トヨタモータースポーツフェスティバルが10回目となりました。
思えばいろいろなマシンやドライバーに会えるのは楽しみだった。
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トヨタモータースポーツフェスティバルが10回目となりました。
思えばいろいろなマシンやドライバーに会えるのは楽しみだった。
1998年、JTCCはホンダと日産が撤退し、
トヨタだけのレースとなりました。
トヨタはチェイサーとコロナエクシブだけでトムスはチェイサー2台参戦し、
セルモのチェイサーは竹内選手、坂東のエクシブは金石選手、トムスの関谷正徳選手の争いとなりました。
最終戦を待たずに関谷正徳選手がチャンピオンとなりました。
しかしJTCCは最後となってしまい、時代は全日本GT選手権が主になっています。
その後のチェイサーは、2001年ネッツ店で販売するのをやめ、
ビスタ店でクレスタの後継者、ヴェロッサと統合し販売面でも苦戦し、
2004年秋にビスタ店はネッツ店に吸収されてしまい、ヴェロッサは消滅してしまいました。
もしヴェロッサのレース仕様があったらどう思うか僕にはわかりません。
スーパーGTにも出てたかも?
1993年はグループA最後の年でした。
トムスのレビンの活動はFRのAE86、
FFになってからAE92、AE101でレースをしてきました。
中でもホンダのチューナー無限シビックの戦いは忘れないでしょう。
かつてタミヤが販売したラジコンで、エクシブもありました。
1994年グループAから、4ドアセダンで2000cc車のみのJTCCがスタートしました。
1994年トヨタ・コロナをドライブする関谷正徳選手が、
ドイツの強豪シュニッツアーBMWをポイントで逆転し、初代王者に輝きました。
1995年からコロナ・エクシブを投入しました。
シュニッツアーBMWは雪辱を晴らすため、
タイヤをヨコハマから、ミシュランに変更したレースで猛威を奮います。
最終戦の富士スピードウェイのインターテックに望み、
スティーブ・ソーパー選手が関谷選手のポイントを上回り逆転負けとなりました。
エクシブが市販された最後のモデルで、
3ナンバー化したのが災いし、ハードトップの剛性の問題がありました。
ミニバンが主流となり、販売面で売れなくなり、
1998年の夏に兄弟車のカリーナEDと同時に生産中止となりました。
トヨタは1999年からハードトップタイプの車を作るのをやめました。
同年9月にフルモデルチェンジしたクラウンは今までのハードトップをやめ、
セダンタイプの車を作ったのは記憶に新しいでしょう。
FUJIスプリントカップに懐かしい選手がいました。