国家戦略室 (アンダーグラウンド)

日本本来の政治、統治、歴史についての研究

皇道(2)

2012年05月26日 | 皇道
皇道我観(三)

第五章 世界無比の神国
 我日本国は古来神国と称し、細矛千足国、豊葦原瑞穂中国、磯輪垣の秀妻国、また豊秋津根別国、大八洲根別国、玉垣の内津御国、浦安国、言霊の天照国、大倭国、日本の国、国の本国等と称し、世界無比の神国なれば、異邦に勝れて尊きは言を待たず、寒暑共に其中を得て、地は南北に渉り、東西に跨りて、四方に清海を環らし、風土清けく地味膏沃、五穀其他の作物豊饒にして、山野に草木繁茂し、果実能く熟して其味ひ殊に美はしく、金、銀、銅、鉄、鉛、錫、石炭の類に至るまでも生産し、一切欠くる事無ぎ、天産自給の宝国なり。殊に世界に比類なき粳米を、全国に産出せざる土地なく、殊に刀剣の原料なる因雲産の鉄鉱ありて、自然に鋭利なる武器を作ることは、全世界に比類なく、近海には岩石多く点在して、敵艦を近くるに便ならず。加之人民の衆多なるは、面積比較上外国に数倍し、天賦の霊能日本魂有るを以て、勇気、智量、慈愛、親睦の良質を惟神に包蔵し、平素清潔を好み、神祗を崇敬し、皇室を敬ひ尊び、大義を重んずる事は、此神域に生を享けたる神国神民の自然より出づるものなり。併し淳朴質実にして、神勇神胆あるが故に、日本の太古は、天道地道人道などの名称も無く、忠義孝貞などの名目も無し。只々神随言挙せぬ国にして、不言の教、無為の化、自然に行はれ、其の行事の道に違反せしもの少く、大伴氏の遠祖、天押日命の誓言にも、海行かば水潜屍、山行かば草生屍となりて、取り治むる者なくとも毫も厭はずして、大君の辺にこそ死なめ、閑には死なじ、顧みはせじと言ひ、筑紫の防人とて、東より賦役にさゝれて行く土兵が、額に箭は立つるとも、背には箭は負はず、進む事ありとも、退く事は為さじと言ひし如く、君臣の大義父子の親愛も、自ら備はりけるが、人民漸次数多く生るに従つて、惟神の美風良俗次第に破れむとし、一の教法無くては、治まり難く成りしが故に、崇神天皇の御宇に至り、和光同塵的御政策の時代の必要に迫れるを思召され、漢土の聖人の教書を、我国に採用し玉はむとして、三韓より、阿直岐及び王仁をして、教書を伝ヘしめ給ひ、国民を教導き、治国平天下の輔翼と為し給ひしより、儒道は皇国に弘道し、其道は今に至つて尚ほ勢力を張りつゝあれども、皇国古有の大道、即ち皇道の枝葉とも称すべき教義なれば、日進月歩の今日の皇国の実際に適合せず。故に古には、少々治国の輔となりしものも、わが国聖代の人民を教ふるには、隔靴掻痒の感なき能はず。此を以て、礼儀廉恥の四維を張る可き志を奮起せしむるにも足らず、今や皇道実現の聖代に於ては、全然無用の長物視さるゝに至れりと雖も、若し此儒教をして、真面目に漢土に行はしむる時は、支那五億民衆の良教書と為すを得べし。元来皇道は、日本神国に具はれる大道にして、日本魂の根元なれば、異域の人の咀嚼し得べきものに非ず。皇道の教は『神は万物普遍の霊にして、人は天地経綸の司宰者なり』てふ神教に基き、天津日継天皇が、天の下四方の国を、安国と平けく治食す可き規範たるべきものなれば、世界の人類を治め助け、善美なる言行の範を示し、上御一人の御尾前に仕へ奉りて、世界を経綸するの天職を、惟神に具有するものにして、決して外来の宗教説の如く、未来の楽土を欲求し救助を求め、万事哀願的に出るとは、全然其選を異にす。故に凡ての外来宗教なるものは、我国に在りては、害ありて益少く、日本男子の去勢的道具にして、天祖の神慮に叶ひ奉らざるものなるを知らざる可らず。

