国家戦略室 (アンダーグラウンド)

日本本来の政治、統治、歴史についての研究

超訳 憲政大意(穂積八束)

2017年11月25日 | Weblog

国家統治の主権の所在に違いがあるのは国体に違いがあるからである。

主権の所在は歴史の結果により、国民の確信からでる。

各国歴史が違い、国民の歴史が違うために国家の体制が異なる。

主権は国家の意思であり、主権がなければ国家もない。

しかし、国家は自然意思をもってはいない。人の意思を国家の意思とする。

いかなる人の意思権力を国家の意思とするかは歴史の流れを見、国民の確信に問うべきであって、国体の違いはここから生じる。

特定一人の意志権力を国家の意思とするものは君主国体

多数の群衆の意志権力を国家の意志権力とするものを民主国体という。

国家内部の主権存立の態様の違いであり、国家そのものに種別があるのではない。

君主国、民主国の違いは国家の種類の違いとしてみるのではなく、国体の違いとみる。

国家の概念と国体の概念とを区別することは、立憲政治の本質を明らかにする一大要件である。

統治主権の行動の形式をさして政体という。国体の違いは主権存立の違いからくるが、政権はすでにある主権の行動のいかんをいう。国体と政体は異なった概念である。

故に国体が同じであって政体が異なることがある。政体が同じで国体が違うこともある。一定の国体が一定の政体に伴うものではない。

国体と政体の変更は革命である。政体の変更は制度の改正である。

しかるにこの二つの概念を混同しているために(他国の)立憲政体を導入しようとして混乱してる。我が国固有の国体と政体は昔から変わっていない。

民主主義は国体の論

三権分立は政体の論である。

欧米では国体論と政体論を混同した。ルソー、モンテスキューの思想が欧米を席巻したが、その思想は決して新しいものでなく、それ以前にもあった。

我が国の国体は君主制。

国体の違いは歴史の成果によるものであり、その善悪をいうべきものではない。

今もしく偏狭な欧米の国体論で我が国の国体を軽んじるようなことがあれば、天与の最鋭の武器を捨て民族自滅を招くほかない。

 

憲法の制定は政体の革新としてみる。国体に変化なし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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