国家戦略室 (アンダーグラウンド)

日本本来の政治、統治、歴史についての研究

上杉慎吉

2012年05月27日 | 大日本帝国憲法


父上杉寛二は元大聖寺藩(現、石川県加賀市)藩医。
旧制四高補充科予科、旧制四高[1]を経て、1898年に東京帝国大学法学部に進学し、憲法学教授で天皇主権主義の穂積八束に師事して憲法を学んだ。1903年帝大法学部政治学科卒(卒業時恩賜の銀時計を授与される)、同年には同大学助教授に就任した。1905年には師匠の穂積説を批判するようになったが、1906年からの「西遊研学」で穂積説の後継者を自任するようになった。
1910年代に入ると、同じく東京帝国大学の美濃部達吉が打ち出した天皇機関説を批判するようになる(天皇機関説論争)。1916年には吉野作造の民本主義を批判。

一時国体運動に参加したため国家社会主義との誤解を受けたが、
すぐに国体運動から遠ざかった。



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