1995年は阪神大震災や、地下鉄サリン事件が起き、
関谷正徳選手がルマン24時間レースで日本人初優勝し、
アメリカの大リーグで野茂英雄投手が活躍した年で、
1995年10月にクラウンをフルモデルチェンジを行いました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/17/c714b4d923073ac06406740fc285d746.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/63/d863fc10ecb671b6794b9a19ef42aeab.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/93/817d62a96a28d48dcb62d8da3916a6d9.jpg)
1995年は阪神大震災や、地下鉄サリン事件が起き、
関谷正徳選手がルマン24時間レースで日本人初優勝し、
アメリカの大リーグで野茂英雄投手が活躍した年で、
1995年10月にクラウンをフルモデルチェンジを行いました。
1991年10月クラウンはハードトップをメインに、
フルモデルチェンジを行いました。
ハードトップは3ナンバー専用車となり、
ロイヤルシリーズが登場し、
V8エンジンと3リッターエンジンを搭載したマジェスタシリーズが加わりました。
セダンとワゴンとバンはマイナーチェンジを行いました。
今のトヨタのクラウンは、トヨタの高級車でありますが、
1960年代、クラウンがモータースポーツに参戦していました。
参戦してたのはストックカー・レースで、
日産のセドリック、いすゞのベレル、
プリンス自動車のグロリア(後にプリンスは日産と合併されセドリックの兄弟車となる)が出場してました。
1960年代のトヨタのレースで忘れられないのは、
トヨタスポーツ800(通称ヨタハチ)です。
1964年に第2回日本グランプリで惨敗したトヨタが、
1965年のレースに向けてマシンを製作しました。
ところが日本グランプリが中止となり、
急遽千葉の船橋サーキットで、
全日本自動車クラブ選手権(CCC)が行われました。
伝説のレーサー浮谷東次郎選手がヨタハチで、
生沢徹選手のホンダ・S600を逆転で勝利しました。
しかし、浮谷選手は鈴鹿のテストで事故をおこしてしまい23年の短い生涯を閉じました。
トムスの大岩社長もヨタハチで活躍してました。
トヨタ2000GTは、トヨタ自動車とヤマハ発動機が共同開発し、
ヤマハへの生産委託で1967年から1970年までトヨタブランドで限定生産された高級乗用車である。
1965年東京モーターショーに登場、
1967年4月に富士スピードウェイで行われた24時間レースで総合優勝、
市販される前に、レース、スピードトライアルに参戦し、
1967年5月から1970年8月までの3年3ヶ月で337台が生産され幻の車です。
「007は二度死ぬ」では、オープンカーに改造して映画を盛り上げました。
トヨタ・モータースポーツのHPに、スピード・トライアルの映像があります。
http://www.toyota.co.jp/ms/philosophy/history.html