国家戦略室 (アンダーグラウンド)

日本本来の政治、統治、歴史についての研究

皇国憲法試論(1)

2014年02月01日 | 皇国憲法

 大日本国憲法の欠点を修正した皇国憲法はやがてはできるであろうが、それについて私見をまとめてみる。

 まず基本原則は日本の伝統にのっとったもので、祭、政、教を一致したものである。

 つまり宗教と政治と教育を一致統一したものであり。これは民主主義の今日よりすればナンセンスかもしれないが、古代ギリシャや日本の古典を調べれば政治の目指すべき形態はこれよりおいてほかはない。理想的政治形態と、それに至る過渡的形態についても検討する。

 天皇親政が基本原則であり、陛下の意思と裁断をもって最終結論とするが、そこに至るまでに「万機公論」のプロセスを容れる。つまり陛下の独断ではなく専制政治ではない。また大臣、小臣の存在を想定し、大臣(オオオミ)は天皇陛下中心として国政に関与し、小臣(オオミ)は地域の行政に関与する。いわば知事を意味する。大臣を何人どのような形で置くか、小臣を何人どのような形でおくかは、現在の大臣及び知事の形態を踏襲しながら名称を変更してゆく。

 国民は「民」の漢字を使わない。「大御宝」または「たみ、タミ」と仮名表記する。大御宝と書いてオオミタカラと呼んでもいい。民は目を射てめしいにして従わせるの意味があり、皇国の憲法にそぐわない。

  祭政一致の前提には神霊の存在への絶対的信仰とその象徴としての天皇陛下を中心とした国体を基礎に置く。

 明治維新の第一の失敗は、祭祀についての意見が分かれ、祭神論争などがおこり、国家の信仰を二分する争いが起こり、勅裁にゆだねることにより出雲系の教義を切り離してしまったことによる。

 これが神政復古になるはずだった明治維新を王政復古どまりにしてしまった。

 明治維新初期の神祇官は白川神道、吉田神道のほかいくつかの流派から代表者が出て務めるようになっていた。

 幽祭を司る大国主の命を重視して祀るということは象徴的には国が天皇陛下の存在の物質的な政治側面だけでなく、神霊的側面に奥深くかかわるということを意味する。それが勅裁をきっかけに分断された。そしてこれをきっかけに全国の神道の教義が人為的な国家神道に傾きはじめ、祭祀をつかさどってきた家系が神社から外されるということが起きた。

 伊勢の神が人為的ということではない。伊勢の神は真実の神ではあるが、出雲の神とのダイナミックな相補活動で日本の国は動くことになっていた。伊勢の水と出雲の火が象徴としてあげられるが、この二つが顕幽を象徴し、陛下がこの二つを重視し祭ることにより、国の政治的部分と宗教的(霊的)な部分が合致するはずであった。

 皇国憲法はこのことを明記し、祭政教の一致、国教の樹立を正面からとりあげることとする。


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