母の膵臓癌日記

膵臓癌を宣告された母の毎日を綴る

母の病気経過帳より

2009年12月11日 09時54分04秒 | 日記
母は弟の勤める大学病院で治療を受け始めるときに「患者日誌」という冊子を手渡され
毎日几帳面に体温、体重、食事量などを表に細かく書き込んでいました。
それとは別に小さなノートに「病気=経過帳」と題して日記をつけていました。
最初の方は書き始める以前のことを記録として書いているようです。
一番初めに「21年」と書いてあります。
これを書き始めたとき母はまさか平成21年のうちに日記が終わってしまうなんて
想像もしていなかったに違いありません。


「21年
年に2度は胃の内視鏡検査を受ける
3ヶ月に一度は血液検査を受ける(コレステロール薬のため)

21年7月13日にT医院にて胃の内視鏡検査を受ける
2週間前よりピロリ菌の除菌の薬をのみ、それも調べた
ピロリ菌除菌に成功

21年8月15日にT医院にてエコーの検査する 異状なし

胃が少しただれているとのことで胃酸をおさえる薬をのむが痛みが続くので
H病院に紹介状を持って21年8月17日(月)H病院にてCT検査

21年8月19日から21日まで入院して大腸の検査 大腸は異状なし」


以前にも書いたと思いますが母は自分の健康にはとても注意して気を使うほうでした。
年に2回胃カメラ検査、年に4回血液検査を受ける。
母の年では珍しくはないのかもしれませんがその他でもT医院にはよく通っていたようです。
いま、税金の申告のために母の医療関係の領収証を整理していますが
T医院と付設の薬局の領収証の数の多さを見るとため息が出ます。

膵臓癌という病気の性質上、医師が気づかなかったことを責められないことはわかっています。
けれども、前々から胃の不調を訴えていた母に精密検査を勧めていてくれたらもう少し早く発見できたのでは、と思わずにいられません。

T医院でのエコーは母からお願いしてやってもらったのですが
すでに肝臓にいくつも転移した癌があったにもかかわらず「異状なし」
それでは大腸の検査をしたいから、と総合病院への紹介状を書くように頼んだのも母からでした。
大腸の内視鏡の入院検査の事前に撮った腹部CTで膵臓の尾部、肝臓に癌を発見されたのです。


「21年8月23日 南口流し踊りに出た夜お腹が痛む
 21年8月24日 CT検査の結果 膵臓と肝臓にガンが見つかる」

日本舞踊を習っていた母は、その日盆踊りの流しに参加してその後仲間と外で夕食を摂りました。
夕食を食べている頃からお腹が痛くなり、仲間は
「帯がきついんじゃない?早く帰って帯を解いたほうがいいわよ。」と心配してくれたそうです。
しかし家に帰って浴衣を脱いでも腹痛はさらに増すばかりで一晩中痛みに耐えていました。

翌日はちょうどH病院で検査結果を聞く予約をいれていましたが、予約の時間より早く緊急で診察を入れてもらったそうです。

その日、私はパートの仕事から帰っった時に庭先にいた母に検査結果を知らされました。
そのときの情景、母の姿は忘れることが出来ません。
「転移」の二文字に慄く私に、母は笑顔で
「大丈夫よ、今どきガンくらいでは死なないから。」と屈託なく言い放ったのです。
そのときの母は、ガンなんて手術で取ってしまえばどうってことないと極めて楽観的でした。(続く)



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