も心もあの人になってしまったら、今の自分では
なくなってしまうから、あの人になってしまったことに
気づかない…。変な想像ですが…そんなことを考えつつ
自分っていうものがとても不思議でした。でも、結局、
自分は自分でしかないというつまんなさ…。

それと、もう一つ、自分の体の中から、目を通して、外を
見ている自分って、なんなんだろう、体は年を取って
いくけれど、中から外を見ている自分って、年を取るん
だろうか、って考えていました。

今、49歳になって、やっぱり中から外を見ている自分が
いて、子どもの頃と比べると、経験とか知識とか知恵とか
そのようなものは増えたと思いますが、果たして、中から
外を見ている自分も年を取ったのだろうか…

もしかしたら、本当は、昔と同じなんじゃないだろうか、
って時々考えます。

そう考えると、昔、傷ついてトラウマを抱えている体の
中の透明の自分にとって、昔とか今とかの時間的な概念
存在しないのかも知れない…

もし昔傷ついたと思っていても、透明の自分にとっては、
昔も今も違いがないのだとしたら、今、それを癒すとか、
傷ついたという潜在意識的なことを書き換えるという
ことが、本当は、とても簡単にできるのではないだろうか
と、考えました。

最近、潜在意識を書き換えるアファメーションという
ものを知って、そんな簡単に書き換えられるものか、と
思っていましたが…、

もしかしたら、そんな理由で、できることなのかも知れ
ないと思いました。

しかし、トラウマっていうのは、実際とても強いもので、
私の場合、「人は、いつ私に対して怒り出すのか分から
ない」っていう恐れがあります。常に、「相手の言う
らことが理解できなかったらどうしよう」とか、「私が
思うことをうまく伝えられなかったらどうしよう」と考
えるのは、やっぱり、相手を怒らせるんじゃないかって
いう恐れなんだと思います。

そして、「人は、私を嫌うんじゃないか」っていう恐れ。
主人にも子どもにもそう思われるかも知れないっていう
恐れを普段も無意識に持ってるんじゃないかって思います。

私は、いらない子なんだ…と思う癖。

一体いつからこうなってしまったんだろうか…

いつも、一気に書かないと忘れてしまうので、長文に
なってしまいます。分けて書けばいいんだな、と気が
つきました。

一旦ここで終了します。

〈昨日のお弁当〉


メインは、とりの照り焼きと
前日の晩ごはんの肉じゃがです。




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