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10代目クラウン (JZS150)

2011-12-24 08:37:29 | 懐かしのクルマ

1995年は阪神大震災や、地下鉄サリン事件が起き、
関谷正徳選手がルマン24時間レースで日本人初優勝し、

アメリカの大リーグで野茂英雄投手が活躍した年で、

1995年10月にクラウンをフルモデルチェンジを行いました。

今までのペリメーターフレームから、
マジェスタで起用されてるモノコックフレームに変更しました。
9代目のマイナーチェンジ後から、
センターピラーの王冠マークが10代目から今のクラウンに起用してます。
同じくマジェスタもフルモデルチェンジを行い、
関谷正徳選手がトヨタのVSCのCMに出てました。
 

 


9代目クラウン(JZS140)

2011-12-24 07:54:51 | 懐かしのクルマ

1991年10月クラウンはハードトップをメインに、
フルモデルチェンジを行いました。

ハードトップは3ナンバー専用車となり、

ロイヤルシリーズが登場し、

V8エンジンと3リッターエンジンを搭載したマジェスタシリーズが加わりました。

 

セダンとワゴンとバンはマイナーチェンジを行いました。

ロイヤルシリーズのエンジンは3リッターの7Mから、2JZに変更し、
2.5リッターとディーゼルエンジンのみでした。
 
しかし、ロイヤルシリーズのデザインが評判が悪く、
販売面では苦戦しました。
 
1993年8月にマイナーチェンジを行い、後ろのスタイルを改良を行いました。
展示されていたのは前期型で、
マイナーチェンジしたクラウンを展示してほしかった。
 

ストックカーレースに出た3代目の「白いクラウン」

2011-08-14 20:05:24 | 懐かしのクルマ

今のトヨタのクラウンは、トヨタの高級車でありますが、

1960年代、クラウンがモータースポーツに参戦していました。

 

参戦してたのはストックカー・レースで、

日産のセドリック、いすゞのベレル、

プリンス自動車のグロリア(後にプリンスは日産と合併されセドリックの兄弟車となる)が出場してました。

 
1967年9月に3代目クラウンが登場し、「白いクラウン」は人気がありました。
 
1968年10月に2ドアハードトップを発売する。
この白いクラウンがレースに出てました。
 
実はレース用のクラウンのエンジンは、
トヨタ・センチュリーのV8エンジンを搭載し,
最高出力は245馬力でした。
 
クラウンにマツダ・コスモスポーツのロータリーエンジンを搭載したマシンもありました。
 

トヨタスポーツ800

2011-06-05 15:32:58 | 懐かしのクルマ

1960年代のトヨタのレースで忘れられないのは、
トヨタスポーツ800(通称ヨタハチ)です。

1964年に第2回日本グランプリで惨敗したトヨタが、
1965年のレースに向けてマシンを製作しました。

ところが日本グランプリが中止となり、
急遽千葉の船橋サーキットで、
全日本自動車クラブ選手権(CCC)が行われました。

伝説のレーサー浮谷東次郎選手がヨタハチで、
生沢徹選手のホンダ・S600を逆転で勝利しました。

しかし、浮谷選手は鈴鹿のテストで事故をおこしてしまい23年の短い生涯を閉じました。

トムスの大岩社長もヨタハチで活躍してました。


トヨタ2000GT

2009-10-28 19:20:09 | 懐かしのクルマ

トヨタ2000GTは、トヨタ自動車とヤマハ発動機が共同開発し、

ヤマハへの生産委託で1967年から1970年までトヨタブランドで限定生産された高級乗用車である。

1965年東京モーターショーに登場、

1967年4月に富士スピードウェイで行われた24時間レースで総合優勝、




市販される前に、レース、スピードトライアルに参戦し、
1967年5月から1970年8月までの3年3ヶ月で337台が生産され幻の車です。

 

「007は二度死ぬ」では、オープンカーに改造して映画を盛り上げました。

 




トヨタ・モータースポーツのHPに、スピード・トライアルの映像があります。

http://www.toyota.co.jp/ms/philosophy/history.html