母の膵臓癌日記

膵臓癌を宣告された母の毎日を綴る

急すぎる症状の悪化

2009年11月24日 23時25分02秒 | 日記
11月22日(日)
今日は朝からひどく調子が悪そうに見える。
食欲が全くないし眠くて頭がぼんやりしている感じだ。
また、口が渇いて舌が口腔にへばりつき、滑舌が悪い。

オキシコンチンを増やしたせいか、一日中眠気がとれずベッドの中で過ごす。
そのかわりに痛みは出ず、気持ちよく眠れるようだが
昼も夜も野菜ジュースやヨーグルトの他はほとんど口に入れることができない。

夜、兄夫婦が来るがベッドから起きることなく
ベッドの脇の炬燵で父、兄夫婦、私が喋っている間もうつらうつらしていて
そのうち眠ってしまう。

11月23日(月)
朝は早くに目が覚めても体が重くて起きられなかったと言い、
母は私が階下へ下りた8時ごろの少し前にやっとベッドから離れて食卓についた。
つい先週までは5時や6時に起きてK療法(機械でカーボンを燃やしその光線を当てる民間療法)を1時間かけて行い、
朝食の用意をしていたのだが、もう食卓に座っているだけでせいいっぱいのようだ。

食欲はないのだが薬を飲む前に何か胃に入れなければという気持ちがあって
父が電子レンジで暖めた牛乳とヨーグルトを目の前の食卓に置き、思いつめたようにじっと見ている。
意を決したように牛乳を喉に流し込む。が、急に立ち上がり庭側のガラス戸を開け
サンダルを履いて1歩出るまもなく飲んだ牛乳を戻してしまう。

私も慌てて外に出て背中をさする。
飲んだ牛乳はわずか20ccくらいのもので、ほとんど出るものがないのだが
なかなか吐き気が治まらないのか何度もえづき、苦しそうで見るのもつらい。
やっと落ち着くと「水で流しておいてね」と私に言い、よろめきながら家の中へ戻る。
このことで体力を消耗し、母は「疲れた」と言ってベッドに横になる。

11時ごろ在宅ケアの看護士さんがみえる。
前回、1週間前に来たときとはまるで様子が違いベッドに寝たまま迎える母にも
看護士さんは驚く様子も見せず
進んだ症状への細かな対応の仕方を母と私に指示する。


吐き気のあるときは吐き気止めの座薬を使うように。
口の渇きには、グリセリンを車に取りに行き500ccのペットボトルに溶液を作る。
これにうがい薬のハチアズレを溶かして口をすすぐように。
「太白」という無味無臭のごま油を買ってきて口の中に塗ると滑らかに動くようになる。

そして週に医師1回、看護士1回計2回の往診を医師2回、看護士2回計4回に増やしましょう。
明日火曜に先生が来るので腹水を診てもらって利尿剤を出してもらいます。


さすがに在宅ケアの看護士さんは母のような症状に慣れていててきぱきと話を進める。
毎日つけている母の日誌を見て、日曜に眠気が強かったのは土曜にオキシコンチンとアンペック座薬を使った回数が多く
麻薬の全体量が急に増えてしまったためだと言う。
座薬は1錠が10mgで、使っているオキノームの倍量なのだそうだ。

看護士さんが帰ると母は横になったまま
「今日は天気がいいから散歩に行こうか」と言う。
「大丈夫!?」「大丈夫よ。少し運動すれば食べられるかもしれない。」
こんなに具合が悪くなっているのにまだ散歩に行こうとする母。
症状の悪化、体の衰弱に必死で戦いを挑んでいるように見えて胸がぎゅっと痛くなる。
「じゃ、この前のコースはちょっと長すぎたから短めにしようね。」

しかし、前回土曜日に散歩したときに比べても足元がふらふらしている。
車道を渡るときには私の袖をつかみ、並んで歩いていても体が左右にぶれてぶつかってくる。
50mほどでもう息切れが始まる。ごく近所を一回りして家に帰ると母は業を煮やしたように
「もうっ!どうしてこんなになっちゃったんだろうっ」と目を潤ませてベッドに倒れこむ。
「とてもお昼はたべられないわ。寝る。」と目をつぶってそれ以上何も言わない。

母はきっともう散歩に行こうとも言わなくなるだろう。
そう思うとどうしようもなく寂しくて悲しい。
あれほど健脚だった母なのに、歩けなくなる日がもうすぐそこまで来ている。


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