連続して一昔前の諸説を紹介した。
憲法論議がかまびすしいので、もっと深まるよう皇道理論を記載した。
現代人にはほとんど理解できなくなっている。
理由は
戦前の思想は天皇中心主義でどれも失敗したと信じさせられたためだ。
この謎解きをする。
戦後日本の政治家は憲法の改正の必要性を認めなかった。
しかしながら、マッカーサーの指示で改正せざるを得なくなった。
さらに民政部の不慣れな左翼連中に憲法の変更がゆだねられ、
立憲君主制と共和制をあわせたような憲法を作り上げて日本に認めさせた。
これが天皇陛下の承認を経て議会を通り国民の支持を得たとしても、
日本人の意思とは言いがたい。抵抗と修正の中で、かかる憲法に帰着したといわざるを得ない。
マスコミも議会もGHQがまったく操作していないといえばウソになるだろう。
マッカーサーや民政部をこき下ろす記事などかけなかった時期である。
結局これはアメリカ人の手による憲法で、大日本帝国憲法を改正されたことのなっている。
結局主権が国民になり、天皇陛下がそれ承認して成立したことになっている。
この憲法が欠点だらけであるため、早速自衛隊なるものができ、条文そのものにあわない状態が出てきた。
集団的自衛権などという都合のよい解釈も出てきた。
自衛隊はどうみても国軍であり、これを言い換えれば憲法違反が免れるというのなら、そもそも憲法の意味などないではないかという、憲法の法的安定性についての議論も出てくる。
しかしそれでも戦争を避ける根拠にはなりうる。第九条がなかったらアメリカとの関係からイラク前線に自衛隊を送っていただろう。
アメリカは軍備の一部を担わせるために軍隊を認めるよう改憲させることを狙っている。
こうした流れの中で憲法を改正し、軍備をもてば、日本はおそらく核兵器を所有することになるだろう。
核兵器の所有は皇道に反する。かかる大量殺戮兵器の所有は昭和天皇がはっきりと拒否し中止させている。
しかしながら軍部杉山元帥らは研究をすすめ、戦後も負けた原因を科学の問題や物量問題にする輩が少なくない。
日本が負けたのは日本に道理がなかったからである。日本人の皇道観がゆがみつつあったからである
日本に道理があれば日本はロシアのような大国にも勝っている。
戦前の日本は東条が仕切り、日本を誤った方向に導いた。しかし、思想の乱れがあり、彼以外に押さえるものがいなかった。
その思想の乱れとは、北一輝、大川周明らの国家社会主義論である。
かれらはもともと左翼運動家であったが途中で天皇陛下を理論の中に組み込んだ右翼主義者に転向している。
上杉慎吉らの天皇主権主義と異なり、彼らは天皇機関説である。
現代人にとっては天皇機関説のほうが理解しやすいが、天皇機関説でいくと、国家という機構を動かす人間が天皇の権威を利用して、国の命運を左右するようになる。
君主主権説では天皇が政府や憲法調整することができる。
たとえば第二次世界大戦について、天皇陛下は戦争を望んでおられなかった。世界人類が同胞であると考えておられた。しかるに軍部は戦争を選択し、陛下はしぶしぶ従った。このとき天皇に絶対の権限あれば、そして国民も軍部も等しく戦争を拒否すれば、戦争は起こらなかった。
つまり戦前といえども戦争を進めたのは国民のほうで、止めたのは天皇陛下のほうであった。
いま国民主権にして軍備を日本が持ったら、またもや鼻息荒くなり、周辺といざこざを起こすようになる。
尖閣諸島、竹島問題などほうってはおかないないだろう。
機微技術としての原子力発電を核兵器製造工場にしてしまうだろう。
そうして国家として独立してアメリカと手をきって独自外交を始めたいとおもっているだろう。
しかしながら、今の日本は衆愚である。かつての日本より思想的にまだひどい。
人権、国民主権、男女平等、自由。いずれも国体を破壊していしまう。
早寝早起きということが憲法違反だと真剣に論じるやからもいる。
根本的なよりどころを等閑にふして、機構で人を治め、欲望で経済を煽り、他国に媚を売って自国を守らせ、政治は各国スパイの直接間接の演芸場になり、官僚の多くは責任回避と保身に一生を費やしている。
わが国は天皇陛下を中心とした国家であること。
神が存在すること。
歴史は神武以前に存在したということ。
古事記神話は古代人の英知であること。
法治主義ではなく陛下の徳治主義でなくば日本はおさまらないこと。
悟らねばならない。
憲法論議がかまびすしいので、もっと深まるよう皇道理論を記載した。
