昨日、久しぶりにLGBTオフィスを訪ねた。たまたま担当者と話をしていて家族へのカミングアウトのことが話題になった。
私は家族が滞在していたときの私の気持ちを話して、心にひっかっかていた家族へのカミングアウトのことがちょっとクリアになって、やっぱりこういうときに気軽に相談できる人がいるというのは大事だなと思う。
さて家族へのカミングアウトだが、家族のあり方が日本と違ってとてもオープンなアメリカでもやはり家族へのカミングアウトが一番難しいという。本人と家族との関係によっても違うだろうし、一度きりの話ですむことでもない。
そして彼が話してくれた言葉で最も印象的だったのは、
「カミングアウトを一度してしまったら、あとはもう二度と引き返せないんだよ。でもカミングアウトしなければ選択肢はまだ残されたままだからね。」
私も彼の考えに同感だ。
カミングアウトしなければ、カードはまだ私の中にある。家族にとっても重大なそのカードを私が隠し持っていることへのうしろめたさがないとはいえないが、それさえクリアできれば家族との関係の中でうまく調整できるのではないかと思う。
カミングアウトするかどうかは、自分がどう生きるのかということと関わることなんだなと改めて感じる機会になった。
すべてをオープンにする生き方もあるし、カードをもったままうまく調整する生き方もある。まああせらずに考えよっと。
私は家族が滞在していたときの私の気持ちを話して、心にひっかっかていた家族へのカミングアウトのことがちょっとクリアになって、やっぱりこういうときに気軽に相談できる人がいるというのは大事だなと思う。
さて家族へのカミングアウトだが、家族のあり方が日本と違ってとてもオープンなアメリカでもやはり家族へのカミングアウトが一番難しいという。本人と家族との関係によっても違うだろうし、一度きりの話ですむことでもない。
そして彼が話してくれた言葉で最も印象的だったのは、
「カミングアウトを一度してしまったら、あとはもう二度と引き返せないんだよ。でもカミングアウトしなければ選択肢はまだ残されたままだからね。」
私も彼の考えに同感だ。
カミングアウトしなければ、カードはまだ私の中にある。家族にとっても重大なそのカードを私が隠し持っていることへのうしろめたさがないとはいえないが、それさえクリアできれば家族との関係の中でうまく調整できるのではないかと思う。
カミングアウトするかどうかは、自分がどう生きるのかということと関わることなんだなと改めて感じる機会になった。
すべてをオープンにする生き方もあるし、カードをもったままうまく調整する生き方もある。まああせらずに考えよっと。