母の膵臓癌日記

膵臓癌を宣告された母の毎日を綴る

母の病気経過帳より (4)

2009年12月23日 20時28分15秒 | 日記
「21年9月14日(月)
今日は朝から調子が悪く8時にオキノームをのんで10時にまたのむように痛くてT也に電話する
病院に来るように言われS教授に診て頂き薬を3倍のむようになった どうなる事か
夜9時に薬 8時間おきの薬のむ

追加
痛みはひきつれのような痛みとゲップ、シャックリをすると激痛になる ひどい痛みだ

21年9月15日(火)
今日はオキシコンチン錠が3倍になって初めての日 眠けはあるが気分はとても良い
T也も電話くれた 主人は今日H病院で色々検査することにした 18日はCTを撮る
夜9時の薬をのんで眠ってもなかなか寝つけなくて12時~1時頃胸が苦しくなってきた
薬の副作用だと思う 主人を起こし少し様子を見た 1時30分くらいに眠りについて4時30分頃目がさめ気分は良かった

21年9月16日(水)
ゆうべは12~1時まで息が少し苦しくて眠れなかった 1時から4時頃まで眠った
日中は全然痛まず良い一日でした。

21年9月17日(木)
今日はお腹が張った感じが午前中あったが痛くはならなかった。
夜は時々目がさめてなかなか寝つかれなかった

21年9月18日(金)
今日は病院に行き抗癌剤の投与をした
白血球がへると抗癌剤ができないという話を病院の友達から聞く なかなか大変だ
その友達は4年・2年も抗癌剤をしているそう。(註・二人の友達のうち一人が4年、もう一人が2年という意味)
1人のひとは白血球がへってしまって抗癌剤が2回も出来なかったそう 大変だ
帰りはヒガン花をみんなで見て帰った。」



母が最初に処方されたオキシコンチンは朝夕1錠ずつ、1日2錠だったがこの量では痛みが抑えきれないのか疼痛にさいなまされた。
急遽S大の教授に予約を入れ診てもらうと今度は1日3回2錠づつを処方され
痛みはあまり出なくなったかわりに眠け、息苦しさ、夜熟睡できないなどの副作用に悩まされる。

9月18日のことを母はさらりと書いているが私にとっては色々な思いが交錯した長い一日だった。
このブログでは1回で書ききれず、この日の午前午後を分けて2回にわたって長い日記を書いた。

特に父母と夫、次女のF子の5人で見に行った彼岸花の群生地は一生忘れられない思い出になった。
毒々しいほどの赤が一面に咲き乱れている中に佇む母が急に老け込んで見え、命の炎はいかにも弱弱しく揺れているように思えた。
目をつぶると舗装されていない遊歩道をつまずかないように足元を見ながらゆっくり歩を進める母の姿が切なく浮かぶ。

だからこのブログの携帯用のテンプレートは夕陽の中の赤とんぼと彼岸花の絵を選んでいるが
季節はずれになってしまった絵でも変えられずにいる。

出来れば来年もその次も、これからずっと毎年そこの彼岸花を見にいきたいと思う。


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