国家戦略室 (アンダーグラウンド)

日本本来の政治、統治、歴史についての研究

2、合気道との出会い

2016年03月08日 | 考察

 合気道との出会いは確か高校一年くらいの時だったと思う。

 わたしはあまり運動神経のよいほうではなく、小学校では柔道を半年ほど、中学でも2年ほどやっていったが上達が遅く、黒帯をとるほど熱心に通わなかった。遊びに近い。空手の漫画を見て空手をやりたかったが、近くに空手の道場がなく、柔道着が使えるという安易な理由で高校から体育館でやっていた合気道を始めた。

 合気道をやった半年は技の緻密さに驚いた。だが、本気で柔道家がかかって倒せるのか、空手家と対抗できるのかなど、すでに小柄な体躯で柔道でさんざん苦労していたので、本気で力を入れ入れられると鍛えた相手には歯が立たないのではないかと思った。喧嘩慣れした相手につけやきばの合気道では歯が立たないことを理解していた。

 教えていただいたのは有名な誰かのお弟子さんのそのまたお弟子さんということで、神業には見えなかった。ただ合気道の開祖は超人的な人で、鉄砲の弾すじがみえ、忍者のまねをして姿を消せたという。

 ほとんど負け知らずだったと言う伝説は聞いた。しかしその後継者に神業レベルの人はほとんどいない。塩田剛三氏が小柄で柔道の高段者をあいてにできたというくらいか。

 この合気道の創始者は「おおもと」に入信し、途中から教団と距離を置いて活動した植芝盛平である。

 合気道は武道としてとてもよくできていた。しかしそれでも体躯の小さな私は開祖のように大男を相手することが難しいことに気づき始めていた。

 同じ技でも上背が高ければ掛け方や角度を変えないとかからない。

 そして意地の悪い先輩たちは稽古と称して技をかけられないよう力を入れる。すると練習にならない。相手の打ち込み方対し方が悪いと別の技をかけたほうが手っ取り早い体勢になる。それでも諸先輩はできることを示したいのだろうが、これほど精神衛生上悪い練習方法はない。技は正しい形でかける練習を繰り返すのが基本で、初心者相手に力任せで止めてしまってはろくなことは覚えられない。ただ本気で先輩の技をはずすのはたいがいの相手にはできるようになった。

 また実践勝負をやらないのでどれほど武道として強いのかもわからなかった。

 よもや合気道が神道における祓いの儀式意義を持ちうることなど考える余裕もない。強くまた技が巧みで相手を組み伏せたほうが偉いのである。このような幼稚な勝ち負けやり取りから脱却しない限り、神の技にはならない。

 私はこの時点で合気道という良縁に触れながらも、肉体的な限界からそれ以上かかわってゆこうとせず離れてしまっていたのである。

 



コメントを投稿