 皇国は畏多くも、皇祖の大御親神に坐す、天之御中主大神の御実体の顕現にして、世界一切を具有し給ふ神国なれば、世界一切の生民を同胞と為し、高天原に霊的活動し、且つ不滅に常住し、出ては地球上面の各国土を経綸し、入りては宇宙、即ち高天原に静養し、畏くも皇祖の御神勅に依りて、天下を治むる天職を帯ばせ給ふ、神聖不可犯の、天津日継天皇が、天壌無窮に鎮座あらせられ、神国の神民は、畏くも御皇室と共に、万世一系以て皇運を扶翼し奉る天職を、完全に先天的に具有し、皇祖大神の授け給へる、敏心の日本心は、天稟の良性にして、決して亡ぶる事無きが故に、今にもあれ、皇道の大本を講明し、以て之を激励する時は、必然日本魂の発現し来りて、天授の神魂に復帰す可きは論を待たず。譬へば三冬の厳寒に水は凍り、土涸れて、樹木の葉は悉く落ち散り、一見枯果てたるが如く、草の茎葉は朽果て、残るもの無きが如くなるも、其枝幹若くは根本に、花実となり茎葉となる可き原質は、尽く含有せるが如くなるは、野人匹夫の目に一丁字さへ無き輩、郷丁傭夫の徒にも、折々侠腸義気突破して、事に臨みては、敢て一死を顧みざる者有るを見ても知られたり。故に今、皇祖の御遺訓並に、国祖の神諭に依り、国人固有の日本魂を研き、其光輝だに現出せば、我一を以て異方の百千万人に当るに足る可く、国土の豊満なる事は、外国の及ぶベき所にあらざるなり。

第六章 皇国の言語と神胤
 言語は、国土の疆界を弁別すベき自然のものにして、我皇国の如く、言語正しく清く円満にして、言霊に権威を伴ふもの無し、皇国以外の総ての国は、何事も一切用語を先にして、体語を後にす、印度、和蘭其他の外国、皆然らざるはなし。独り我皇国のみ、体語を先にして用語を後にす。「書物を読む」と謂ひ「酒を呑む」と謂ヘば「書物」及び「酒」は体語にして「読む」又は「呑む」は用語なり。「読書」又は「飲酒」と言へば「読」及び「飲」と云ふ用語を先にして「書」及び「酒」の体語は後にす。体語は本にして君主の如く、用語は末にして臣民の如し。我日本皇国にのみ如斯正しき言語を以て万事を.弁ずる事は、即ち我皇統の万世一系にして、天壌と共に窮まり無き宝祚に坐して、太古より君を君として立てたる、坤輿中に冠絶して、尊き御国体なる事を、此言語の妙用にて分ちたる自然のものなり。且つ我皇国は、昔より諸の事物を、万国に採りて用ひ来りし事は、和光同塵の御深慮とは云へ、一は以て、必然の理由存するが故なり。譬へば貴人高位の人の身は、自ら一切の事物を営作すること無く、唯々臣下又は庶人に命じて之を造らしめ、之を採りて用ゆるが如く、亦視聴言動等の機会を為す耳目口鼻等の、頭上に在りて、下胸腹四肢の根本と成るが如く、我国体の大に万国に冠絶せる所以も、亦是等の例を以て準知し得るにあらずや。然るを明の宋景廉の輩が、日東の曲に難聞分逆読と謂ひしは、己が国を中華中国など自称し、他国を卑しめる逆心より、是を逆なりと謂はむを、強ちに咎むべき事にも非ざれども、我皇国の臣民たる物茂卿太宰純などの似而非学者輩が、妄りに漢土に左袒して、是を目して回環顛倒の読みと言ひしは、大なる僻言にして、却て皇国の言語は正しくして、異邦の言語の顛倒せる所以を知らざる、狭き心より起りしものにして、論ずるに足らざる事共なり。

 豊臣太閤曾て朝服を、闕下の施薬院に着けし時、屡々天顔を拝し奉るに感激し、人に謂て曰く、身微賤より起て人臣の位を極むること、天恩実に深し、蓋し吾母、むかし朝家式微にならせ給ひし時に当つて、後宮に仕へて一賤役を勤め奉りしが、一日不図、竜体に近づき奉りて孕み、その儘出て尾張の人に嫁ぎて吾を産みたるなりと。按ふに豊臣太閤は、我国古今無双の大英雄にして、其行事の凡人に卓絶せしことは、日月と光を争ふが如くなるに、瞹昧なる托言を作りて、自身の貴き胤なりと称ふが如き、卑劣魂性の寸毫も無かりし大人物なりき。世に豊太閤の母、嘗て日輪吾が懐中に入り給うと夢みて、吾を生みたりと宣まへる由を伝へしは、隠然其皇胤なることを云へど、豊太閤のそれと宣まはざりしは、朝廷を憚り給ひし忠良の御精神にて、国家への礼儀を思ひ給ひての事なりき。施薬院に於ける太閤の話は、偶々感激喜悦の余りに出でて、思はず其実を漏されたるなるべし。抑また太政所の日輪の夢は、托けて言へる言か、或は夢に其瑞兆ありしにや、何れにしても豊公の興起せしは、僅々数年間の短時日に、天下の大乱を鎮定して、皇上を輔翼拝戴し、諸侯を糺合し、以て法を将来に垂れ、武将万世の模範と成りし、大智大勇を兼備したる事の大に優れたるを観れば、其胤在りし事必然なり。我皇国は、外国の国状とは非常に相異ありて、天下は即ち一人の天下にして、皇上は実に、天上の現人神に在し坐し、王侯将相といへども、悉く皆、その胤あるなり。故に古今の豪雄の、将相の位に至つて天下の権を執りし人の、微賤の種なるは、明治の御代に至るまで、曾て在りしこと無し。平相国清盛の如きも、固より皇胤なり。鎌倉の右大将源頼朝及び北条氏、足利将軍、織田右府信長の如きも皆、桓武、清和の皇裔なり。故に豊公の系統も、亦貴き方の胤なる事前述の如し。世に豊公は凡種奴隷の出身なりとするは、大誤解たるを思ふべし。余輩は思ふ、豊太閤の、此事実を妄りに言はざりしは、天皇の太政所に堅く誠めおかれし為に、是を言ふ能はざりしものなるべし。また一説に、太閤は後奈良院の落胤にして、母は持萩中納言保廉卿の尾張国へ配流せられし頃同国御器所村の猟師の娘に逢ひて、産せたりし由縁を以て宮中に奉仕し、遂に竜体に近づき奉りて懐孕に成りしと云へり。吾大本開祖も一時は時運非にして、賤業に就事し給ひしかども、祖先を尋ぬれば、矢張り尊き人の後裔にして、山陰中納言より出で給ひしことは、桐村家の系図に由りて、明白なる事実なり。故に我国は、凡て王侯将相大賢至聖、皆その種ある事を知るべきなり。

第七章 皇国の使命
 畏くも、天下統治の天権を天賦に享有し、万世一系の皇統を保全して、大日本国に君臨し玉ふ、天津日継天皇が、神聖なる天下統治の神権、大日本皇道を、未だ完全に発揮し給ふに到らざりし神代は草昧混沌として、天下は実に無道なるやの感ありしなり。古往今来天運未だ到らず、国体の精華を隠伏し、和光同塵の御神策を以て、御皇運発展の時運を、期待し給ふのを止むを得ざりしが故に、世界到る処、草昧なる権謀を発生し、以て治乱興廃の活劇を反復す。人生の不安、世路の困難なるは、是れ天下挙つて、体主霊従主義に心酔せる無道の微証ならずや。由来王道、覇道、憲政、共和政治と称し、或は聖賢大哲の唱導せる教理、道徳説は、天歩艱難の時代を忍耐すべく、凌駕すべき方便たりしなり。然り而して、是を以て時代の人智を啓発し、練習、研磨せしめ、以て皇運扶翼の資に供せしめ給へるなり。皇祖天照大御神の命以て、此の地球即ち豊葦原千秋長五百秋の水穂国は、吾御子正哉吾勝々速日天忍穂耳命の知所国と、言依し給ひて、天降し給ひし、豊葦原中津国なる、極東日本国に、天壌無窮の皇統を垂れ給ふが故に、天下の真正なる大道は、皇国に実在せり。天佑を保全し、万世一系の皇祚を践み玉ふ、皇宗崇神天皇は、畏くも神器を敬遠し、和光同塵の御神策を垂れさせ給ひし以来、茲に二千有余年、天歩艱難の凌辱を隠忍し給ひし御事は、実に吾等臣民たるもの、恐懼措く能はざる所なり。

 鳴呼尊き哉、三千世界一度に開く梅の花、天運循環の神則に因り、天下の大道は皇運発展に伴ひ王政復古にその曙光を発し、明治維新の皇謨は、和光同塵の御神策をして、棹尾の大局を終結し玉へり。古語に曰く、彼を知り己を知るは百戦殆からずと。世界大経綸の用意は、畏くも、明治天皇御一代の偉業たりしなり。
 畏くも明治天皇は、天運循環して、皇運御発展の時運に到着せる事実を洞察し給ひ、戊申の詔書を下させ給ひて『抑々我ガ神聖ナル祖宗ノ遺訓ト、我ガ光輝アル国史ノ成跡トハ、炳トシテ日星ノ如シ。寔ニ克ク恪守シ、淬励ノ誠ヲ輸サバ、国運発展ノ本近ク斯ニ在リ。朕ハ方今ノ世局ニ処シ、我忠良ナル臣民ノ協翼ニ倚藉シテ、維新ノ皇猷ヲ恢弘シ祖宗ノ威徳ヲ対揚セムコトヲ庶幾フ』と詔命し給ふ。然りと雖も、挙国上下の臣民は、斯深遠なる御聖慮を解し奉らず、道聴途説の如く軽視し奉り敢て聖旨を奉体せざるは、誠に恐懼に耐へざる次第ならずや。維新の皇謨の要素は、実に斯に在り。神聖なる祖宗の御遺訓皇道大本は、是実に天下統治の大道なり。是断、是遷、天威以て厳戒を加へ給ふこと、国本発展の基本なり。古今の弊政、累惑の学説、憲政の悪用は、是古今天下無道無明の産物なり。百度維新、これ開闢以来、未曾有の盛事なり。世界の平和は、斯に其基礎を厳立し、皇国の使命は、言向和す皇化の顕彰なり。済世、済民の皇道は、天理人道を明かにし、祭政一致の教政は、国体の精華を発揚し、国威は四海を風靡して、天下の無道を糺明し、世界の無明を光被す。天津日継天皇が、皇憲を世界に宣布し給ひ、以て其御天職を実践し給ふや、茲に国際的競争は、忽ち文明の競争と化し、生活の不安は、直ちに鼓腹和楽と化すべし。日本国教たる、皇道大本の奨励は、驕慢怠惰奢侈淫邪を殲滅し、社会を刷新して、世界永遠の真の平和始て茲に成就す。万世一系の天皇は、日本皇道大本を宣揚して、世界の平和を確保し給ひ、以て天下統治の御天職を完成し給ふ。鳴呼神聖なる神器は万古に存す。宇宙の大中心、世界の中心、日本国の中心にして、言霊学より見たる、アオウエイ五大父音の総轄たる、アの言霊の幸ひ、助け、天照り給ふアヤの霊域、是れ皇道大本奉釈者発祥の聖地なり。世界妖気の発する所、神軍一過忽ち平定す。偉なる哉、大正維新の皇謨、大なるかな、皇祖経綸の大謨。

 人皇第一代神武天皇を、神日本磐余彦天皇と称す。彦波劔武鵜鵜草葺不合尊の第四の御子なり。御母を玉依姫とまをす。我国の太古は神も人も皆私心私情無ければ、必ず兄を以て、世を継ぐ事を為さず、唯その徳の優れるものを選ぶが故に、皇兄五瀬命、稲飯命、三毛野命を置て立て太子となりたまふ。天皇生れながらにして明達、意志確如まします。長となり給ひて、日向国吾田の邑吾平津姫を娶りて妃となす。手研耳命を生たまふ。御年四十五歳に成り玉ひし時、其兄五瀬命等と御子手研耳命と、高千穂の宮に在し坐して、相議たまふは、『此日向国は辺僻にして、王化を普く天下に及ぼすに便宜ならず。何れの地に遷りてか、大業を成就せむ。昔我天神高皇産尊と大日霊尊此豊葦原の瑞穂国を、我天孫彦火々瓊々杵尊に授け給へり。是に於て瓊々杵尊、天の磐座を離れ五百重の雲を排開き、御前を駈足して、此土に戻止たまひしが、運は鴻荒に属ひ、時は草昧に鐘りぬれば、唯その屯蒙たるまゝの淳素なる風俗に随ひ、唯専一に正直の道を養ひ玉ひて、此西の偏に在りて世を治め玉ひ、我皇祖皇宗いづれも神聖にましまして、慶を積み量を重ねて、多くの年所を歴たること、天祖の斯国に降跡たまひてより以来、今に逮りて二千四百七拾余歳なれども、遼遠なる地は猶いまだ王沢に霑はず、村に長あり邑に君あり、恣に彊界を分ちて相互に凌ぎ轢るもの多くして治まり難し』アゝ是れ二千六百年以前の世界の現象なり。即ち現代に於ける世界列強が、各国を侵略割拠し、各自彊界を分ち用ひ、相凌轢せるの状態と古今相等し。是れ天下無道、無明の証徴にして、皇国の天職、皇道大発揚の必要時機ならずや。畏れ多くも日本神国天皇が、万世一系の皇統を享有し玉ふ所以は、豊葦原瑞穂国なる世界を統治経綸し給ふ天職を帯び玉ふ故なる事、是れ国史に炳として日月の如く、記し賜ふ所なり。畏くも神聖にして、天壌無窮の皇運を保ち給ふところ、敢て古今の差別ある事なし。夫れ豊葦原の瑞穂国とは人類の生活し得て、以て国家社会を組織し得る、全世界の総称にして、大日本皇国は、是れ豊葦原の中津国、即ち世界の中心枢軸なり。醒めよ我同胞、自覚せよ其天職を。

第八章 和光同塵の世
 畏くも皇孫瓊々杵命は、天地経綸の薀奥を極致し給ひ、筑紫の日向の高千穂の久士布流多気に天降り坐て、万世一系の皇統を垂れ給へり。是に因りて詔たまはく『此地者向韓国真木通笠沙之御前而朝日之直刺国。夕日之日照国也。故此地甚吉地詔而。於底津石根。宮柱布斗斯理。於高天原日木高斯理而坐也』是れ神聖なる、皇祖御遺訓に示し給ふ所。鳴呼降臨の霊域、筑紫の日向国は、これ朝日の直射す国と詔給へる。所謂威弦の発溂的弯威あり。彼の桜島の爆発、高千穂の爆煙は、是百度維新の神威ならずとせんや。天下の無道、暗黒無明の世界を照し玉ふ、神聖なる大日本皇道の顕彰すべき事を知らしめ給へる、朝日の直射す曙光を示し給へるものなる可し。
 現代物質文明の淵源地は、西欧諸国にして、是れ即ち夕日の日照る国なり。鳴呼夕日の日照る国、この国より御稜威の発せるは、即ち西欧米等の大戦乱は、皇運発展の導火線たる事、国祖の神諭に由りて明瞭なり。
(一)敢て日本国と謂はず、世界を挙げて、累卵に陥りつつ在るは、目下の惨状なり。由来古今東西の聖哲が、世道人心を治安せむと欲して、唱導せる倫理、宗教、道徳、政治は、之を反復練習せる事幾千年、未だ以て真に社会を平和にし、人心を安息せしむる事能はざりき。然り而して幾種の宗教、幾種の道徳、幾種の倫理、幾種の政治は、各その学者の口に因りて主張せられ、各学派を樹立し、以て相凌轢する所、二千六百年以前の状態なりし、所謂神武天皇の詔ふところの『遂使[#下]邑有[#レ]君、村有[#上]長、各自分[#レ]彊用相凌轢』と幾許の差異かあらむ。
(二)上流社会と称して、美衣、美食、酒色に耽溺して、大厦高楼に起居し、尸位素餐、閑居不善を極むる者あり。中流社会と称し、営々として子女を教養し、租税の醸造的機関たる枢軸的階級あり。下流社会と称して、家族を挙げて、生活の物資を得るに、汲々乎として奔走し、以て生命糊口を凌ぎつつある者あり。

 由来上中下流と称するも、人間として何の差別あるに非ず、人生の目的は、必ずしも生活するが為に生れたるに非ず。更に禽獣と相等しく、生活の物資を得るために、奔走すべきものなるの理由は断じて無かるべし。物資、財力、権威等の獲得を以て、現代人生経綸の本旨と為し、以て大は国際的の競争と、中は政権争奪に党を結び、小は個人として、各営利の為に相競争し、各自相凌轢しで、世に処するの状態は、是二千六百年以前に、神武天皇の詔給へる、所謂『遼遠之地猶未霑於王沢遂使邑有君、村有長、各自分彊用相凌轢』此世態と幾許の差異あらんや。
(三)畏れ多くも明治天皇は、教育の根本に関する、大勅語を国民に降下あらせ給ひ、
『斯道ハ実二我ガ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ、子孫臣民ノ倶二遵守スベキ所、之ヲ古今二通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス、朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ、威其徳ヲ一ニセムコトヲ庶幾フ』と詔らせ給へり。鳴呼日本国民にして、誰か此の大勅語の御本旨を奉体して、以て御国体の精華を発揮し奉り、天壌無窮の皇運を扶翼し奉り、以て祖先の遺風を顕彰したる。誰か、陛下の忠良なる臣民の資格を有する者あるか。六千万の同胞上下を問はず、滔々として世界の濁流に游泳して、私産を作り、虚栄を貪るに、敢て手段の善悪を問はず、偽善詐偽不倫行為が、根本的に天賦の徳器を破壊するも、更に毫も怪しまざるの現状なり。殊に日本の学者にして、神聖なる祖宗の御遺訓皇典古事記は、天武天皇の御勅語にして、斯乃邦家之経緯、王化之鴻基焉と記し給へる御神慮を知らず、恰も西洋印度等の神話と同一視し、布衍教導する洋学に心酔累感せる迂愚学者を輩出するに至れり。彼等は御国体の蝕虫、教育界の蠹魚たるなり。
 鳴呼現代は、是れ弊政の窮極なり。無道の政治、無明の教育を以て、曷ぞ能く御国体の精華を発揮し奉る事を得むや。鳴呼、神聖なる皇祖の御遺訓、大日本皇道を奉体せざる輩、曷ぞ皇憲を運用し奉るの資格これ在らむや。

(四)神武天皇詔日
『是の時運鴻荒に属し、時は草眛に鍾る。故に蒙以て正を養ひ、此西の偏を治む』
 鳴呼畏くも崇神天皇が和光同塵、以て世界統治の神策を建て給ひて以来、殆ど二千有余年、蒙倶以て正を養ひ給ひしが故に、御歴代の天皇が天歩艱難を凌ぎ忍び給ひけること、誠に惶き極みにこそ。皇運発展の時代は、畏くも陛下の御代に於て、万世一系の御天職を発揮し給ふに因りて、実現さる可き事は、炳乎たる事実なり。加之天運循環の神律は、日本国に幸ひ助け、天照り玉ふ言霊の復活と、国祖の神聖なる垂訓に因りて、皇道を顕彰し給ひ、以て現代の無道無明を照し給ふ可し、神聖なる天津日継天皇の御稜威を、八荒に照耀し給ひ、壮厳なる国祖国常立尊の神威は、暗黒界を照明して、天下に皇道を実現せられ、以て世の経綸を革正し、茲に神聖なる済世救民の御天職と、永遠の平和を保全し玉ふは明瞭なり。偉なる哉、日本皇国の天職や。

第九章 天祖の大予言
 仏教家の人を誘ひ、以て其教に入らしめんとするや、実に巧みなりと謂ふべし。賢人智者を誘導するには、最も高遠にして難解の教理を以てし、愚俗者を誘導するには、禍福因果の談を以てし、其嚮ふ所に従ひ、方便を設けて之を導き、その哀傷憤怨の際に乗じて之を説得す。故に世人の多くは、其所説に酔ひ迷ひて、自ら之を悟らず。然るに仏者の言ふ所は、皆これ憑虚捏造風を捉へ影を捕ふるが如く、一の証顕有るに非ず。少しく識見を有する者は、固より以て其妄説たるを知るに足る可し。基督の徒に至つては、其術更に巧妙を極む、以為[#レ]事証顕無ければ、則ち人をして信従せしむるを得ず。是を以て証験二項を立て、以て其空理空論に非ざるを表明す。一は先知予言、後事応験を以て証拠と為し、一は非常神蹟、衆人共見を以て証拠と為す。是を以て、其教理洋の東西に蔓延し、識者と雖も亦或は固信して之に従ふに至れり。然りと雖も近世に至つて、人智日に開け月に進み、格物究理の学術益々進むに及びて、基督教の諸々の異能を現はすは、固より其徒の伝導の方便的偽造に出で、又彼の神の奇蹟なるものは、奇異驚く可きが如しと雖も、亦皆山海の形勢、大気の変動及び機械、薬品の致す所にして、決して神の為す所に非ざるを知るに至り、彼の徒の狼狽為す所を知らず、遂には種々の苦策を巡らし、救貧施療等の社会的事業に、慈善的仮面を被りて、僅に教理布衍の命脈を維持するの止むを得ざるに至れり。且つ又その予言なるものは、其所謂聖書に就て之を考ふるに、或は夢寐恍惚、殆んど捕捉すべからず。或は譬喩曖昧の記事を挙げ、或は擬似両端の事を録し、或は荒唐無稽解す可らざるの語を載せたり。後世彼徒の有力者は、種々苦心の結果、乃ち之を牽強し、之を附会し、曰く是れ某時の予言なり、之れ某人の予言なりと。夫の予言と称するもの、亦竟に確拠明徴有り、以て信従するに足るもの有るに非ず。

 夫れ予言と日ひ、神の奇蹟と云ひ、一として信従するに足らざるは、業に已に斯の如し、故に洋人と雖も、知識階級の人士は、亦多く其妄虚たるを暁るに至れり。是を以て基督教の今日の勢力、亦古事の隆盛なるに若かず、殆ど将に廃滅せむとするの兆候あり。古の信徒は、唯単に神の予言と神の奇蹟を以て、其の信仰の眼目となせしが、人文開明の今日にては、却て其予言及び神蹟に因りて、同教の廃滅を兆すに到れり。則ち予言と神蹟の説示は、是将に同教を頽廃せしむるものなり。然るに我皇国の教は、其予言と神蹟を説かざりしか。曰く否、皇国の教は古昔に在りては、即ち予言と神蹟を説く事稀なりと雖も、国祖国常立尊の、地の高天原に顕現し給ひし聖代に在りては、即ち予言と神蹟を説き国民を指導するの急務なるを信ず。古の学者は天壌無窮の予言と、万世一系の神蹟を説きしもの尠く、故に皇道の教理、未だ万国に弘布せざりき、今や天運循環の神律に因り、天祖の予言と神蹟、並に国祖の神訓神蹟を、説く可き時機の到達せるを知る。皇道の大本、皇祖皇宗の御遺訓神蹟にして、明確に宣布されむか、世界万国の民亦必ず、相率ゐて皇道の教理に帰順すべし。如何となれば其予言と神蹟は、確拠明徴あり。以て大に信従するに足るものあるを以てなり。請ふ其説を言はむ。皇典に曰く『豊葦原千五百秋之瑞穂国は、是れ吾子孫の王たるべきの地なり。爾皇孫就きて治む可し。行け宝祚之隆当に天壌と窮まり無かる可し矣』此言や、是天祖の天孫に勅命し玉ふ所なり、天孫彦火々瓊々杵命、此の神勅を奉じて下土に降臨し給ひし以来、皇統連綿として万世一系に渡らせられ、宝祚の隆なる事、果して天祖の神勅の如し。是れ豈に偶然ならむや、是れ山豆に確拠明徴、以て信従するに足るものにあらずや。此の大神勅、即ち吾人の所謂予言は、然も基督教予言の比に非ざるなり。故に曰く、基督教は予言に因りて廃滅し、皇国の教則ち皇道は、必然予言を以て興隆すべしと。


第十章 皇国の神蹟
 我が皇国は古来神国と称し、独一の真神なる、天之御中主之大神の主宰の下に、天津神八百万、国津神八百万在し坐して、国土を守り幸はひ給へば、古往今来、外国に優りて神異神蹟極めて多く、僕を更ふるも数ふべからず。余は今日唯に一、二の神蹟を挙げて、以て皇国固有の大道の信仰遵奉せざる可らざるを徴せむとす。中古称徳天皇は、元来深く宇佐八幡宮を信奉帰依し給ひて、大神の憑語と言へば虚実を問ふの暇無く、事々物々其神憑の語に従ひ給ふを奇貨と為し、時の妖僧弓削道鏡なるもの天皇の殊寵を得て、心行共に日と共に増悪の域に進み、出警入蹕僣に乗輿を擬し、自ら号して法王と謂ふに至れり。時に太宰府の神主にして、中臣の習宜阿曾麻呂なるもの、権勢並び無き自称法王妖僧弓削道鏡に媚附き、己が勢力を得んため、畏れ多くも矯めて、宇佐八幡大神の教言なりとて朝廷に奏す。即ち日く『天皇若し、道鏡をして天津日継の位に即かしめ給は父、天下は永遠無窮に太平なる可し』と、茲に天皇は、殊寵殊愛の道鏡と雖も、事余りに重大なるを以て、御神慮決し兼ねたまひ、密かに和気清麿を召し出し、往きて宇佐大神の神教を請はせ給ひぬ。発するに臨み、妖僧道鏡亦清麿を招き、目を瞋らし劔を按じ清麿に謂ひて曰く『八幡大神深く我が忠誠を嘉みし、我をして天津日継の位を践ましめむと欲し給ふ。故に今汝をして再び神教を乞はしむ。汝克く神教を奉じ、我をして欲する所を得せしめなば、即ち我は汝をして太政大臣の官を授く可し。若し我言に違ふあらば、即ち必ず重き刑罰に処す可し』と。茲に誠忠無比の清麿は固く意を決し、直ちに往きて宇佐八幡に詣で、厳粛なる祀典を修し、心神を清めて、恭しく神教を乞ひ奉る。大神即ち清麿に神懸して具に教へ覚し給へり。清麿更に祈りて曰く『今大御神の教へ給ふ所の語は、是国家の一大事なり、大神の憑語信じ難し。願はくは神異を示して其真否を決せしめよ』と。自己審神者の神術を修するや、是に大御神は忽然として神形を顕示し給へり。其身長三丈に余り、光輝満月の如し。

神勅に曰く。

『我国家開闢以来君臣の大義明分定まれり、未だ臣を以て君と為し、君を以て臣と為せし事あらず天津日継は必ず皇緒を立てよ。道鏡の悖逆素より天地容れざるの大罪なり。宜しく速に剪除せよ汝道鏡を怖る瓦勿れ、吾は必ず相済けむ云々』
 清麿還りて具に神勅を奏す。道鏡事の成らざるを以て大に怒り、遂に清麿を大隅に流謫し、人を使て之を途中に追殺せしめむとす。俄然大雷雨来りて、天地晦冥咫尺を弁せず。使者未だ発せざるに、勅使来りて免る丶を得るに会ふ。次で光仁天皇位に即き給ふに及んで、道鏡の大逆を悪み、直ちに之を下野に竄し、和気清麿を召還し給ふ。清麿時に脚を病み起つこと能はず。強ひて病を輿して途に上る。忽ち宇佐を過ぎ大神を拝するや、脚即ち起ち、遂に馬に乗りて還る。観る者神威神蹟の顕著なるに、歎異せざるは無し。夫れ道鏡妖僧之神器を覬覦するや、凶焔人に逼り勢当にあたる可らず。事の成否は、即ち使臣和気氏の一言に決するなり。国家存廃の分水嶺上に立てる清麿の責任や、実に大なりと謂ふべし。皇道の本義を体得せる、誠忠無比の和気氏、乃ち毅然として撓まず屈せず、一身の安危を度外に措き、直ちに神教を朝廷に奏上す、其の志操や、国家を匡救し、気節、姦侫の心胆を震愕せしむ。是固より和気氏忠義の節、天地に貫徹せるに由る可しとは雖も、神明皇祚を護佑し玉ふに非ずんば、焉ぞ能く、此の如くなるを得むや。実に皇道の大本毅然として、万古に卓立する所以を知るべきなり。

 胡元宋国を滅し、次で諸多の隣国を征服し、四百余州に君臨し覇を称ふるや、独我皇国のみ使聘を通ぜず。元主韓人を使て、書を皇国日本に致さしめて日く『我要求に服せざる時は、即ち尋問の師を出さむ』と。朝廷忽ち、令を鎌倉に下して議せしむ。時の執権北条時宗大に怒つて曰く『書辞以て甚だ礼を失す。報復するに及ばず』と。則ち使者を追ふ。其後元の使者、幾度来りしと雖も、悉皆拒否して納れず、且つ一々其使者を斬る。其後元主大に怒り、文永十一年冬元軍西境に仇す。鎮西の猛将勇士、拒み戦ひ且つ之を退く。建治元年夏、元の使節「杜世忠」等復た来る。時宗怒つて之を鎌倉竜ノロに斬る、乃ち北条実政を以て筑紫の探題と為し、鎮西の将士を監し、辺海を鎮戍し、大に戦備を為し急変に備ふ。未だ幾何も経ざるに、元の使節復た来る。時宗また之を斬る。元主「忽必烈」我国の再び元使を誅せるを聞き、大に憤怒し、大に舟師を興し「茫文虎」を以て之に将とし入侵す。弘安四年七月。博多に抵り舳艫相銜む。実政が部下の将士等、克く拒ぎ戦ひ殺傷相当る。時宗爰に宇都宮貞綱を遣はして之を援く、未[#レ]到。是時に当つて朝野心を一にし、全国の神社並びに仏宇に祈薦を修す。畏くも亀山上皇は、躬自ら徒洗して石清水八幡宮に詣で、精疇一夜、従臣をして神楽を奏せしむ。また権大納言藤原経任を伊勢に遣はし、幣帛及び宸筆宣命を皇大神宮に奉り、身を以て国難に代らむことを請ひ給ふ。閏月朔太陽蝕に当る。天陰見えず。黒雲一点石清水宮より起り、雲中隠々白羽の鳴矢あり、西の天に向つて飛び去る。皇大神宮の摂社たる風神の社殿内より、忽ち一道の神光を発し天地に照耀す。大風暴び起る、西海最も激烈なり。雷迅竜跳、怪異百出、海水篏蕩し、賊艦四千艘悉く皆覆没破壊し、虜兵全部滅亡し、十万人中脱れ帰る者、僅に三人なりと謂ふ。是より元再び、我皇国の辺境を窺はざりき。
 夫れ胡元、強大の武力を以て我国に臨み、一挙にして忽ち我を併呑せんとする、其猛勢や恰も巌を投げて卵を打つ如し。然りと雖も、皇道の大本に、惟神的に合成し、奮然として撓まず、屈せず、数々其無礼極まる使節を斬り、以て彼の兇威を挫き、民志の団結を固め、死を決して之を待つや、天下の志気大に振ひ、戦はずして敵を呑み、仇に勝つの慨あり。是固より時宗が、国家の一大事に際して少しも騒がず、悠然として志を決し、防禦宜しきを得たるに由るとは雖も、神明の霊威皇国を護佑し給ふに非ずんば、焉ぞ能く斯の如き大勝を得、以て国威を万世に伝ふるを得んや。抑道鏡の徒が姦曲殆ど皇祚を移さんとし、胡元の仇、殆ど皇国を傾けんとせり。然るに皇国の神明、深く国家を保護佑助し、大に威霊を顕示し給ひて、妖鬼沮喪し黠虜殲滅し、今日に至る迄纂奪の禍害無く、対外戦に於ける敗なし。其神蹟の彰々たるや此の如し。

 鳴呼皇国は、天神地祗の佑護に成れる、建国以来の歴史によりて、克く其の国粋を保ち、時に精華を開きたりと雖も、現代の風潮は、漸く妖蘖の兆を醸成し、国民思想の根底は、油水の浸潤するが如く、腐敗蝕すること、元寇の禍害に幾百倍し、外来思想の伝播は妖僧の如く、皇道を無視し且つ軽侮し、祖神が以て、天壌無窮なりとして依さし給へる神国の基礎、また以て不測の禍根なきを保ち難からむとす。見よ、上下生活難を絶叫するは何の為ぞ、安分の念なくして、虚栄浮華に奔るを以てなり。六親相怒り、郷呂相鬩ぐは何の為ぞ、誠敬の心無くして、自他相欺くを以てなり。父子の情殆ど絶え、君臣の大義将に滅せむとす。於是乎社会共産主義あり、自然主義あり、民主々義あり、共和主義あり、厭世主義あり。曰く吾人の意志は自由にして、人権は平等なり、故に共和政治は、最も人生に適すと。曰く、天は人を平等に生み平等に愛す、須らく共産主義を行ふ可し。曰く、人は自然に生れ、死するも亦自然なり、故に自然的情欲を恣にして、無政府たるべし。曰く、人生は猶ほ火宅の如く、身を焼いて止まず、甚だ厭ふべしと。或者は豺狼の如く、或者は羊豚の如くにして、民心常に薄氷を践むが如く、国家は日に月に、深淵に臨むが如し。噫思ひを此処に馳する時は、現代は是一大乱世に非ずや。古語に日く、家貧にして孝子出で、国乱れて忠臣現はれ、天下無道にして、聖人起るとは宜なる哉。我皇国は、神の建て給ひし国なり。神の開きし国なり、神の作りし国なり、神の守り坐す珍し国なりと日ふ。茲に国家の一大危機に頻し、畏くも国の大祖国常立尊、豊雲野尊の二神、下津岩根の高天原に、変性男子変性女子の二霊を降し、神如の慈教を宣伝して、此漂蕩へる民心を修理し、此漂蕩へる国家を固成し、以て世界をして、神祗聖代の徳沢に鼓腹せしめ、此の世界の各国土をして、五六七の神世に転化せしめ、此蒼生をして、高天原に安住せしめむが為に、去る明治二十五年正月、大本開祖出口直子刀自に、国祖の神の憑依し給ひ、前後通じて二十有七年の教莚を開き給ひ、国家国民針の指を発表し給ひて、顕幽両界に跨り、皇国を護佑し給ふも、全く皇道大本の、確固不変なる所以なり。鳴呼忝なき哉、国祖の殊恩。鳴呼尊きかな、天津日嗣天皇の、天壌無窮の皇運を保全し給ふ皇国。金甌無欠の我国体。








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