現代人にはほとんど理解できなくなっている。
理由は
戦前の思想は天皇中心主義でどれも失敗したと信じさせられたためだ。
この謎解きをする。
戦後日本の政治家は憲法の改正の必要性を認めなかった。
しかしながら、マッカーサーの指示で改正せざるを得なくなった。
さらに民政部の不慣れな左翼連中に憲法の変更がゆだねられ、
立憲君主制と共和制をあわせたような憲法を作り上げて日本に認めさせた。
これが天皇陛下の承認を経て議会を通り国民の支持を得たとしても、
日本人の意思とは言いがたい。抵抗と修正の中で、かかる憲法に帰着したといわざるを得ない。
マスコミも議会もGHQがまったく操作していないといえばウソになるだろう。
マッカーサーや民政部をこき下ろす記事などかけなかった時期である。
結局これはアメリカ人の手による憲法で、大日本帝国憲法を改正されたことのなっている。
結局主権が国民になり、天皇陛下がそれ承認して成立したことになっている。
この憲法が欠点だらけであるため、早速自衛隊なるものができ、条文そのものにあわない状態が出てきた。
集団的自衛権などという都合のよい解釈も出てきた。
自衛隊はどうみても国軍であり、これを言い換えれば憲法違反が免れるというのなら、そもそも憲法の意味などないではないかという、憲法の法的安定性についての議論も出てくる。
しかしそれでも戦争を避ける根拠にはなりうる。第九条がなかったらアメリカとの関係からイラク前線に自衛隊を送っていただろう。
アメリカは軍備の一部を担わせるために軍隊を認めるよう改憲させることを狙っている。
こうした流れの中で憲法を改正し、軍備をもてば、日本はおそらく核兵器を所有することになるだろう。
核兵器の所有は皇道に反する。かかる大量殺戮兵器の所有は昭和天皇がはっきりと拒否し中止させている。
しかしながら軍部杉山元帥らは研究をすすめ、戦後も負けた原因を科学の問題や物量問題にする輩が少なくない。
日本が負けたのは日本に道理がなかったからである。日本人の皇道観がゆがみつつあったからである
日本に道理があれば日本はロシアのような大国にも勝っている。
戦前の日本は東条が仕切り、日本を誤った方向に導いた。しかし、思想の乱れがあり、彼以外に押さえるものがいなかった。
その思想の乱れとは、北一輝、大川周明らの国家社会主義論である。
かれらはもともと左翼運動家であったが途中で天皇陛下を理論の中に組み込んだ右翼主義者に転向している。
上杉慎吉らの天皇主権主義と異なり、彼らは天皇機関説である。
現代人にとっては天皇機関説のほうが理解しやすいが、天皇機関説でいくと、国家という機構を動かす人間が天皇の権威を利用して、国の命運を左右するようになる。
君主主権説では天皇が政府や憲法調整することができる。
たとえば第二次世界大戦について、天皇陛下は戦争を望んでおられなかった。世界人類が同胞であると考えておられた。しかるに軍部は戦争を選択し、陛下はしぶしぶ従った。このとき天皇に絶対の権限あれば、そして国民も軍部も等しく戦争を拒否すれば、戦争は起こらなかった。
つまり戦前といえども戦争を進めたのは国民のほうで、止めたのは天皇陛下のほうであった。
いま国民主権にして軍備を日本が持ったら、またもや鼻息荒くなり、周辺といざこざを起こすようになる。
尖閣諸島、竹島問題などほうってはおかないないだろう。
機微技術としての原子力発電を核兵器製造工場にしてしまうだろう。
そうして国家として独立してアメリカと手をきって独自外交を始めたいとおもっているだろう。
しかしながら、今の日本は衆愚である。かつての日本より思想的にまだひどい。
人権、国民主権、男女平等、自由。いずれも国体を破壊していしまう。
早寝早起きということが憲法違反だと真剣に論じるやからもいる。
根本的なよりどころを等閑にふして、機構で人を治め、欲望で経済を煽り、他国に媚を売って自国を守らせ、政治は各国スパイの直接間接の演芸場になり、官僚の多くは責任回避と保身に一生を費やしている。
わが国は天皇陛下を中心とした国家であること。
神が存在すること。
歴史は神武以前に存在したということ。
古事記神話は古代人の英知であること。
法治主義ではなく陛下の徳治主義でなくば日本はおさまらないこと。
悟らねばならない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます