国家戦略室 (アンダーグラウンド)

日本本来の政治、統治、歴史についての研究

「輔弼」という言葉

2017年12月27日 | Weblog

大日本帝国憲法には輔弼という言葉が使われる。

日本国憲法では

「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。」とされておりこれがそれに近いものとされている。

輔弼といい、助言と承認といい、いずれにしても主体は天皇にあるということを多くの解釈者は忘れている。

いまの日本では助言と承認を与えているのは天皇の方であって、実際に決めているのは内閣ではないのか。

大日本帝国憲法においても、天皇を輔弼するのであって逆ではない。旧憲法では一般国務について「国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス」(55条1項)と定められていた。

この解釈が天皇機関説の美濃部と、上杉穂積とで違った。

美濃部は大臣の輔弼がなければやるべきことをやっちゃいけないと解釈したが、穂積と上杉は国務大臣の輔弼は天皇の統治権行使には不可欠なものではないとしていた。

輔弼を助けと承認と解釈してわかりやすく説明すると、

戦前の憲法「国務各大臣は、天皇を輔弼し、その責めに任ず。」には二つの解釈が可能だった。

A、天皇は絶対大臣の助け承認なしになんかやっちゃいかんという解釈。・・・美濃部達吉

B、いやいや助けと承認をうけるのが手順だけどなくても天皇は権利行使できるという解釈。・・・穂積、上杉

 

結論から言えば、明治憲法は二つの意見を持つ人たちの合作であった。伊藤博文は立憲君主を目指したが、井上毅は伝統法学と古典の立場から憲法を構築したが、いずれも宗教的素養がなく、国教樹立にまでは至っていない。

井上にとってはそれが両親であったかもしれぬが、出口王仁三郎は国教樹立の必要性を説いている。

 

いろいろと書いてきたが、天皇親政という視点からみると、この複雑なほつれがとけてくる。

天皇が憲法を通じて国民を統治し、大臣は家臣として天皇を補助し天皇の意思の具現化を補助すると考えるべきであろう。

大臣が天皇を助けるのであって逆ではない。

明治憲法はどちらにも解釈できるよう作られていた。あるいは盲点だったかもしれないが、元田あたりはわかっていたようだ。明治天皇もそれを許した。

 

 

 

 

 

 

 



 

 




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